ベビーカーが乳母車と呼ばれていたころ、電車に乗せることはなかった。 Google の画像検索で出てくる乳母車は、籐製のかごに四輪車を付けたものがほとんどだ。 太平洋戦争による荒廃の名残りの中で幼年期を過ごした団塊世代は、ごわごわしたズック製のかごを記憶しているかもしれない。
大きくて重くて、バリアフリーの概念すら存在していなかった時代、母親が子どもを乗せた乳母車を持って駅の階段を上ることなど不可能でもあったろう。
乳母車はベビーカーに、母親はヤンママに変身し、電車の中の光景は一変した。 ベビーカーは乗り降りに都合の良いドア付近を占拠し、他の乗客に多大な不便を引き起こしている。
ヤンママたちは、元気で勇ましくもある。 発車寸前に、子どもを乗せたベビーカーを押してホームを突っ走る。 閉まりかかった電車のドアにベビーカーをはさみ、無理やりドアをこじ開けて乗り込んでくる。
明らかに、これを常套手段にしている女たちがいる。 経験がある。 地下鉄丸ノ内線に乗ってドアそばに立っていたとき、閉まりかかったドアにベビーカーが飛び込もうとして、挟まった。 驚いて、ベビーカーを蹴り出した。 事故に至らず、ホッとした。 ところが、ホームの外のヤンママはお礼の気持ちで頭を下げるかと思いきや、こっちを睨みつけていた。 こちらはベビーカーを押し出そうとしていたのに、その女は押入れようとしていた。 乗り損なって悔しがっていたのだ。
最近、東京の地下鉄駅ホームで、父親の押すベビーカーがドアに挟まれたまま電車が出発する事故があった。 幸い子どもが乗っておらず、人身事故にはならなかった。 マスコミは、ドアの安全確認センサーの問題点を指摘した。 確かに、その通りではあろう。 だが、日本の右翼たちが大好きな「自己責任」という言葉も浮かび上がってきた。
人口減少社会では子どもを大切にしなければいけない。 とはいえ、発車間際の電車にベビーカーで飛び乗ってくる傍若無人の親たちにも同情しなければいけないのだろうか。
以下、「乳母車」の参考資料(Wikipedia)
乳母車(うばぐるま)は乳幼児を乗せて運ぶ手押し車である。ベビーカー(和製英語)やバギーともいう。
専用のものとしては、古くはイギリスの著名な造園家ウィリアム・ケントが1733年、第3代デヴォンシャー公の求めに応じ製作したものが知られているが、これは犬や子馬に牽かせる荷車のようなもので豪華な装飾が施されていた。1830年代にはアメリカの玩具製作者Benjamin Potter Crandallが販売していたことが知られており、その息子Jesse Armour Crandallは様々な改良を加えて数多くの特許を取得している。日本最初の乳母車は、1867年に福沢諭吉がアメリカから持ち帰った乳母車とされている。
初期の乳母車は木製ないし枝編みで、時として芸術的なまでの装飾が施されており、王侯に因んだ名を付けられるような重量感ある高価なものだった。しかし1920年代になると一般家庭でも使われるようになり、軽量化も図られるようになった。
1965年、航空技師オーウェン・マクラーレンが、娘がイギリスからアメリカへ旅行した際に乳母車が重いことに不満を言ったため、アルミ製の折りたたみ式乳母車を開発した。これを製品化したマクラーレンは、現在世界的な人気ブランドとなっている。
現在普及している乳母車には、大別して箱形で寝かせるものと椅子形で座らせるものと2種類があり、英語圏では異なる名前で呼び分けている。日本では名前の区別はないが、SGマーク認定基準のA形・B形はおおよそこれに対応している。もっとも、組み換えることで両用できる製品などもあり、絶対的な区別ではない。