「戦後食糧難の時代、ユニセフミルクとも呼ばれた学校給食の脱脂粉乳が、ユニセフを通じ世界から日本へ届けられました」
きょうの新聞(2017・10・17 読売)に掲載されていたユニセフの広告は、学校給食の脱脂粉乳に実に誇らしげだ。 貧しかった日本の子どもたちの栄養改善に貢献したというわけだ。 おそらく、その通りなのだろう。 だが、当時、脱脂粉乳を半ば強制的に飲まされた世代の日本人、「団塊の世代」以上の年齢に達している人たちは、その誇りに嫌悪感や吐き気を催すかもしれない。
とにかく不味かった。 当時の給食で出てくるものは、なにもかもが不味かった印象しか残っていない。 無論、ときには旨いものもあったのだろうが、給食に良い記憶はほとんどない。 教師も「残すな」と子どもたちを睨みつけ、吐き気をこらえながら飲み込まされたこともしばしばだった。 給食とは拷問であった。 その最強の武器が脱脂粉乳だった。
今どきのスーパーで売っている粉ミルクやスキムミルクも脱脂粉乳だそうだが、不味くはない。 給食ミルクがなぜ不味かったのかわからない。 だが、団塊オヤジたちが酒場で一杯やりながら、給食の思い出話を始めれば、無理やり飲まされた脱脂粉乳の悪口でかなり盛り上がるだろう。
だから、きょうの広告は、犯罪者が自分の犯行であると自白したようなものでもある。 だが、「悪うございました」と謝罪するのではなく、逆に「感謝しろ」と威張りくさっているようにすら受け取れる。
新聞広告に付けられている給食の写真は、まさに「フェイク」だ。 男の子が嬉しそうに脱脂粉乳を別の男の子の持つ容器に注いでいる。 冗談ではない。
この写真にふきだしを付けて、正しい台詞を書き込むなら、「おまえには、たっぷり飲ませてやるぞ、へへへ」「バカ、やめろ。ふざけるな」
おそらく、この広告制作者はかなり若い人で、ある年齢以上の日本人が脱脂粉乳をいかに嫌悪していたかを知らないのだろう。
学校給食を紹介している「学校給食」というサイトによれば、学校給食は昭和22年(1947年)に全国都市の児童300万人に対して始められ、アメリカから無償で与えられた脱脂粉乳が使われた、となっている。 さらに、昭和24年(1949年)からは、ユニセフから寄贈を受けた、としている。
「援助の歴史」というサイトによると、第2次大戦後、対日援助のために、アメリカ、カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーなどの国から集められた物資の窓口を一本化するためにLARA(Licenced Agencies for Relief in Asia)という組織が発足し、1948年LARA物資による給食が開始されたとなっている。 また、1949年に始まったユニセフ活動では、62年までに脱脂粉乳が緊急用として71万4千ドル、母子福祉に101万9700ドル分が援助された(この金額、現在の感覚では少なすぎるが…)。
LARAとユニセフを通じて日本に届いた脱脂粉乳は、実際には、ほとんどアメリカから来たものであろう。
当時は、凶悪な軍国主義日本を倒したアメリカは憧れの輝ける国だった。 それでも、あの恐ろしく不味いミルクがアメリカから来たということは、子どもたちもなんとなく知っていた。 アメリカ人は日本人を人間扱いしていないから、あんなミルクを寄越すんだ、などという声も聞かなかったわけではない。 もしかしたら、それは本当かもしれない。
だが、今になってみれば、多くの日本人がアメリカへ観光旅行に行って、アメリカの食べものがひどく不味くて、アメリカ人の多くが味覚音痴だと知っている。 だから、ゲロを我慢しながら飲んだ脱脂粉乳も、善意のアメリカ人がご馳走だと信じて誠心誠意作った可能性も否定はできない。
これは喜劇なのか悲劇なのか。 自分たちが常に正しいと信じきっているアメリカ人とつきあうとき、脱脂粉乳の味は教訓になるかもしれない。
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