2009年12月31日木曜日

9日間の日本人


 家の中にたまった埃を払い落とすと、いいかげんな人生をおくるうちに自らの内面にこびりついた後ろめたさまで洗い流した気になれる大掃除。

 除夜の鐘が聞こえ始めるころ、寒さを禊と思って近所の神社に初詣する。ポケットでじゃらじゃらする1円玉、5円玉、10円玉をかき集め賽銭箱に放り込む(50円玉や100円玉は巧妙に手触りで残しておく)。そして、神社の振る舞い酒は図々しく2杯目をもらう。

 1年に1度、いいかげんであろうと我が身を清めたくなる年末年始。からだに滲みつくものは本来、穢れかもしれない。だが、「清め」という日本人のDNAが滲みついている自分を感じる期間。その期間とは、正確には、クリスマスの翌日・12月26日から正月3が日の最後・1月3日までの9日間。

 9日間の日本人。残りの356日間は、いったい何者?

2009年12月24日木曜日

電車の中の巨大モンスター


 昔々、赤子を載せる(乗せる?)手押し車は「乳母車」と呼ばれていた。 なぜ、「乳母車」と言ったのだろう。 押しているのは、たいてい母親だろうに。 ただ、「乳母」という言葉には、日本人が共同体の中で生きていた、遠く離れた時代の懐かしいかおりがする。 青っ洟をたらした赤ん坊の乳臭さだけでなく、囲炉裏でなにかが煮えるにおい、七輪の火、その上で焼かれる秋刀魚、台所から漂う糠みそ…。 赤ん坊は、母親ばかりでなく、近所のおばさんやお姉さんたちの手も借りて育っていた。

 「乳母車」の名称が「ベビーカー」という和製英語に変わって久しい。 それにつれ、母親たちは、単に母親であるだけでなく、女であることの自覚を強めてきた。 きっと、それは良いことなのだ。 女であることばかりでなく、一個人として社会で、男と対等にわたりあう姿も、今では珍しくない。新しい女の美のかたちである。

 今、ベビーカーを押す若い母親たちははつらつとしている。 着ているファッションもセクシーで攻撃的ですらある。 まるで、子連れでナンパしているのではないかと疑いたくなる魅力的すぎるオンナだっている。 何をしようがアタシの勝手と主張している。

 こういうオンナが近ごろ、巨大化、モンスター化したベビーカーを押して、混んだ電車に突入してくる。 なぜ、あんなに大きくなったのだろう。電車の中では、1台で立っている乗客6,7人分のスペースを取る。 ほんの一昔前の母親は、小さくてきゃしゃなベビーカーを雨傘2,3本分のサイズに折りたたんで赤ん坊を重そうに抱きかかえていた。 乗客はその姿を見て座席を譲ったものだ。

 ごく最近、巨大モンスターの中でも最たるものが目に付くようになった。 「jogging stroller」という米国生まれの”乳母車”だ(写真参考)。 「stroller」(ストローラー)とは、和製ではなく米製英語の「乳母車」。 ジョギング・ストローラーとは、文字通り、赤ん坊を載せてジョギングするためのもので、車輪が大きくスピードがでる。 その分、安全性を高めるために頑丈にできている。 このため、とにかくデカイ。 米国の広々とした公園で使用するには、実によくできたマシンだと思う。 多摩川土手のサイクリング・コースで、外国人がこれを押してジョギングしているのを何度か見たことがある。

 おそらく、セクシー・ママたちはファッションと勘違いして、ジョギングではなく電車のおでかけ用に、巨大モンスターを使っているのだ。

 えらい迷惑だ。 だが、そのことは言わない。 言いたいことは、あの巨大モンスターを電車に運び込んでいいなら、自転車の持ち込みも認めるべきだという点だ。 現在の規則では、折りたたんだり、分解して小さくするだけでは認められない。さらに、それをバッグなどでカバーしないと改札口を通してもらえないのだ。

 心優しいサイクリストたちよ。 ベビーカーの後塵を拝していていいのか。 ママたちは、あっという間にモンスター持ち込みの既成事実化に成功してしまった。 見事と言うしかない。 君たちも、あの戦術を採用すべきではなかったのだろうか。