日本人ジャーナリスト山本美香が、内戦のシリアで銃撃され、死んだ。 戦争取材の現場で、死はロシアン・ルーレットみたいなものだ。 いつか誰かが確実に当たる。 ジャーナリストたちはそれをわかっていながら前線へ向かう。 彼女は血を流し、死につつあるとき、自分の命運を受け入れたはずだ。
彼女の死を伝える朝日新聞2012年8月22日付け朝刊の1面コラム「天声人語」は、こう書いている。
「戦争ジャーナリストは割に合わない仕事である。 殺し合いの愚かしさを伝えるために我が身まで狂気にさらすのだから。 しかし、男でも女でも誰かがやらないと、情報戦のウソで塗られた戦場の真実は見えてこない」
2面の記事では、中東アフリカ総局長・石合力も書いている。 「危険を冒して取材するのはなぜか。 虐殺や人道被害では、現場で記者が取材することが真実にたどりつく限られた方法だからだ」と。
だが、朝日新聞は、山本が殺されたアレッポのようなシリアの危険な現場に記者を派遣していない。 上記のふたつの記事は奇麗事を並べていても、「わが朝日新聞は真実を取材しておりません」と告白していると受け取れなくもない。 これについて、同紙はなにも説明していない。
一方、同じ日付の毎日新聞朝刊は3面で、同紙のシリア取材について、興味深い説明をしている。
「毎日新聞はこれまで、シリア政府発給のビザを取得した上で入国し、取材にあたっている。 記者や助手、協力者の安全に配慮しつつ、できる限り現場で起きている事象を詳細に把握、より多くの当事者の声を聞き、正確な報道に努めている」
これを翻訳すると、以下のようになる。
「毎日新聞は、虐殺や反人道的行為を続け、国際的に非難されているシリア独裁政権から正式の許しを得て入国し、取材している。 山本美香のように、反政府勢力の手引きで非合法に入国する危険な取材は行っていない。 現場に直接行って、命をかけるようなことをせずとも、安全に情報を収集し、正確な報道ができると信じている」
日本の大手メディアは、朝日、毎日に限らず、NHKに代表されるテレビも含め、自社の記者を、今回のシリアだけでなく、戦争などの危険地帯に派遣していない。 その理由は、経営側の意向が働き、行き過ぎた取材競争の末、社員を出張で死なせて莫大な補償金を払ったり、その他もろもろのゴタゴタに巻き込まれるのを避けたいためだ。 1991年のイラク戦争のときに、大手各社が手を組んで、戦争取材に記者を派遣しないという横並びの協定を結んだ。
それ以来、日本の大手メディアは去勢されている。 日本人記者から命がけの冒険談を聞けるとしたら、それ以前の時期に最前線にいた連中で、現在はほとんどが現役を引いている。
真実を追い求めることを使命としている新聞やテレビは、今回のような事件が起きると実に悩ましい。 朝日新聞のように、自己矛盾を露呈したり、毎日新聞のように訳のわかったような、わからないような奇妙な言い訳をする。 山本美香からの映像、情報を買っていた日本テレビにいたっては、自分のところの記者に代わって彼女を死なせたと揶揄されかねない立場だ。
もちろん、取材にあたる記者たちは、こういう現状を苦々しく思っている。 灯りに飛び込む夏の虫のように、どんなに危険であろうと現場に飛び込もうとするのが記者の本能だからだ。
日本の報道はつまらなくなったと言われて久しい。 それは仕方のないことだ。 現場に記者がいないのだから。 今、彼らは何が楽しくて仕事をしているのだろう。