2010年7月30日金曜日

東京スカイツリーは壮大な虚像か


 東京・世田谷が高級住宅地になるずっと前、農村風景がたっぷり残っていたころ、どこからでも、西の地平には富士山がくっきりと見えた。 東は目印がないから、どこまで見えたのかわからなかった。 だから、奇妙な建造物が次第に高くなっていくのが何なのか、知っている人は当初あまりいなかった。 それが東京タワーだった。



 戦争に負けた日本が、有名なパリのエッフェル塔よりも高い世界一の鉄塔を作る。 そう、それはまさに、戦後復興の象徴である。 畑の胡瓜をかっぱらって、かぶりついていた世田谷の洟垂れ小僧たちも、遠くに見えるのが東京タワーだとわかると、東の地平を眺めることが、毎日の楽しみになったものだ。 東京タワーは、経済発展にばく進する戦後日本人の精神史に、くっきりと刻まれたモニュメントである。



 今、333mの東京タワーをはるかに凌駕する634mの「東京スカイツリー」の建設が進んでいる。 これも世界一だという。 テレビや新聞は折りあるごとに、高さがどこまで達したか、どれだけ遠くから見えるようになったかを興奮気味に報じている。 「ついに東京タワーを抜く」とか「400mに達する」云々。



  だが、世間の人たちは、”新東京タワー”にどれほどの関心があるのだろうか。 おそらく、少なくとも、興奮するほどのものではないと思う。 テクノロジーの発展で、この程度の高さの建築が難しくない時代となり、世界を見渡せば各地にニョキニョキと立っている。 決して物珍しくはない。



 そもそも、こんな巨大タワーを建設する必要が本当にあったのかどうか、よくわからない。


 来年7月にテレビ放送は地上デジタルに完全移行する。 地デジ電波を行き渡らせるには600mの高さの塔が必要で、スカイツリー完成後は全テレビ局が使用するという。 つまり、現在、全テレビ局が利用している東京タワーは要らなくなるというわけだ。


 東京タワー側も手をこまねいていたわけではなく、東京タワー改修案を出していた。 現在より30mほど高くして、デジタル放送用アンテナを350mの高さに設置するというもので、これで地デジ放送に十分対応できるという内容だった。 ”新東京タワー”の建設費500億円に対し、改修なら40億円で済むという。


 だが、マスコミはこうした動きをほとんど報じなかった。 これが税金を使う公共事業だったら、マスコミはこぞって、”新東京タワー”建設を税金の無駄遣いとこき下ろしたであろう。 ところが、逆に、テレビも新聞も声をそろえて、”夢の大事業”と称賛しまくっている。


 多分、見えないところで、国家意思が働いているのだと思う。 その意図は何か。


 馬鹿げた戦争に負けるべくして負け、打ちのめされた日本人が立ち直るときの象徴になった東京タワー建設の高揚感を人工的に再現しようとしているのだ。 


 日本が唯一自信を持てた経済が停滞し、国民の心はばらばらになり、中心を失った。 日本国民が再び一つになるには、サッカーW杯だけでは心もとない。 南アフリカで多少は頑張ったが、弱小国にしてはよくやったという域を出たとはいえず、しかも勝負は水ものだから、確かな中心にはなりえない。 本当は、東京オリンピックに期待していたのだろう。 だが、誘致に失敗した。


 もはや国民の心の再統一を推進するカードは、東京スカイツリーしかない。 国家意思は叫んだ。 「スカイツリーを宣伝しろ!!」


 最近、友人と車で東京から千葉方面へ高速道路で向かっているとき、巨大な建造物が目に入った。 「あれは何だ」「スカイツリーってヤツじゃないかなあ?」「うん、そうかもしれない」。 会話はこれでおしまい。 関心もなければ興奮もなかった。 少なくとも、われわれ二人のところに国家意思は伝わっていなかった。


 それより、不要になった東京タワーはどうなるのだろうか。 テレビ局が去れば、主たる収入は展望台を訪れる観光客に頼るしかないに違いない。それとて、もっともっと高いスカイツリーに奪われ先細りが目に見えている。


 現実的展望は、<解体>に違いない。 これは、すごい見ものになる。東京タワーの解体の方が感傷的で、国民の関心は、スカイツリーの完成より、はるかに高まるだろう。


 まるでビデオを逆回しするように、東京タワーがだんだん低くなって、ついには消えてしまう。 多くの人が涙にくれ、映画「三丁目の夕日」が全国で再上映されるだろう。


 かくて、東京タワーを葬り去ったスカイツリーは極悪人として、その姿をさらし続けることになるのだ。

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