3か月前、9月9日付けで、島根県・津和野で知った明治のキリスト教徒弾圧「浦上四番崩し」を取り上げた。 だが、これは、決して誰もが知らない歴史事実ではない。 ウェブで検索すると、かなりの情報を得ることができる。 おそらく、浦上をはじめ多くの隠れキリシタンが住んでいた長崎県や、弾圧の現場となった山口県では、よく知られていることなのだろう。 観光で訪れた人、キリスト教徒なども耳にしていたに違いない。
だが、たいていの人は、明治になってからもキリシタン禁制が続き、残酷な拷問が継続していたことを知れば驚かされる。 徳川幕府の鎖国政策と軌を一にしてキリスト教が禁止されたことは誰でも知っている常識だ。 その同じ常識で、明治の開国とともに、キリシタン禁制は解除されたという思い込みにつながっていた。
そもそも学校教育の場では、キリシタン禁制がどのように終結したか教えているのだろうか。 3か月前から気になってしかたなかったので、近くの都立高校に行って、日本史の教科書をみせてもらった。 すると、驚いたことに、短いが、かなり正確に記述されていたのだ。
<以下、改訂版 詳説 日本史B(山川出版社)からの抜粋>
「キリスト教に対しては、(明治)新政府は旧幕府同様の禁教政策を継続し、長崎の浦上や五島列島の隠れキリシタンが迫害を受けた。しかし、列国の強い抗議を受け、1873(明治6)年ようやくキリスト教禁止の高札が廃止された」
「浦上のキリシタンは、1865(慶応1)年、大浦天主堂の落成を機に、ここを訪れたフランス人宣教師に信仰を告白して明るみに出た。しかし、明治政府は神道国教化の政策を取り、浦上の信徒を捕らえ、各藩に配流した(浦上教徒弾圧事件)」
だが、これだけでは、キリシタン禁制がいつ、どのようにして終ったのか、という問いに答えてはいない。 この教科書では、明治6年にキリスト教禁止の高札が廃止されたと記述しているが、あくまでも道端に立っている高札がなくなったというだけで、キリスト教禁止が解除されたとは言っていない。 まさに、それが事実だからだ。
それでは、禁止がなくなったのはいつなのか。 先達の歴史研究によれば、明治政府はキリスト教解禁を公式にはまったく表明していない。 高札廃止で、なし崩しにキリスト教を認めて、列強の抗議に応える一方、明治政府は自分たちのメンツを保ったのだ。 日本の政治家や役人の姑息な手口は今に始まったのではないことがよくわかる。
明治以来、日本政府はいまだにキリスト教解禁を表明していない。 つまり、キリシタン禁制は公式には今も続いているということになるのか。 そうはいかないらしい。 研究者たちは、明治22年、「信教の自由」を謳った大日本帝国憲法の発布を以って、キリシタン禁制が正式に終結したと解釈する。
そして、今年も、もうすぐクリスマス。 今では、この時季だけ日本人は総キリシタンになる。
<この記事に関心を持った人へのクリスマス・プレゼント・リスト>
「浦上四番崩れ―明治政府のキリシタン弾圧」 片岡弥吉 著 ちくま文庫、 「浦上四番崩れ―詩集」 上村 馨 著 山口書店、 「津和野の殉教物語―乙女峠 」 永井 隆 著 中央出版社、 「最後の殉教者」 遠藤周作 著 講談社、 「女の一生 一部・キクの場合」 遠藤周作 著 朝日新聞社、 「岩倉使節団における宗教問題」 山崎 某 著 思文閣出版
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