2014年5月28日水曜日
混乱のウクライナを食ってしまおう
ウクライナの政治的混乱が大きなニュースになっている。 だが、ウクライナという国のイメージが浮かんでこない。 行ったことのない国であり、ウクライナ人に会ったこともないのだから、当然ではあろう。
そういえば、「鳥人」と呼ばれたセルゲイ・ブブカという棒高跳びの選手はウクライナ人だった。 世界で初めて6メートルを超え、十数回も世界記録を塗り替えたスーパースターだった。 昭和の大横綱・大鵬幸喜の父親もウクライナ人だったっけ。
しかし、この国のイメージ作りは進まない。 それなら、まずは、ウクライナ料理を食べに行こう。 東京では世界中の料理を食べられる。 ところが、ウェブで見るかぎり、東京にウクライナ料理専門のレストランはなかった。 みつかるのはロシア料理レストランばかり。 いろいろ探索しているうちにわかったのは、ウクライナとロシアの料理は非常に近くて、まぎらわしいということだった。
例えば「ボルシチ」。 これまでロシア料理とばかり思っていたが、起源はウクライナらしい。 日本人が知っている、おそらく唯一のウクライナ料理と言えば、「キエフ風カツレツ」だろう。「チキン・キエフ」ともいう。 だが、これがどうもロシア生まれの料理らしい。
この二つの国の料理をながめているだけで、混乱の根源であるウクライナとロシアの複雑な関係が、ほんの少しわかってきたような気がしてきた。
ボルシチとキエフ風カツレツを作りながら、複雑な歴史に思いをめぐらせてみようか。
以下、Wikipedia からの引用。
・・・・・・・・・・
ボルシチ(ウクライナ語: борщ , [ボールシュチュ])は、テーブルビートをもとにしたウクライナの伝統的な料理で、鮮やかな深紅色をした煮込みスープである。
近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及した。現在、東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシャ、イランや、北米在住の東欧系ユダヤ人によっても作られており、多くの国で世界三大スープとして好まれている。
(<注>日本で言われる世界三大スープは、諸説あるが、ブイヤベース(フランス)、トムヤムクン(タイ)、それにボルシチ。 だが、ボルシチはロシア料理とされている。ふかひれスープ(中国)が加わることもある)
<ボルシチの作り方>
ボルシチは、テーブルビートとタマネギ、ニンジン、キャベツ、牛肉などの材料を炒めてから、スープでじっくり煮込んで作る。但し、スープの中身は決まっているわけではない。それ以外の具としてソーセージ、ハム、ベーコン、肉だんご、鶏肉などの肉類や魚のから揚げ、ズッキーニ、リンゴ、インゲンマメなどを使ったりもする。ボルシチの素材は地域によって異なり、特にウクライナでは地方ごとに40種類以上のバリエーションがあるが、いずれもスメタナ(サワークリーム)を混ぜて食べることと、主材料にテーブルビートを使用している点は共通している。 ボルシチを特徴づける鮮やかな深紅色は、テーブルビートの色素によるものである。
通常は温製で供されるが、夏季には冷製で供されることもある。具沢山になるように作るのが一般的であるが、具をすべて漉して汁だけを供する食べ方もある。ニンニクのソースをかけたパンプーシュカという揚げパンを添えることが多い。
<典型的なウクライナ風ボルシチ>
具 : 豚肉 400g、キャベツ 400g、テーブルビート 200g、じゃが芋 300g、ニンジン 1-2本、パセリの根 1本、タマネギ 1個、トマト 2個、サーロ 1個、ディル
調味料類 : トマトピューレ 大さじ1-2杯、バター 大さじ2杯、酢(9%) 大さじ半分、小麦粉 小さじ1杯、砂糖 小さじ1杯、ニンニク、黒胡椒、ローリエ 2-3枚、塩、サワークリーム
1.水2リットルを鍋で沸騰させ、豚肉でブイヨンを作る。
2.テーブルビートを千切りにし、塩と酢を加えてフライパンに入れる。ブイヨンから集めた油、トマトピューレ、砂糖を焼き、鍋に入れ加えて炒め煮る。
3.タマネギ、ニンジン、パセリの根を千切りにして炒める。
4.仕上がったブイヨンに四角に切ったじゃが芋を入れて沸騰させる。千切りにしたキャベツを加えて10分から15分にかけて煮る。その後、炒めたテーブルビート、タマネギ、ニンジン、パセリ、輪切りのトマト、黒胡椒、ローリエ、バターで炒めた小麦粉を加える。
5.5分ほど沸騰させる。その後、パセリの葉とサーロとともにおろしたニンニクを加える。沸騰させた後、火を消し、15分から20分にかけて休ませる。
6.味が薄かったら、塩で調整する。
7.ボルシチを皿に盛り付け、サワークリームと、細かくちぎったディルを加えて出来上がり。ニンニクのパンプーシュカを添える。
<ボルシチ風スープ>
中国、台湾、香港、日本などでは、ボルシチと同じ調味料を用いながら、テーブルビートを用いずに、代用としてトマトを用いた具だくさんでオレンジ色のスープを「ボルシチ」と称している例がみられる。中国は、ソ連との関係が深く、ロシア料理が西洋料理の代表であったが、テーブルビートの入手は困難であったため、正統な「紅菜湯」に対して、トマトで代用したものを「羅宋湯」と称して、洋食店で提供し普及した。「羅宋」は、上海語でルーソンと読むが、英語の「Russian」に漢字を当てたもので、「ロシアの」を意味する。香港では「茶餐廳」と呼ばれる喫茶レストランや学校の食堂でもよく出る洋食メニューである。
日本でのボルシチの紹介は、新宿中村屋にロシアの作家、ウクライナ人のヴァスィリー・エロシェンコが伝え、1927年に販売されたものが本格的な始まりとされているが、このボルシチはテーブルビートを使用せず、トマトを煮込んだものである。
・・・・・・・・・・・
チキンキエフ (ウクライナ語: Котлета по-київськи、英語: Chicken Kiev) は、ハーブをねりこんだ低温のガーリックバターを骨なしの鶏胸肉で巻き、小麦粉、溶き卵、パン粉で衣をつけて焼くもしくは揚げたカツ料理。日本語では「キエフ風カツレツ」とも書かれる。
<歴史>
チキンキエフは伝統的なウクライナ料理にその起源を持ち、料理名はウクライナの首都キエフから採られたとされているが、正確な発祥の地は不明確である。
ロシアの料理研究家ヴィリヤム・ポフリョプキンは、チキンキエフは1912年にサンクトペテルブルクの会員制レストラン「商人クラブ」で発明されたものであると主張した。創作された当時の「チキンキエフ」は「新ミハイロフスキー・カツレツ」という名前であり、ロシア革命の混乱によってレストランの消滅と共に料理自体も忘れ去られた。1947年、ソビエト料理のレストランで「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちに供せられ、この時初めてチキンキエフ(ロシア語: котлета по-київськи, キエフ風カツレツ)に改名されたと述べている[4]。しかし、ポフリョプキンは主張の裏付けを提示しておらず、「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちの食卓に出されるに至った経緯も説明していない。
また、フランスの食品加工業者ニコラ・アペールをチキンキエフの考案者とする説、20世紀初頭のニューヨークのレストランで考案された説も存在する。
・・・・・・・・・・・
カツレツと言っても様々な種類がある。 キエフ風カツレツは、その中のひとつに位置づけられる。 ウクライナ語で、カツレツを「コトレータ」という。
<コトレータ>
コトレータ(ウクライナ語:котлетаコトレータ;ロシア語:котлетаカトリェータ;kotleta)とは、畜肉、鳥肉、魚肉などを用いたウクライナ・ロシア風のカツレツのこと。コトレータはフランス語でカツレツを意味する「コトレット(côtelette)」からの借用語であり、元々はフランス料理であった。なお、料理名としては複数形のコトレートィ(コトレーティ;котлеты;kotlety)が用いられる。
<コトレータの種類>
*牛挽肉のコトレータ / ゴヴャージエ・コトレートィ / Говяжие котлеты / Goviazhii Kotleta
ハンバーグとよく似たタネにパン粉をまぶして揚げたもの。大変ポピュラーな家庭料理の一つで、朝昼晩いつでも供される。普通単にコトレータというとこれを指す場合が多い。
*魚のコトレータ / ルィーブヌィエ・コトレートィ / Рыбные котлеты / Rybnaya Kotleta
魚肉のタネにパン粉をまぶして揚げたもの。
*ポジャルスキー風コトレータ / ポジャールスキエ・コトレートィ / Пожарские котлеты / Pozharskie Kotleta
コトレータのタネにバターを加えるのが特徴である。ポジャルスキー(ポジャールスキイ)は19世紀の料理人で、モスクワとサンクトペテルブルクの間に位置するトヴェルツァ河畔のトルジョークという町で料理屋を営んでいた。茸の煮物を添えた野鳥のカツレツで名を知られるようになり、アレクサンドル・プーシキンが四行詩を詠んでその名を讃えるほどであった。ポジャルスキー自身はヤマウズラやライチョウの肉、または子牛と牛の合挽肉を用いたが、現在では鶏肉、子牛肉、鮭などが用いられる。
*スコベレフ風子牛のコトレータ / テリャーチエ・オドビヴヌィーエ・コトレーティ・スコベレフスキェ / Телячие отбивные котлеты Скобелевские / Telyachie Otbivnye Kotlety Skobelevskie
叩いて軟らかくした子牛のカツレツ肉に小麦粉をまぶしてバターで焼き、玉葱ソースと櫛形に切って揚げたじゃがいもを添える。19世紀ロシアの著名な軍人ミハイル・スコベレフ将軍(Mikhail Skobelev)にちなみ名付けられた。
*キエフ風カツレツ / コトレータ・ポ・キエフスキ / Котлета по-Киевски / Kotleta po Kievski
バターを芯にして薄く叩いた鶏の胸肉を巻き、パン粉をつけて揚げた料理。伝統的なカトレータ・パ・キエフスキは、手羽元の骨を胸肉につけたままにしておく。鶏の挽肉を使うこともある。真ん中にボリュームを持たせ、両脇を尖がったさつまいものような形にすることが多い。温かいうちに切ると、バターが染み出すため、ソースのようにして食べる。定番の付け合わせは細切りのじゃがいものフライとバターをのせたグリーンピース 。発祥については諸説があるが、ロシアでも人気がある。
*野菜のコトレータ
キャベツのコトレータ / カプースヌィエ・コトレートィ / Капустные котлеты / Kapustnye kotleta櫛形に切って茹でたキャベツを小判型にととのえ、溶き卵にくぐらせてからパン粉をつけてバターで焼くか、パン粉をつけてからバターとスメタナ(サワークリーム)をかけてオーブンで焼いた料理。1930年代の肉不足の時代に、肉のカトレーティの代用品として考案された。現在では肉のローストに付け合わせたり、スメタナを添えて野菜の料理として供する。
*茸のコトレータ / グリブヌィーエ・コトレートィ / Грибные котлеты / Gribnye kotleta
挽肉を茸で代用したもの。
*じゃがいものコトレータ / カルトーフェリヌィエ・コトレートィ / Картофельные котлеты / Kartofel'nye kotleta
茹でたじゃがいもをつぶして小麦粉と卵を混ぜ、小判型に成形してからパン粉をつけて揚げたコロッケ風の料理。
*米のコトレータ / ルィソーヴィエ・コトレートィ / Рисовые котлеты / Risovye kotleta
ご飯に小麦粉と卵を混ぜ、小判型に成形してからパン粉をつけて揚げたライスコロッケ風の料理。
・・・・・・・・・・・
2014年5月26日月曜日
タイは革命前夜
タイ人は幸せな人々だ。 何が起きようとあせることはない。 彼らは、「どうにかなる」と時間がたつのを待っていれば、すべてが解決すると信じている。
バンコクの交通渋滞。 高架鉄道が設置されてから多少は緩和されたが、やはりひどい。 外国人は渋滞に巻き込まれてイライラするが、タイ人は動じない。 スノッブな金持ち女たちは、優雅な表情を作って、BMWやメルセデスの運転席で携帯電話の会話を続けている。 彼女たちにとって、渋滞とは、高級車に乗った幸せな自分の姿を、歩道を歩く金持ちになれない普通の人々にみせつける願ってもないひとときなのだ。
どんなにひどい渋滞でも永遠に続くことはない。 やがて動かなかった車列も動きだす。 そしてタイ人は言う。 「ほら、何も問題はない」。
タイは、この20年あまり、めざましい経済発展を遂げた。 その原動力になったのは、日本をはじめとする海外からの企業進出や投資だ。 だがタイ人は言う。 「ほら、ちゃんと経済発展をしたじゃないか」。
タイの長引く政治混乱の解決方法は誰も知らない。 対立する二つの勢力のいずれも、渋滞にはまって抜け道をみつけられない状態だった。 そして、5月22日、タイ伝統の軍事クーデターが起きた。 過去の例を見れば、軍が出てきて成功したこともあれば、しなかったこともある。 ダメなら、次は国民の尊敬を一身に集める国王プミポンの登場となる。
国王の一言で事態は収拾する。 やがて、超法規的クーデター体制が終わり、国会と政府が復活する。 タイ人は、これを「タイ式民主主義」と呼ぶ。
みんながそれでいいと言うなら、「民主主義」かもしれない。 だが、タイの「どうにかなる民主主義」も、そろそろ終わるに違いない。
86歳という高齢のプミポンにかつての精彩はない。 王位継承権を持つ長男の王子ワチラロンコンには人望がなく、王室にひれ伏してきたタイ人も王制の存続に不安を抱く。 最後は国王に全面的に頼るという政治伝統が終焉を迎えようとしているのだ。
そして政治社会構造の変化を見逃すことはできない。 経済的・社会的な既得権益者たちと軍による支配構造の上に国王を据えたシステムが、時代の変化に対応しきれなくなっている。 これまで政治的弱者だった北部・北東部の貧困層が発言するようになり、従来の支配構造の再構築を目指しつつある。 現在の政治混乱の根源である。 革命前夜と言えるかもしれない。
つまり、何もしないで待っていても、何も起きない新しいタイが生まれようとしているのだ。 われわれは今、歴史の目撃者になっている。
登録:
投稿 (Atom)