2013年9月19日木曜日

お・も・て・な・し


 「独立行政法人・日本政府観光局」という生い立ちに不可解さの臭いがしなくもない名称の政府機関が9月18日に、8月の日本を訪れた外国人旅行者数は90万人を超え、前年同月比で17.1%増となったと発表した。 この調子で増えれば、2013年の年間政府目標1000万達成が可能だという。

 こんな政府発表ニュースをテレビや新聞が報じても、われわれ一般納税者には、東日本大震災の復興がうまくいっているとか、アベノミクスの成果が上がっていると宣伝する政権の情報操作以外にどんな意味があるのか、よくわからない。

 例えば、「1000万」という数字を自慢げに強調するが、この”成果”はどう評価すべきなのか。

 この発表をした「観光局」のホームページで、2012年の「世界各国・地域への外国人訪問者数」を見ると、日本は835万人で世界で33番目。 とても自慢できる数字ではない。 

 アジアでは、世界3位・中国の5772万を筆頭に、マレーシア(10位)2503万、香港(12位)2377万、タイ(15位)2235万、マカオ(13位)1357万、韓国(11位)1114万、シンガポール(25位)1039万と続く。 日本が1000万に達しても、世界ではモロッコを抜いて、やっと28位だ。 トップのフランスともなれば、なんと日本の10倍の8300万。 フランスの人口は6500万余りだから、それ以上の数の外国人がフランスを訪れるのだ。

 観光は今や世界の主要な産業分野のひとつになっているが、日本はここでは決して先進国ではない。 ちなみに、2020年オリンピック開催地で日本(東京)のライバルになったスペイン(マドリッド)は世界4位の5770万、トルコ(イスタンブール)は6位の3569万。 魅力ある訪問地としては、日本とは格が違っている。

 「おもてなし」。 悪い冗談だ。 短期訪問の外国人に短期間だけニコニコする。 これなら日本人もできる。 だが、日本に長期滞在する外国人やハーフの子どもたちが、日本の学校で「ガイジン」として陰湿なイジメの標的になっている現実を「おもてなし」というのか。 日本でハーフの問題をずっと追っているサンドラ・ヘフェリンに訊いてみるといい。  

 おそらく、交通標識に英語を加える程度の上っ面の”おもてなし”でも1000万人の目標は達成できるだろう。 だが、外国人が街に増えれば、日本人の醜さも曝すことになろう。

 電車の優先席に座って、寝たふりをして老人を無視するエセ紳士を見れば、”おもてなし”の本音が世界の隅々にまで知れ渡るだろう。 

2013年9月9日月曜日

東京オリンピック 究極の不安


<マグニチュード 7> クラスの東京直下型地震が起きる確率。
 
 東京大学地震研究所の試算によると、4年以内は50%以下、30年以内では83%。

 京都大学防災研究所によると、5年以内は28%、30年以内は64%。

 統計数理研究所によると、5年以内は30%弱。

 文部科学省地震調査研究推進本部によると、30年以内は70%。

 2020年オリンピックの東京開催が決まった。 日本の右翼・国家主義者が推進し、マスコミを巻き込み、国民を煽り立てた結果。 首謀者たちは、ライバル都市イスタンブールを意識して”安全”、マドリッドを念頭に”安定経済”を東京の売りにした。 ウソで塗り固められた原発安全神話が3・11で崩壊し、いまだに垂れ流されている放射能汚染も問題ないと言い張った。

 本当に、このオリンピックを開催する意味があるのか。 多くの人が多くの疑問を持っている。 気になることは色々ある。  

 なぜか、オリンピック誘致の過程で、都民の誰もが不安に思っている首都直下型地震は語られなかった。 意図的な無視だったのか。 やがて確実にやって来る巨大地震に正直に言及することは、”安全”も”経済”も吹き飛ばす地雷原に踏み込むも同然。 

 「東京が地震で壊滅状態になっても、われわれは瓦礫と死体を片付けて、立派なマラソン・コースを整備いたします」 

 これでは誘致は無理だったろう。 やはり、狡賢い陰謀の臭いがする。 

2013年9月2日月曜日

消えゆく足尾の宿で


 東京の暑さから逃れようと、急に思いたってクルマで栃木県の足尾に行った。 

 足尾銅山のあった町、日本資本主義経済の決して褒められない出発点、公害の原点。 かつての足尾町は「平成の大合併」で日光市に組み込まれていたが、30年ぶりに訪れた足尾の変化は行政区分だけではなかった。 銅生産最盛期の煙害で木々が死に絶え、不気味に禿げ上がった山々に緑が復活していたのだ。

 過去を知らずに、町を見下ろす国道122号線バイパスから眺めれば、普通の田舎町にしか見えないだろう。 ちょっとした浦島太郎体験。

 宿は町の北、銀山平の国民宿舎「かじか荘」。 チェックイン・カウンターの老人。 この宿のマネージャーか経営者か。 靴は部屋番号の記してある靴箱に入れて、スリッパもそこから取ること、ふとんは自分で敷くこと、浴衣はロビーにあるのを持っていくこと、風呂は夜10時まで、部屋に冷蔵庫はない、酒の持ち込みはダメ・・・。 「なにしろ国民宿舎ですから」。 サービスの悪さを自覚しているらしく、その責任というか原因は、すべて「国民宿舎」ということにしてしまった。 

 そんなことを言うなら、1泊2食7800円はちと高いぞ。 今どき、これだけ払えばサービスと愛想のいい民宿だって、飲み放題・カニ食べ放題付き格安温泉旅館だって泊まれる。 などとは言わず、リュックサックにワインと日本酒とウイスキーのボトルを隠して部屋に入った。 あとで、宿のおねえさんにワインボトルを冷蔵庫で冷やしてくれないかと、そっと頼んだら、ダメだけどいいですと言って冷やしてくれた。

 平日のせいか客は数人、広々とした露天風呂で、山並みと青空と秋の気配の赤トンボの群れを眺めながら思い切りからだを伸ばす。 気持ちいい湯だ。

 60がらみの男が一人入ってきた。 地元の住人だという。 近ごろは鹿が増えすぎて困っている、これまでクルマを運転していて鹿と5回も衝突した、と話し始めた。 「あの向かいの山まで7,8百メートルだと思うが、あそこに鹿がいればライフルで撃てる」

 今、鹿猟の制限はなく、1年中解禁されている。 それほど増えすぎているということだ。 最大の被害は森林で、樹木の幹を食い荒らす。 日光市は鹿1頭1万円の助成金まで出しているという。 獲った鹿の写真とその鹿の尻尾を持っていけばいいそうだ。 

 だが、鹿狩りは思惑通りには促進できなかった。 第1に、猟師の数が激減している。 若者たちは地元を離れ、残る猟師たちは老齢化が進む。 第2は、福島第2原発事故による放射能の拡散だ。 この一帯の山々も放射線量は基準を超え、山菜やキノコは今も食べられない。 獲った鹿の肉も口にできないから肉の需要がない。 かつて、日光一帯の鹿肉刺身、もみじおろしを浸けた味は絶品だった。 実は鹿刺しには期待を持って足尾に来たのだが、それが食えなくなっていた。

 気が付いたら、湯の中で30分も話をきいていた。 おかげで頭がぼーっとしてきた。 だが、宿に頼んだワインの冷え加減はちょうど良くなっていた。 澄んだ山の空気と冷えたワイン。 文句なし。 

 田舎の人は純朴だ、などという幻想は持たない。 「裏山で採れた山菜」などと言って中国製のパックを都会からの観光客に売りつける”素朴な田舎者”に驚きはしない。 だが、足尾の人たちは、純朴かどうかはわからないが、人懐こく話しかけてくる。 

 宿の部屋にはトイレがないので用をたすには廊下を30メートルくらい歩かなければならない。 トイレの入り口で鉢合わせした老人が前触れもなく「寂しいんだ」と言った。

  髪は白いが骨格はがっしりしている。 話し方もしっかりしていて、ボケが始まった徘徊老人なんかではない。 「銅山で23のときから働いていた。 今80だが健康だ。 銅山で長く働いて肺をやられず元気なのは珍しい。 医者も驚く。 仲間はみんな60になる前に肺をやられて死んでしまった。 最後は胸が痛くて仰向けに寝られなくて、上半身を起こして苦しみながら死んでいった。 残ったのは俺だけ。 昔をわかってくれる仲間がいないのは、本当に寂しい」

 礼儀作法をわきまえた人だった。 「話をきいてくれて、ありがとう」と丁寧に挨拶をして去っていった。

 足尾町の最盛期に人口は4万人近くに達し、町の通りには料理屋や芸妓屋が軒を連ねていたそうだ。 多くの集落や歓楽街は生い茂る樹林の中に消えた。 太平洋戦争中は、日本人ばかりでなく、多くの中国人、朝鮮人、欧米人戦争捕虜が過酷な労働を強いられ死んでいった。 

 今、足尾の人口は、わずか2000人。 

 人が消え、記憶が消えていく寂しさが、安普請の国民宿舎に染み込んでいた。