2011年7月29日金曜日

美しすぎるパキスタン外相



 今月、パキスタン初の女性外相が誕生した。 その外相が7月27日、関係がぎくしゃくしている隣国インドを訪問し、インド外相S.M.クリシュナと会談した(画像)。 1年ぶりの両国外相会談だけに関係改善のきっかけになるのではないかと注目されたが、もっと注目されたのは、パキスタン女性外相ヒナ・ラッバーニ・カルの存在そのものだった。

 とにかく、若くて人目を引く美人だったのだ。 かつて、スリムなジーンズをはいた姿が新聞に掲載されたときは、伝統的イスラム社会のパキスタンで物議をかもしだしたそうだ。 インドの新聞は大はしゃぎで報じた。

 「モデル並みの大臣」

 「デリーの空もうっとり」

 「パキスタンの爆弾がインドに落ちた!」

 身につけたファッションのブランド、価格まで事細かく伝えた。 腕に下げている大きめのバッグは、エルメスのBirkin bag だそうだ。

 確かに、インド人ならずともビックリする美女である。 ということは、女に弱くて、国際問題にも弱い一部の日本の友人のために、多少の冷静な解説をしておく必要があるということだ。

 ヒナは、1977年1月19日生まれの34歳。 ビジネスマンの夫との間に2人の娘がいる。 父親はパンジャブ州のベテラン政治家グラム・ラッバーニ・カル。 1999年ラホール経営学大学で経済学の学位を取ったあと米国に渡り、2001年マサチューセッツ大学でホテル経営学のMBAを取得した。

 2003年父親の勧めで総選挙にパキスタン・ムスリム連盟カーイデアザム派から立候補し、国会議員に初当選。 2008年の選挙ではパキスタン人民党に鞍替えして当選。これまで経済関係担当の国務相などを歴任してきた。

 ラホールのポロ競技場では、上流階級向けの高級レストランPolo Loungeを経営している。 トレッキングが好きで、実際に登ったとは思えないが、カラコルム山脈の8000m級高峰K2、ナンガパルバットに行ったことがあるという。

 外相には、今月19日に就任したばかり。 この人事について、大統領アシフ・アリ・ザルダリは「国家運営の中心に女性を参画させようとする政府の姿勢を示すものだ」と語った。

 パキスタンといえば、国際的テロ組織アル・カーイダのメンバーを匿っていると疑われ、隣りのアフガニスタンの政治不安を引き起こしているタリバンとの関係も指摘され、国際的イメージは危険で怪しげな国家になっている。 そこに出現した若くて美しい外相は、パキスタンのイメージ改善に大いに貢献するかもしれない。 実際、長年の仇敵インドの報道ぶりがそれを示した。

 だが、美人外相の誕生は、決してきれい事ではない。 あくまでも魑魅魍魎のパキスタン政治のメカニズムが働いた結果であるはずだ。

 パキスタンの真の最高権力者として政治を動かしているのは軍だ。 軍の意向に逆らったり、波風を立てるような人物は政府から排除されなければならない。 ヒナの前任シャー・メフムード・クレシは野心家で、それゆえに交代させられたとされる。

 パキスタンの政治問題専門家ハサン・アスカリは言う。

 「軍に代表される権力者たちは、彼らの言うことをなんでも受け入れるヒナに満足している。 彼女なら問題を起こさない」

 つまり、真の権力者たちは手ごろな飾り物としてヒナを選んだのだ。

 また、大統領ザルダリが言うような「女性の参画」が現状のパキスタンで進むとも思えない。

 パキスタン社会には、封建制と呼べるような古い伝統がしっかりと維持されている。 大土地所有者の農園で、農民たちは農奴同然の身分に置かれている。 パキスタン国会とは大土地所有者たちの利害調整の場でしかない。

 ヒナの家も典型的な地主で、広大なサトウキビ・プランテーションやマンゴー農園を持っている。 彼女が米国でMBAを取得しようが、政治的立場は現在の社会構造を維持しようとする保守派である。 ヒナの外相就任と女性の本格的な社会進出には、なんの関連性もないのだ。

 一見、パキスタンの変化を示すような美人外相の誕生だが、実際のところ、権力者たちが現状維持を固めるために権謀術数をめぐらせた結果としか言いようがない。

 そう思って、ヒナの写真をあらためて見ると、客に媚びる水商売の女のようでもある、と言っては言い過ぎか。 そりゃ、いくらなんでも言い過ぎだ。

2011年7月12日火曜日

パラオで歩く

 東京の街、信号のない横断歩道で、歩行者のために停止しようとするクルマはほとんどない。 渡りかけた人がいてもブレーキをかけずにハンドルを切って避けるだけという人殺し予備軍の運転者だって珍しくない。

 電車の中で、老人や身体障害者を無視して座席に座り続ける他者への無関心さ、非社会性と同根の、優しさが欠落した人間たちの姿だ。 こんな冷淡な人間たちの棲むところを文明社会とは呼びたくない。

 東京から南へ3000km。 太平洋のミクロネシアと呼ばれる一帯に浮かぶ小さな島国パラオ。 1年ぶりに、そこに住む知人と酒をくみかわしに行ってきた。

 パラオは、19世紀以来、スペイン、ドイツ、日本の植民地となり、太平洋戦争のあとは米国の信託統治領となった。 独立したのは1994年。 本当に小さな国だ。 現在の人口21,000人は世界232か国中219番目。

 植民者たちはパラオ人を原住民とか土人と呼び、まともな文明人として扱ったことはなかった。 民主主義の米国にしても信託統治時代は、zoo theoryと揶揄された政策 、つまり、住民を動物園の動物たちのように飼い殺しにする政策を取った。 冷戦期、太平洋の軍事戦略上、重要な地理的位置にあったパラオを軍事拠点として確保するため、米国は莫大な経済、財政支援で政治的、経済的安定を維持した。 独立後も経済的自立は難しく、米国からの援助は続いている。

 今、パラオは世界的なダイビング・スポットとして注目を浴び、美しい珊瑚の海を目指して、多くの日本人が訪れている。 だが、彼らにしても、海中に舞う小魚に対する以上の関心をパラオの人間たちに示しているとは思えない。

 ウェブでも本でも、パラオの観光ガイドを見れば歴然としている。 ”美しい珊瑚礁”や”巨大なジンベイザメとの遭遇”はあっても、人に関する情報は無に等しい。 あったとしても、日本統治時代にパラオ語になった日本語の紹介、例えば、ブラジャーがチチバンド、といった程度でしかない。

 つまり、パラオ人は、日本人から今でも南洋の土人扱いされているのだ。

 だが、社会的弱者を無視し、歩行者をひき殺しかねない運転をする日本人がパラオ人を見下すのは、天地がさかさまの論理だ。

 パラオの最大都市コロール、と言っても日本の村程度の規模だが、街の中央を通る道路はクルマが多い。 この国に交通信号はひとつもないが、横断歩道はいくつもある。

 東京と逆なのは、人が横断歩道の手前に立つだけでクルマが止まってくれることだ。 横断歩道のないところを渡っても、クルマは徐行してくれる。 クルマが人に、とても優しいのだ。 道路を歩いて渡るのが、とても気持ちいい。

 パラオの社会には、人間関係のハーモニーがあるのだ。 これこそが文明であって、他者を無視する世界を支配するのはジャングルの掟であって、文明社会ではない。

 パラオ人は怠け者で働かないと、外国人は卑下する。 だが、これも当たらない。 彼らは働く必要がないから働かない。 米国の莫大なzoo theory 援助のおかげで、彼らは働かなくても十分生活が成り立つのだ。 日本からの援助もばかにならない額になっている。

 冷戦は終わったが、中国が太平洋へ軍事的に進出する動きをみせている。 米国は中国を牽制するために、パラオの戦略的重要性に再び目を向けているはずだ。 つまり、これからも米国のパラオ経済支援が続くということだ。 だから、パラオ人はまだまだずっと働かないで生きていけるだろう。

 だが、彼らは根っからの怠け者ではない。 パラオ人は米国市民権を持っており、米国本土へビザなしで行くことができる。 多くの若者たちは米国の大学に入り、卒業後も本土に留まる。

 米国では働かなければ生きていけない。 パラオでは働かないパラオ人も、米国では働くのだ。 パラオ人を怠け者と見くびってはいけない。

 われわれ日本人も、パラオ人からクルマの運転を習って、文明人に少しでも近付こうではないか。   

2011年7月7日木曜日

ありがとう、キム・ヨナ!!

 キム・ヨナ、氷上で美しすぎる君は、国際オリンピック委員会総会という外交の場でも、十分魅力的だった。 南アフリカのダーバンで開かれた総会で、2018年冬季オリンピックを韓国の平昌に招致しようと、広報大使として訴える君の誠実な姿は、一アスリートを超え、人間としての大きさをもみせてくれた。

 そして、7月6日。 「2018年は平昌に決定」の朗報が飛び込んできた。

 キム・ヨナ、ありがとう。 おかげで、2020年夏季オリンピック招致に偏執狂的にこだわる東京都知事・石原慎太郎の野望に対し、かなりの打撃を加えることができた。

 冬季と夏季は異なるオリンピックだが、それでも国際オリンピック委員会の多くの委員の心情は、平昌→東京と2回連続のアジア開催に強い反発があるとみられている。 2018年平昌招致が決まれば2020年東京招致が遠のくのは間違いない。

 キム・ヨナよ、非力な東京住民は石原の野望打破のための武器をまだ蓄えていない。 この現状では、君の魅力で2018年冬季を平昌に引き寄せるのを静かに応援するという他人頼みの消極的、心情的手段しか持ち合わせていなかった。

 キム・ヨナに続いて、われわれ東京住民も、東京招致の野望にとどめを刺すために動きださねばならない。

 われわれにオリンピックなんか必要ない。 東日本大震災復興のシンボルなんかいらない。 カネがあるなら、せいぜい東京―青森間の自転車道路でも建設しようではないか。 シンボルだったら、それで十分すぎる。

 さあ、立ち上がろう!! キム・ヨナに恩返しをしようではないか。