2011年8月25日木曜日

カダフィがくれたテレビ


 中東の暴れん坊と呼ばれたリビアの独裁者カダフィの命運も尽きたようだ。 ”アラブの春”の嵐で、堅固と思われていた独裁者たちの政権が、面白いほどあっけなく次々と倒壊している。

 リビアが、まだ国連経済制裁下にあった1990年代前半、カダフィに招待されて30人ほどのエジプト人記者たちとトリポリに行ったことがある(2011年3月6日付け「カダフィは禿げている」参照)。 当時、制裁でリビアは航空機の運行を禁止されていたため、カイロから隣国チュニジアのジェルバ島に飛び、そこから陸路、バスでトリポリに向かった。

 帰路、チュニジアに向かう我々のバスの後ろを大型トラックがずっと追尾していた。 バスの車内では、「あれは一体なんだ」と、記者たちは薄気味悪がった。 トラックはチュニジア国境を越え、空港までついてきた。

 トラックは、我々が乗るチャーター機の横の滑走路に停まり、荷物を降ろし始め、大きなダンボール箱が山積みにされた。 なんと、驚いたことに、これらの荷物は、訪問した記者一人一人へのカダフィからのお土産だという。 そして、その中身に、我々全員があきれてしまった。 メイド・イン・リビアの大型テレビだったのだ(無論、当時のテレビはブラウン管)。

 エジプト人記者の自宅にだって、テレビくらいはある。こんなもの持って帰ったって、どうすりゃいいんだ、と文句を言いたくても、もう遅い。 荷物の機内積み込みは始まっていた。 そもそも、独裁者カダフィに「要らん」と突っ返すなんてことをできたわけもない。

 案の定、カイロ空港の税関では、突然持ち込まれた数十台のテレビでひと悶着になり、通関するのに数時間かかった。

 とはいえ、迷惑ではあったが、この土産には、遠路はるばる来てくれた客への田舎のオジサン風の精一杯の歓待の気持ちを感じた。 独裁者の素朴すぎる側面だ。 西欧的概念である国民国家の最高指導者になっても、それは名目だけで、自分の心意気は伝統的部族社会の長であり、我々にそう振る舞った好意の結果がテレビだったのだと思う。

 語弊を恐れず言えば、「古き良き独裁時代」だった。

 おそらく、これまで君臨してきた中東のたいていの独裁者たちは、自分が悪人などと想像したこともないだろう。 彼らは、慈悲深く国民を庇護する父として、確固たる自信を持って政権を運営し、逆らう人間を躊躇なく殺して秩序を保ってきた。 

 今、中東の民主化運動を支持する姿勢をとっている米国も西欧諸国も、つい最近、「アラブの春」が始まる前までは、こういった訳のわからない独裁者たちの形成する中東秩序を肯定していた。 そこから恩恵を受けていたからだ。

 恩恵の内容は、石油を筆頭とする経済的権益とともに、政治戦略的には、米欧が支えるイスラエルの存在を維持することだ。 中東の独裁者たちは、アラブの土地を略奪して作られたイスラエルという国家を敵とみなしながら、米国に宥めたり脅されたりされているうちに、手も足も出なくなっていた。 だから、秩序が維持されるかぎりは、西欧型民主主義のなんたるかを理解できない独裁者のおつむの中がどうなっていようと、どうでもよかった。

 それでは、民主化運動で独裁政権が倒されると、これまでの中東秩序はどうなるのか。 多分、ほっとけば無秩序になる。

 中東イスラム世界の民衆は、根深い反イスラエル感情を持っている。 そのイスラエルに何も出来ない、あるいは何もしようとしない独裁者への不信感が、民主化運動のひとつのエネルギー源にもなっている。 イラクのかつての独裁者サダム・フセインがアラブ民衆から一定の支持を受けたのは、イスラエルとイスラエルを支える米国と真っ向からぶつかったからだ。

 独裁の重しを取り除けば、剥き出しの反イスラエル感情が噴き出す恐れが現実のものになる。民主化で続々と誕生する新政権が反イスラエル姿勢を強めるのは当然のことだ。 そうなれば、イスラエルの生存そのものが危険に晒されるかもしれない。 

 民主化を支援する米国と西欧諸国が決して見たくない「民主化の悪夢」だ。
 それを目の当たりにすれば、米国も英国もフランスも、そしてムバラクもカダフィも、みんな揃って「古き良き独裁時代」を懐かしむだろう。