身長173センチ、体重66キロ、25歳。 中国のどこの街を歩いていてもすれ違いそうな、中肉中背の一見普通の若者。 蘇 炳添(スー・ビンチャン)。 2,015年8月23日、彼が、大げさに言えば、アジア史に残る偉業を成し遂げた。 北京で開催中の世界陸上で、黄色人種(モンゴロイド)として初めて、アフリカ系にほぼ独占されている短距離100メートルの決勝に進出したのだ(決勝では9位)。 だが、日本の新聞は、この偉業をほとんど報じていない。 報じた新聞も、注意深く探さないと気付かないような小さな記事だった。
蘇 炳添は、今年(2015年)5月30日に米国ユージーンで行われたダイヤモンドリーグのプレフォンテーン・クラシック100mで、9秒99(追い風1.5メートル)を記録、黄色人種で初めて10秒の壁を突破した。 これはまさに、日本の低迷する陸上界が若手のホープ、桐生 祥秀らに是非実現してもらいたいと願っていた夢だった。
大きな大会になると萎縮し、自己最高記録すら出せない日本選手と違い、蘇 炳添は実に勝負強い。 北京世界陸上では地元の大きな期待というプレッシャーに負けず、準決勝で2度目の9.99秒を出し、決勝に進出した。
世界陸上やオリンピックの短距離種目で決勝に進出するファイナリストになることの凄さは、400メートルの高野進が1991年の世界陸上、さらに翌92年のバルセロナ五輪で決勝進出を果たしたときの日本国内での礼賛ぶりを思い起こせば理解できるだろう。 日本のオリンピック短距離選手としては、1932年ロサンゼルス五輪の吉岡隆徳以来、なんと60年ぶりの快挙だったのだ。
日本の陸上界は、蘇 炳添を礼賛する気になどなれず、先を越されて悔しがっていたに違いない。 スポーツ界に追随し、ナショナリズムを煽るだけの日本のスポーツ・ジャーナリズムも、蘇 炳添の快挙を無かったことにして無視したかったのではないかと疑いたくなるような報道ぶりだった。 彼を褒めたたえてしまっては、ダメな日本陸上界の現実を暴露することになってしまうからだ。
今度の世界陸上の20キロ競歩では、日本の3選手がメダルを独占しそうなことを触れ回っていたのも陸連と陸連に追従するジャーナリズムだ。 だが、結果はメダルには遠く、遠く及ばない惨憺たる敗北。 まるで、太平洋戦争の軍国日本と御用新聞のコンビではないか。
自国のチームや選手に勝つ見込みがないとなると、国際競技への関心は高まらないだろう(戦争も同じか)。 多少のウソがあっても、夢と希望がなければ人気は上がらない。 だからスポーツ界とスポーツ・ジャーナリズムはつるんで人気を煽り、幻想を構築する。 そこに引き寄せられる我々大衆は、夢を食うバクみたいなものだ。
この世界そのものが、仮想現実かもしれないが。