2010年5月24日月曜日

異邦人


 アルベール・カミュの名作「異邦人」(窪田啓作 訳、新潮文庫版)について、最近、文芸評論家・斉藤美奈子が読売新聞に面白いことを書いていた。

 もし邦題が「異邦人」ではなく「はぐれ者」で、有名な書き出し「きょう、ママンが死んだ」が「きょう、オカンが死んだ」とかだったら、印象は全然ちがっただろう、というのだ。

 この筆者の歯切れの良い評論も悪くはないが、それは置いといて、この文庫本をジーンズの尻ポケットに突っ込んで、小説の舞台であるアルジェに旅して読んだことを思い出した。
 地中海に面したアルジェは、港の後ろに海沿いの大通りがあり、その背後にフランス植民地時代からの建物が並ぶ旧市街が広がる。 背景には緑の小高い丘が連なり、金持ちや外国人の住居、大使館などが点在する。

 「異邦人」に描かれているのは、古くからある旧市街で昔からの街並みが今もほとんど変わっていない。 だから、衝動的な殺人を犯し死刑判決を受ける主人公ムルソーが住んでいたアパルトマン、勤務していた港近くの海運会社事務所、女友達マリイと出会った海水浴場などを、現実に存在するものとして見ることができる。

 おそらく、それは錯覚ではない。 アルジェリアへのフランス人植民者の家に生まれたカミュがアルジェ大学に入学した1930年代に撮影されたセピア色の写真と現在の光景とは、さしたる違いがないのだ。 変貌が日常化した日本とは、歴史という縦糸と社会という横糸の紡ぎ方が根本的に異なるのだと思う。 

 「異邦人」とほぼ同時代に書かれた川端康成の「雪国」の舞台・越後湯沢の現在に、しっとりとした温泉街の雰囲気はもはやない。 巨大な新幹線駅舎とリゾートマンション群が支配する町で、駒子の面影をどうやって思い描けというのか。
 「異邦人」は、実在する死刑囚ムルソー自らが綴った自伝ではないかと思わせるような、心象風景の詳細かつ繊細な描写が凄い。 だから、ムルソーが”生きていた”ころと変わらないアルジェの街でこの小説を読んでいると、自分がムルソーと同じアパルトマンに住む隣人であるような生々しさを感じるのだ。
 小説というものは、「ママン」を「オカン」にするような姑息な言葉遊びなどではなく、異なる場所で読むことによって、内容がまるで違う印象を受けるし、理解の仕方も変化する。

 イラクの首都バグダッド。 チグリス川を見下ろすラシド・ホテルで平凡社の東洋文庫「アラビアン・ナイト」を読む。 語り部シャハラザードの声が確かに聞こえる。
 ジョン・スタインベックが愛犬とアメリカを旅行したエッセー「チャーリーとの旅」をアメリカの安モーテルのベッドで読む。 ノーベル賞作家が「アメリカは漠としすぎている」と耳元でぼやく。
 太平洋の小さな島国の大統領の不思議な物語、池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」。 パラオで読むと、美しい珊瑚礁の魚たちよりも地上の怠け者の人間たちにいとおしさを感じる。
 旅とは本との出会いでもある。 エルサレムに行ったら、宗教心があろうがなかろうが、旧約聖書がお勧めだ。 文化人類学の書物だと思って読むと、パレスチナ人を追い出してイスラエル国家を作った目の前にいるユダヤ人たちの古代の生活にふつふつと興味が湧いてくる。 面白いものだ。
 今、日本人が東京で読むとしたら、村上春樹の「1Q84」ではなくて、ジョージ・オーウェルの「1984年」だろう。 オーウェルが描いた暗い未来の管理社会と現実の管理社会を自虐的に比較できるからだ。

2010年5月18日火曜日

ホームレスにたかる



 ん十万円するロードバイクを買った友人が使わなくなったマウンテン・バイクをタダで譲ってくれた。 多摩川の川縁を自転車トレッキングするのに欲しいと思っていたので、とても嬉しかった。

 ただ、ごついマウンテン・バイクをほんの少しカスタマイズして、マッチョの概観をおとなしくした。 ハンドルバーを10センチほど、ちょん切って、太くてゴツゴツしたタイヤを細身のものに替えた。 本格的なダウンヒルや山行をしないなら、これで十分だし、街中を軽快に走れる。

 スマートでかっこいいが細くて硬いサドルも、乗り心地の良いママチャリ用のに替えたかったが、あのダサイ見かけのサドルが2、780円もしたので、とりあえずは現状で我慢することにした。

 早速、トレッキングに出発。 土手の上のサイクリング・コースしか走れないロードバイクから、マウンテン・バイクに乗り替えて飛び込んだ草むらのサイクリングは、想像以上の面白さだった。

 土手からは遠い水面が目の前にせまる。 草むらからムクドリが自転車に驚いて飛び立つ。 野糞をしている男の尻からは目をそむける。 思い切って背丈の高い草むらに自転車ごと突っ込んでみた。 ちょっとした子どもっぽい冒険。 自然の中を突っ走る爽快感。 土手を越えて水辺に近づくだけで、世界が一変するのだ。

 それにしても、問題は、やはりサドルだった。 スピードを競うならサドルにまともに座ることはないが、お散歩トレッキングとなると、でこぼこ道でも尻をどっしりとサドルに載せてしまう。 これが続くと、結構しんどい。

 尻が痛いのを我慢していたとき、河原の草むらのむこうに、まるで幻想のように、買いたいと思っていたママチャリのサドルがいくつも見えた。 ウソだろ? 

 近づいてみると、そこはホームレスのブルーハウスだった。 ポンコツの自転車が何台も放り出してある。 50がらみの男が一人立っていた。青ざめた顔色の高収入サラリーマンと違って、健康的に日焼けしていた。 声をかけてみた。

 「自転車がたくさんあるけど、サドルだけひとつくれないかなあ?」 「自転車なんか、河原のあちこちに捨ててあるから、構わん。 これ、今、オレが使ってるやつだ。 持ってきな」

 「ダメモトでとりあえず声をかけてみるもんだろ」と、こっちが言おうとしたセリフまで言ってくれた。

 二子橋と丸子橋の中間あたりの東京側。

 「このあたりで釣れる鯉は臭くないよ。身を薄く切って塩もみしたあと、よく洗う。それをかるく湯通ししたのをポン酢で食う。 今度は釣竿を持ってきな。釣り方教えてやるよ」 「いやー、ありがとう。 サドルをもらって、鯉の調理法まで教えてもらって」

 マウンテン・バイクに乗ると、ホームレスの友達までできるのだ。 もらったサドルを装着してみると想像した通りの快適な乗り心地。

 本当に、釣竿とお礼の焼酎でも持って、また、あのホームレスのところへ行ってみよう。

 ただ、こういう話は面白がるヤツもいれば、生理的な嫌悪感を覚える潔癖症のヤツもいる。 話す相手は気を付けて選ぼう。

2010年5月13日木曜日

南の国のマラソン大会


 スキューバダイビングが目的で南太平洋パラオに行って、到着早々、地元の新聞を雑貨屋で買った。 外国旅行をするとき、その国の様子をいち早く知るには、新聞と市場をながめるのが一番だ。


 今回は、パラオの赤十字協会が開催するwalkathon(ウォーカソン)の記事が、まず目にとまった。 walkathonとは、本来、寄付集めのためのウォーキングやジョギングの大会を意味するそうだが、「参加者全員にTシャツ」というのに気を引かれた。


 開催は5月8日、俺の滞在中じゃないか。 5キロと10キロの2部門。 午前5時登録開始、6時スタートは、ちょっと早すぎるが、5キロ歩いてTシャツ1枚もらえるのは悪くない。というわけで参加することにした。


 しかし、当日、案の定、寝坊した。 スタート地点のナショナル・ジムにたどり着いたときは5時55分。 スタート・ラインのうしろには、すでに数百人の参加者が集まり、合図を待っていた。 とはいえ、登録受付のテーブルには、まだ人がいた。 あわてて手続きを終えたときには、参加者の集団は動き出していた。


 先頭を行く連中は、walkathonというわりには早い。突っ走っていく。 まあ、勝手に行くがいい。 こっちは楽してTシャツをせしめるのが狙いだ。 が、最後尾でも歩いているのは、ほとんどいない。 なんだか、つられるように、いっしょに走り出してしまった。 息の上がらない程度の超スローペースだが。


 横を行くパラオ人が話しかけてくる。 「日本人か? パラオでもNHKが見られるから、野球放送を楽しみにしているんだ」、「私の祖父は日本人でナカムラというんだ。 そう、前のパラオ大統領と同じ名前だ。 ナカムラは頭がいいんだ」、 「普段は、自分で木を削って作った銛で魚を獲っている」


 走りながらだから、雑多な人々との雑多な会話となる。 「オレは米軍に入ってテキサスにいたことがある」と、コニシキみたいな大男。 おかげで、退屈はしない。 サンダルを履いてペタペタ走る小柄な女の子が追い越していく。


 走っているうちに、ずいぶん前に、インドネシアの首都ジャカルタで初めて市民マラソン大会に出たときのことを思い出した。 やはり早朝で距離も5キロ程度だったと思う。 市中心部のモナス広場近くから市を南北に貫くタムリン通りを南へ行って折り返すコースだった。 いつもは車があふれている道路が市民ランナーに開放されるのだ。


 「マラソン大会」と名が付くので、初めてでもあり、それなりの緊張感を持って参加した。 パラオと違い人口大国インドネシアでは参加者も多い。 スタート時の人ごみが多少まばらになって、まわりを見て驚いた。 自転車に乗っているのも、ローラースケートを履いているのもいるではないか。 なんだ、ずるいじゃないか!! そのうち、ランナーの中からは、折り返し点前で中央分離帯を乗り越えてUターンするのが続出した。 まじめに走っていて、ひどくバカバカしくなってきた。


 だが同時に、これが市民マラソンなんだと知り、面白さと魅力を知った。


 トルコのイスタンブール。 ヨーロッパとアジアの境界とされるボスポラス海峡に架かる自動車専用の吊り橋を走る「ユーラシア・マラソン」も魅力的だった。 大会名が雄大だし、橋の上からヨーロッパとアジアを同時に見渡すのもすごい。 参加賞のTシャツはゴールしないともらえないはずだったのに、途中で脱落して帰ってしまった友人も手に入れていた。 今にして思うと、あれはなぜ可能だったのだろう。


 パラオのwalkathonは、5キロを40分で無事完走した。 ゴールで引換券をもらい、赤、黄、緑のTシャツの中からMサイズの赤を選び、ホテルに帰った。


 早速、Tシャツを広げてみる。 胸に「13th Annual Walkathon May 8, 2010」、右袖にスポンサーの「Bank of Hawaii」のマーク。 生地も悪くないし、かっこいい。


 だが、ふと見ると「$3.95」の値札まで付いていた。 いいなあ、南の国の人は、日本人みたいに細かいことに神経を尖らせないで。