2013年5月25日土曜日

報じられないエベレスト挑戦

サウジのラハ・モハラック

ネパールのミン・バハドゥール・シェルチャン

 日本ではほとんど報じられていないが、日本人の冒険家・三浦雄一郎が世界最高齢80歳のエベレスト登頂に成功する5日前の5月18日、もう一つの画期的なエベレスト登頂があった。 サウジアラビアの女性として初めての登頂だ。

 イスラム教社会の古くからの伝統が維持されているサウジアラビアでは、女性の社会進出やスポーツ参加には厳しい制約がある。 世界で、女性の自動車運転が認められない唯一の国でもある。 オリンピックへの女子派遣も2012年ロンドン大会でやっと実現した。

 こういう国の女性がエベレストに挑戦したこと自体が驚きであり、まさに画期的な出来事と言える。 彼女の名前は、ラハ・モハラック、27歳のグラフィック・デザイナー。 「伝統的で保守的な家族に登山を認めてもらうよう説得するのは、エベレスト挑戦と同様大変なことだった」と、ツイッターに書き込んでいたという。

 さらにもう一つ、日本であまり報じられていないニュースは、三浦にとって最も手強いライバル、81歳のネパール人ミン・バハドゥール・シェルチャンのエベレスト再挑戦だ。 2008年5月、三浦が75歳での登頂に成功する直前、76歳のシェルチャンが頂上を極め、「世界最高齢」の栄誉をかっさらった。 今回は、三浦のあとの挑戦だが、成功すれば三浦の栄冠はほんの短期間で再びシェルチャンのものになる。

 これは、三浦にとっても、日本の愛国者たちにとっても面白くない。 おそらく、日本でシェルチャンのニュースが多く伝えられない理由だろう。 だが、右翼メディア・産経はベースキャンプまで行って、こんな記事を送っていた。 

 「シェルチャン氏は17日、ベースキャンプで取材に応じ、1931年6月20日生まれの81歳と答えた。登山目的については『世界平和や核の根絶をベースキャンプに集まる登山者を通して訴えたい』と話した。
 しかし2008年、産経新聞の取材では、年齢が不自然に変更された経緯があったほか、頂上アタック時にはキャンプ1(標高6050メートル)以上での目撃情報がなく、登頂後、証明写真の提示もなかった。
 今回はヘリコプターでベースキャンプ入り。高所登山に必要な高度順化もしていないといい、『準備が急で登山費用が集められず、訓練もしていない』と話す。各登山隊からは登頂が可能なのか疑問視する声も上がる」

 シェルチャンは年齢をごまかし、登頂成功もウソだと臭わせている。 右翼の希望的観測で終らないことを祈る。 しかし、今回のシェルチャンの挑戦は、ネパール政府も100万ルピー(約110万円)の支援金を出すことを決めて応援している。 したがって、彼が成功したとき「インチキだ」と声を張り上げるのはネパール政府を敵に回すことになりかねない。 とりあえずは、静かに失敗を祈るのが得策だろう。

 (シェルチャンは5月28日、体調不良で登頂を断念したという”朗報”が伝えられた。 多くの日本人はほっとしたことだろう)

 三浦の成功は、おそらくスポンサーから提供された莫大な資金と大人数の支援によるものだ。 三浦は登ったのではなく、運び上げられただけだったのかもしれない。 そうだとすれば、本来の登山とは異質のものだ。 検証しなくてはいけない。

 騒がれすぎる三浦の”成功”、その前後の無視された二つの挑戦。 このイビツさはどこから来るのか。

2013年5月20日月曜日

Mampoholic Ⅱ ― 縄文ビーチを歩く

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/arc/kantoplain/


  トルコやイラン、イラク内陸部に多く住む少数民族クルド人の地域には海がない。 彼らに冗談めかして「水泳を知らないだろ?」と訊いたら、即座に「もちろん泳げる」と笑って答えた。 その理由は、旧約聖書に出てくる「ノアの箱舟」だった。 箱舟は大洪水に押し流され、現在のトルコ北東部、アララト山にたどり着いた。 この山はクルド人の霊峰でもある。 クルド人は大洪水を生き残ったのだから、当然泳げるというわけだ。

 同じ冗談を海なし県の栃木県出身者に言うときは気をつけたほうがいい。 ひがみっぽい県民性の彼らは冗談を理解しないで、顔をひきつらせるかもしれない。 クルド人のように心が広ければ、「もちろん泳げる。 縄文時代には栃木県にも海があったんだ」とやり返すのだが。

 縄文時代、地球が温暖化し、氷が解けて海の水位が現在よりかなり上がり、今の東京は広い範囲が水没し、東京湾は栃木県にまで達したとされる。 

 「縄文海進」と呼ばれ、水位がピークに達したのは6500年前とされる。 その水位については諸説あるが、東京では現在の海抜10メートル前後のあたりだと思えば、専門家ではない一般人の理解には十分らしい。

 そこで思い立った。 東京の縄文時代ビーチラインを歩いて見ようと。

 きっかけは万歩計の衝動買い。 安いけれど品のないドンキの店内に、何気なく足を踏み込んで買ってしまった。 以来、万歩計を持たないと歩けないmampoholic と化した。 だが、ただ歩くだけでは面白くないので、「玉川八十八ヶ所霊場」というのをみつけ、巡り始めた。 大田区、世田谷区、川崎市などに点在する真言宗の寺巡りだが、所詮そこいら辺のありきたりの寺、八十八のうち三十を回ったところでうんざりしてきた。 信仰心のかけらもないのだから、想定内の成り行きだったと言えなくもない。

 そして、たどりついたのが「縄文ビーチ踏破」だった。 

 すぐに手ごろな地図が手に入った。 大田区が発行した「大田区津波ハザードマップ」。 この裏面には、なんと、「縄文ビーチ踏破」のために作ってくれたのではないかと感激したくなる地図が多色刷りできれいに印刷されていた。 「大田区標高図」と題し、海抜10メートルのラインが非常にわかりやすく描かれている。 しかもタダ。 

 海抜10メートルを目安にすると、あの有名な大森貝塚が海っぺりにあったことが地図からよくわかる。 6500年前、蒲田駅も東急多摩川線、JR、京浜急行も海の中。

 とりあえず、東急多摩川線下丸子駅から、その北側の環状8号線を渡り、やっと海中から這い出して、大田区鵜の木特別出張所付近から東急池上線千鳥町駅方面へ海岸線を歩く。 明らかに、左側の土地は、平坦な右側より高くなっていて、斜面に家々が建っている。 6500年前なら、目の前に海が広がり景色が良かったことだろう。 

 池上線の線路にぶつかる手前に、フラダンス教室があった。 これには、つい笑ってしまった。 6500年前なら、波打ち際でフラダンスを踊れたのに。 今では目の前を電車が走る。

 道端で顔をあわせたおばあさんに、大昔はこのあたりが海だったことを知っているかきいてみた。 「ちっとも知らなかった」と驚いていたが、近くに松林があるけれど「あれは浜辺のあとかねえ」とトンチンカンなことを言った。 「違うよ、バアサン、6500年前のことだよ」と一応は説明した。 だが、縄文杉などというのが屋久島にあるのだから、縄文松があってもおかしくないなあ、という気もしてきた。

 万歩計でタイムスリップするお散歩は悪くない。 それにしても、この海抜10メートル・ラインより上は、田園調布をはじめ上流の住宅街で知られているが、海底だった広い一帯は、小さな町工場が目立ち、低所得の住民が多いのはなぜか。 土地の価値が6500年も前に決められてしまっていたという運命論は受け入れたくない。

2013年5月8日水曜日

”mampoholic” を知っているかい?

(2013年5月1日初の二万歩達成)

(2013年5月6日記録更新)

(2013年5月8日またもや更新)
今年1月に大病をして緊急手術、2週間余りの入院。 退院したとき、体力の衰えは重々承知していた。 だが、外を歩いてみて、腰がまがって杖をついている老女よりも遅く、200メートルほどで足腰の筋肉が限界に達してしまったのは、さすがにショックだった。

 新たな病気は、ここから始まった。 体力回復のために毎日欠かさずにウォーキングをするようになったのがいけなかった。 少し元気になると遠出をしたくなってきた。 そして、街を歩いていて、何気なく万歩計を目にして買ってしまった。 自分はアスリートとうぬぼれ、万歩計などというものは、年寄りのオモチャと見下していただけに、持っているのを友人に見られるのは当初恥ずかしくもあった。

 だが、瞬く間に「万歩計の魔力」に引き寄せられてしまっていた。  1日の歩数が気になって仕方なくなってきたのだ。 少しでも歩数を増やしたいと思っているから、近所への買い物など、ほんの短時間の外出でも万歩計を置き忘れると、ひどく損をした気分になる。 

 こうなってくると、もはや中毒だ。 万歩計を肌身離さず持っていないと落ち着かない。 煙草と同じだ。 それでも、おかげで体力は順調に回復していった。 

 だが、同時に、「万歩計中毒」はさらに昂進していった。 いったい、1日の歩数の限度はどのくらいなのだろうと思ったとたん、挑戦を開始していた。 酒飲みが自分の酒量を試すのと似たようなものだ。

 やってみると、1.5万歩はどうということはない。 2万歩もすぐに到達できた。 現在の記録は2.5万歩余り。 果たして、万歩計の日本記録みたいなものはあるのだろうか。 

 歩数記録を伸ばすには、もちろん体力が必要だが、それよりも重要なのはヒマと時間だろう。 おおざっぱに数えてみると、1時間で6,000歩。 つまり、3万歩を達成するには、休みなしで5時間。 食事や休憩を含め6,7時間とすれば余裕を持って達成可能だ。 

 山登りに行く交通費もないヒマな貧乏人には、きっと面白い挑戦だろう。 ほんの1ヶ月前なのに、万歩計なしで、のんびり散歩していた中毒前の自分の姿が遠い昔のことのように思える。

 (<mampoholic>とは、万歩計を持たずに歩くと情緒不安定になる万歩計依存症を意味する新語.。 「マンポホーリック」と発音する。 生まれたばかりの単語で、まだ辞書には掲載されていない)

2013年5月7日火曜日

イスタンブールより愛をこめて



 いわゆる知識人が事情通と称してテレビに登場し、日本で注目されている社会問題などについてコメントする。 医療や老人介護、あるいは交通渋滞、役人の汚職等々、テーマは様々。 よくある発言は、”進んだ外国”との比較だ。 「外国と比べると日本は遅れてますねえ」といった類のコメント。 しかし、その「外国」がどこを指すのか具体的には言及しない。 なぜなら、彼らは、そんなことは自明の理で、いちいち説明する必要はないと思っているからだ。 

 彼らの言う「外国」は、欧米諸国だけなのだ。 だが、ヨーロッパでも貧しいラトビアとかルーマニアとかマケドニアなどという国は念頭にない。 それどころか、アジアのアフガニスタン、バングラデシュ、ラオス、あるいは、アフリカのザンビア、ソマリア、チャドなどといった世界の最貧国の存在などは、完全に無視している。 こういう概念は明らかに、国家に対する差別だ。 脱亜入欧の近代化でアジア諸国を無視してダイニッポン支配を確立しようとした日本でも、こういう概念の持ち主は少しずつ減りつつある。 やがては絶滅危惧種になるであろう。 だが、いまだに、かなりの個体数が棲息しているのも事実だ。

 最近、その一人が俄然注目を集めた。 東京都知事・猪瀬直樹。 2020年夏季オリンピックに立候補した東京のライバル都市イスタンブールについて、ニューヨーク・タイムズとのインタビューで、「イスラム諸国は互いに争いばかりしている」「トルコの人たちが長生きしたければ、日本のような文化を作るべきだ」と発言した。 ライバルへの批判というより、もはや侮辱だ。 国際オリンピック委員会は、他の立候補都市の批判を禁じる行動規範に違反するとして問題視した。

 報道によると、猪瀬はさる1月に東京オリンピック開催計画を記者発表した席でも、「途上国は先進国のモデルを追いかけていればいい」と、トルコを侮蔑したと受け取られかねない発言をしていた。 猪瀬という人物には、先進国の「上から目線」で途上国を見下す本性がある。 

 今回の猪瀬発言騒ぎを、単なる「舌禍事件」ととらえてはいけない。 世界の人々が集う平和の祭典にまったくそぐわない差別主義者がオリンピックを開催しようとしていることが暴露されたのだ。 本来なら、東京は候補地という地位を剥奪されるべきであろう。

 それにしても、「イスタンブール開催」を一貫して支持してきたThe Yesterday's Paper にとっては、青天の霹靂と言える猪瀬発言だった。 これで東京開催の可能性はこれまで以上に萎み、イスタンブールの地歩がさらに固まったからだ。

 猪瀬発言後にトルコを訪問した日本の首相・安部は、トルコの首相エルドアンに、侮辱発言を取り繕うような言い訳がましいことをしゃべった。 エルドアンは、いつもの生真面目な表情を崩さず、内心ほくそえんでいた。 「ありがとう、これで2020年はイスタンブールで決まりだ」。 
 

2013年5月5日日曜日

富士山は凄い!!!!

(2013年5月3日山中湖で撮影した”逆さま富士”)
  富士山の雄大な円錐形には、誰でも惚れ惚れとしてしまう。 日本人にとって、富士山が特別なものなのは間違いない。 富士山抜きの日本および日本人のイメージを、日本人は想像できない。 ゴールデンウィークの交通渋滞をくぐり抜け、山中湖に行って富士山を見上げたとき、つくづくと思った。 「世界文化遺産」に登録されることが決まった直後だった。 日本文化が富士山抜きに語れないなら、これは当然の決定だ。

 だが、富士山周辺の交通渋滞、観光客目当てのけばけばしい店舗の林立、自衛隊の広大な演習場で響き渡る砲撃の爆発音などを目の当たりにすると、一時は「世界自然遺産」への登録を、誰かが大真面目に目指していたというのは、あきれるばかりの身の程知らずだったことがよくわかる。 日常的には、ここは、あくまでも手軽に楽しめる行楽地なのだ。 

 それにしても、「世界文化遺産」は納得できるにしても、本当にそれだけでいいのか。 「世界遺産」は、「自然遺産」、「文化遺産」、そして、自然と文化を兼ね備えた「複合遺産」の3種類がよく知られているが、もう一つ、第4の遺産がある。 「危機遺産」(World Heritage in Danger)だ。 

 「世界遺産」制度発足の歴史を遡ると、1960年にエジプト政府がナイル川流域で開始したアスワン・ハイ・ダム建設が決定的影響を及ぼした。 このダムが完成した場合、古代エジプトのヌビア遺跡が水没する。 このため、ユネスコが、ヌビア遺跡救済キャンペーンを開始し、遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。

 こうした成り立ちの歴史からして、「世界遺産」で最も重視されるのは、崩壊や喪失の危険にさらされている「危機遺産」なのだ。 

 だとすると、富士山はどうなのか。 富士山噴火は将来確実に起きるとされている。 そのとき、山の形が爆発で完全に変形するのか、円錐形が多少いびつになるだけなのか。 日本人の心の支えが牙を剥き、大量の火山灰がこの国の将来を暗黒世界に塗りつぶす可能性も否定できない。 

 富士山は、実は、文字通り「危機遺産」ではないのか。 

 それだけではない。 富士山は、他の範疇の候補にもなりうる。 それは、「自然遺産」を諦めた理由をそのまま申請理由にできる。 「負の世界遺産」だ。 人類が犯した悲惨な歴史を伝えようとするもので、奴隷貿易の拠点になったセネガルのゴレ島、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したポーランドのアウシュビッツ、広島の原爆ドームなどが入っている。

 富士山とは、日本人の精神的象徴がいかにして汚されてきたかという歴史でもある。 まるで日本の歴史そのものではないか。 富士山は本当に凄い。