2015年2月1日日曜日

危険地帯に行くのは記者の仕事だ


 ジャーナリスト後藤健二が無惨に殺されたことが明らかになった現時点では注目されないかもしれない。 だが、読売新聞の2015年1月31日付け夕刊社会面が、「イスラム過激派組織『イスラム国』とみられるグループによる日本人人質事件で、外務省が避難するよう求めているシリア国内に、朝日新聞の複数の記者が入っていたことが分かった」と報じたことが気になっている。

 日本の報道機関が日本の報道機関の取材行動を報じるのは、非常に珍しい。 単に日本外務省が日本国民に退避勧告をしている地域に取材に入ったというだけでニュースとして報じたのは、おそらく日本の報道史上初めてであろう。 なぜなら、かつては、外務省の退避勧告を気にする報道メディアや記者など存在しなかったからだ。

 朝日新聞記者がシリアに取材に行ったことが、なぜニュースなのか理解に苦しむが、記事の書き方は非難がましい。 それでは、なぜ非難がましいのかというと、その理由は説明していない。

 いったい何を非難しているのだろうか。

 第1に、「イスラム国」の人質になった湯川遥菜や後藤健二は、外務省が危険だから行くなというようなところに行ったのが悪いのだ、と言っているように受け取れなくもない。

 第2に、新聞記者は外務省の言うことに従え、という主張と思える。

 どちらにしても、権力から独立した立場であるべき報道メディアとしては許されない態度だ。

 日本の新聞やテレビの大手メディアの正社員記者は、1991年の湾岸戦争以来、危険地帯に入る取材をしなくなった。 記者が事件・事故に遭遇した場合の責任を回避しようとする会社論理で、危険な現場に接近しようとする記者の行動を制御するようになったためだ。 大手メディアはある種の協定で日本新聞協会を通じ、記者が危険地帯に入ることを横並びで制止するようになった。

 これによって、大手メディア記者たちは、去勢されたとまでは言わないが、無難な仕事以上の取材には手を出さないサラリーマン化を強いられた。 それによって、フリーのジャーナリストたちには仕事スペースが増えたという利点はあったが。

 それ以前の記者たちはどうだったかというと、冒険談には事欠かない。 何回かの中東戦争、イラン・イラク戦争、ボスニア内戦、アフガニスタン内戦、カンボジアやベトナムのインドネシア戦争、フィリピン南部の内戦…。
 
 記者たちは東京本社の意向などに関わりなく、ジャーナリストの本能のままに危険地帯に飛び込み、自己責任で命を守ってきた。 もちろん、運悪く死んだ記者もいた。

 当時、(そして、おそらく今も)外務省が退避勧告を出しているような国で、かろうじて維持している大使館に篭っている日本の小役人外交官は、記者が顔を出すとこわばった顔で「さっさと出国してくれ」と言ったものだ。

 だが、記者たちは危険だから行き、大使館に篭った外交官が見たり知ったりできない現実を伝えようとした。 それが、記者の醍醐味であり、きれいごとで言えば使命だった。

 朝日記者のシリア取材を伝える読売の記事は、こういった記者の本来あるべき姿を否定し、政府の言いなりになるのが正しいと主張しているのか。 ジャーナリズムの自殺、終焉ではないか。

 そうではなく、単に朝日にシリア取材の先を越された腹いせという子どもじみた嫌がらせにすぎなかったというなら、笑ってすませるのだが。