”秘境ブータン王国”の若くてハンサムな国王と愛らしい王妃が11月に日本にやって来て、ちょっとしたブータン・ブームが起きた。 先代の国王が国民総生産(GNP)に替わる基準として提唱した「国民総幸福量(GNH)」という言葉
、国民の97%が「幸福」と回答した国勢調査の結果もすっかり知れ渡った。
、国民の97%が「幸福」と回答した国勢調査の結果もすっかり知れ渡った。
ぎすぎすした日本社会では感じられない、ほんのりとした幸せの国ブータン。 そんなイメージに現代日本人は魅かれたのだと思う。 調和のとれた伝統社会の維持、日本人に似た容貌のブータン人、日本の丹前にそっくりな伝統衣装…。 そういったことも日本人に親近感を抱かせたのだろう。
よし、ブータンに行ってみよう。
早速、情報収集に乗り出してみた。 はじめは、ブータンに関する情報量の少なさに、さすが”秘境の国”と思った。 しかし、断片的な情報をかき集めていくうちに、微妙な疑問が湧いてきた。 ブータンは本当に幸福の国なのだろうかと。
最初に調べたのは、東京から首都ティンプーまでの航空券だった。 東京からの直行便がないのはわかっていた。
あらためて秘境と思ったのは、ティンプーに飛ぶフライトはブータン国営Drukairだけと知ったときだ。 しかも、この小さな航空会社の飛行機は、タイのバンコク、バングラデシュのダッカ、ネパールのカトマンズ、インドのコルコタ、デリーの5都市からのルートしか持っていない。 このことは、旅行者に大きな経済的負担を強いることを意味する。
1つの航空会社が独占するルートでは、ディスカウント料金はなく、正規料金を払うしかない。 とりあえずバンコクまで格安チケットで行っても、その先、ティンプー往復には760ドルがかかる。
さらに驚かされたのは、ブータンには公定料金によるパッケージツアーしかないということだ。 この料金が1日200ドル。 ホテル、食事、クルマ、ガイド代などが含まれるが高額であるのは間違いない。 専門の旅行会社に申し込んで、アレンジをしてもらう。 南アジアで一般的なバックパッカーの貧乏旅行は締め出されているのも同然で、実質的に金持ち観光客だけを受け入れているといえる。
ただ、フライトの制限、高い公定料金は、外国人観光客の急激な増加を抑制し、伝統文化への悪影響を極力少なくするという効果はあるだろう。 その意味では、近代化=西欧化のマイナス面を抑え、伝統を守って幸福社会を作っていくという国是には悪くない。
だが、本当に、こんな国是の維持は可能なのだろうか。 ブータンはとうの昔に鎖国状態から脱し、今、われわれと同じグローバル化した世界の中にいるではないか。 首都ティンプーには、インターネット・カフェもあり、世界の情報はテレビからも入ってくる。 携帯電話も今や珍しくない。 街では、コカコーラも、タイのシンハ・ビールも、日清のカップヌードルも売っているそうだし、ゴルフ場だってあるそうだ。
ここに掲載してある2枚の画像はウェブ上でみつけたものだ。 日本で見慣れている若者たちの姿と変わりはしない。 男の子たちは街頭でヒップホップ・ダンスに興じている。 伝統衣装のブータン人というイメージとは、あまりにかけ離れているではないか。 そう、「秘境」を期待してブータンに行くと失望するかもしれないのだ。
もちろん、ヒマラヤの山懐に位置し、交通不便な僻地なのだから、古い伝統が他の国より保たれているのは確かだろう。 だがブータンに行くなら、「幸福の国」というユートピア幻想にとらわれず、ちょっと変わった発展途上国に行く、といった程度の期待感におさえておいた方がいいかもしれない。
ブータンという国は民族的に複雑で、先住ブータン人、チベット系、ネパール系、その他の少数民族が混在し、言語も異なる。 先代国王は1989年に、「民族衣装着用、チベット系のゾンカ語の習得、伝統的儀礼・作法の遵守」を国民に義務付ける布告を出した。 ブータン人のアイデンティティ確立を目指した施策だが、ネパール系住民が強く反発し、90年代には激しい反政府運動へと発展した。 当時、多くの住民が難民としてネパールへ流出した。
隣接するインドのアッサム州で独立闘争を続けるアッサム統一解放戦線やアッサムの先住民ボド族過激派・ボド防衛軍の存在もブータンの治安を悩ませているらしい。 ブータン国内を聖域にして対インドの活動を続けているからだ。
首都ティンプーの人口は急増しているという。 このことは、農業主体のブータン社会の変貌が進行しつつあることを意味するだろう。 そして、都市人口の増大とは、経済発展をしてきた国が必ず経験する現象であり、貧富の格差、社会的不満を生み、やがては政治的変革を必要とする。
いずれの事象も、アジアの途上国では、ごく当たり前のことだった。 それを乗り越えて、国の体裁を作ってきた。
西欧化に対抗し、新しい価値を生み出そうとする運動にはロマンがある。 だが、アジアでは、西欧化ではない理想社会の建設は好ましい結果を生み出してはいない。
カンボジアのポルポト一派は西欧の臭いを消し去ろうと自国民に対する未曾有の大虐殺へ突き進み、結局地上から消えた。 独裁者パーレビの極端な近代化=西欧化への反逆で生まれたイランのイスラム国家は世界から孤立し、いまだに行く末が定まらない。
ブータンの試みは、もっと穏やかな道を模索しているのだろう。 ブータン旅行とは、そのプロセスの観察といったところか。 それにしても、もっと安くならないのか。