(2013年5月3日山中湖で撮影した”逆さま富士”) |
だが、富士山周辺の交通渋滞、観光客目当てのけばけばしい店舗の林立、自衛隊の広大な演習場で響き渡る砲撃の爆発音などを目の当たりにすると、一時は「世界自然遺産」への登録を、誰かが大真面目に目指していたというのは、あきれるばかりの身の程知らずだったことがよくわかる。 日常的には、ここは、あくまでも手軽に楽しめる行楽地なのだ。
それにしても、「世界文化遺産」は納得できるにしても、本当にそれだけでいいのか。 「世界遺産」は、「自然遺産」、「文化遺産」、そして、自然と文化を兼ね備えた「複合遺産」の3種類がよく知られているが、もう一つ、第4の遺産がある。 「危機遺産」(World Heritage in Danger)だ。
「世界遺産」制度発足の歴史を遡ると、1960年にエジプト政府がナイル川流域で開始したアスワン・ハイ・ダム建設が決定的影響を及ぼした。 このダムが完成した場合、古代エジプトのヌビア遺跡が水没する。 このため、ユネスコが、ヌビア遺跡救済キャンペーンを開始し、遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が実現した。
こうした成り立ちの歴史からして、「世界遺産」で最も重視されるのは、崩壊や喪失の危険にさらされている「危機遺産」なのだ。
だとすると、富士山はどうなのか。 富士山噴火は将来確実に起きるとされている。 そのとき、山の形が爆発で完全に変形するのか、円錐形が多少いびつになるだけなのか。 日本人の心の支えが牙を剥き、大量の火山灰がこの国の将来を暗黒世界に塗りつぶす可能性も否定できない。
富士山は、実は、文字通り「危機遺産」ではないのか。
それだけではない。 富士山は、他の範疇の候補にもなりうる。 それは、「自然遺産」を諦めた理由をそのまま申請理由にできる。 「負の世界遺産」だ。 人類が犯した悲惨な歴史を伝えようとするもので、奴隷貿易の拠点になったセネガルのゴレ島、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したポーランドのアウシュビッツ、広島の原爆ドームなどが入っている。
富士山とは、日本人の精神的象徴がいかにして汚されてきたかという歴史でもある。 まるで日本の歴史そのものではないか。 富士山は本当に凄い。
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