アフガニスタン戦争でもイラク戦争でも、あるいは「アラブの春」にしても、政権を倒したあとに真の平和が実現しただろうか。
シリアに関しては、その歴史を垣間見るだけで絶望的になってしまう。 歴史を足場にして、シリアの現状を眺めると、アサド独裁政権 vs シリア民衆という図式に加え、イスラム教の異端とみなされる少数派のアラウィ派 vs 多数派のスンニ派という宗派対立にも目が行かざるをえないからだ。 実際、このところBBC、CNN、アルジャジーラの報道には、宗派対立拡大への懸念が少しづつ目につくようになってきた。
2011年に始まった「アラブの春」で、リビアのカダフィ独裁が潰れたとき、シリアの隣国レバノンがらみで、ちょっと注目されるニュースがあった。
1978年、当時レバノンのイスラム教シーア派最高権威でカリスマ的指導者だったムーサ・サドルがリビアを訪問し、カダフィと会ったあと行方不明になった。 以来、その消息はミステリーになっていたが、サドルの家族が独裁崩壊を機に調査を求め、歴史の過去に埋もれていた名前が久方ぶりに登場した。
この行方不明自体、カダフィに殺されたという見方もあり、興味津々だが、シリアに関しては、ムーサ・サドルは、多数派のスンニ派から怪しげな異端と目されていたアラウィ派を、イスラム教二大宗派のひとつ、シーア派の一派として公式に認定した人物として歴史に残る。
1970年、現大統領バシャール・アサドの父、ハフェズ・アサドがクーデターで権力を掌握し、翌71年には大統領に就任した。 人口の10%という少数派アラウィ派出身の初の最高指導者誕生である。 この政権が克服すべき最大の課題は、人口の75%を占める圧倒的多数のスンニ派国民の懐柔であった。
だが、1973年には、正統イスラム教徒の義務である1日5回の祈り、断食などの義務を持たないアラウィは不信心者だとして、反アサドの暴動が各地に広がった。 アサドは彼らに対し、アラウィもイスラムであり、自らが良きイスラム教徒であることを示さねばならなくなった。
一方、当時、隣国レバノンでは、ムーサ・サドルがシーア派の基盤強化・拡大を目指し、アラウィ派をも取り込もうとしていた。 こうして、ムーサ・サドルとハフェズ・アサドの利害が一致し、1973年7月、サドルはアラウィをシーア派と認めるファトワ(宗教上の布告)を発した。 宗教上は十分に説得力のあるファトワではなかったはずだが、アサドは正統性を獲得したのだ。
父子二代にわたるアサド独裁は、アラウィ派が手中にした権力をあらゆる手段で維持していこうする支配メカニズムとも言えるだろう。 それが顕著に示されたのは、1982年、首都ダマスカス北方200km、ハマで反乱を起こしたスンニ派原理主義組織「ムスリム同胞団」を軍を動員して総攻撃し、数万人を虐殺した事件だ。 以来、スンニ派は沈黙させられていた。
伝統的には、スンニ派が多数の社会で、アラウィ派住民は貧しく、最下層で虐げられていた。 だが、第1次世界大戦後のフランスによるシリア委任統治時代、さらには第2次大戦後の独立を通じ、次第に旧来の社会的枠組みが変化してきた。 そして、ついに、自分たちを見下していたスンニ派の上に立つアラウィ派政権が誕生した。
権力をいったん手放せば、再びスンニ派支配のもとで抑圧されるアラウィ派に舞い戻ってしまう。 凄惨な報復もあるだろう。 この恐怖感が独裁政権に頑固に固執させる。 おそらく、これは、あまりに単純すぎる見方だ。 アラウィ派の中でもアサド・ファミリーだけに権力が集中し、アラウィ派住民といえども多くが独裁支配に不満を持っているだろう。
それでも、最近シリア内部から流れてくる情報によれば、治安部隊の住民攻撃は、すべてが無差別ではなく、アラウィ派とスンニ派を選別しているケースもあるとされる。 これが本当であれば、権力維持のための、ある種の ethnic cleansing が始まっているのかもしれない。 つまり、現在の民主化運動とは、30年前のハマと同じスンニ派の反乱で、アラウィ派がそれを武力で殲滅しようとしているという図式だ。
この図式に基づくシナリオを描けば、対立は今後さらに宗教色が強まっていくだろう。 そうなれば、アラウィ派を邪教とみなすスンニ派の過激なイスラム主義集団が確実に影響力を拡大する。 この種の混乱状態が、アルカーイダ勢力伸張の温床になることは、隣国イラクで既に証明されている。
2011年12月から、情報機関をはじめとするシリア政府建物が、かなり洗練された爆弾テロの標的になっている。 ところが、反政府勢力を代表するシリア国民評議会、自由シリア軍は自分たちの攻撃ではなくアサド政権の自作自演だとテロを非難している。 このため、一連の爆弾テロの背景はミステリーでもある。 こうした状況を米国政府情報機関は分析し、テロ攻撃のプロ集団アルカーイダがシリアに既に浸透している可能性を指摘している。
だが、これも確証がない。 しかも、アルカーイダの登場や、一般住民を巻き込む恐れのある爆弾テロの頻発は、アサド政権にとっては、反政府勢力を一般国民から引き離す絶好の宣伝になる。 さらに、アルカーイダ゙の関与が現実になれば、反アサドの運動を支援しようとしている欧米諸国は、さらなる援助を躊躇するかもしれない。 とくに武器援助は、アルカーイダに流出する可能性を否定できなくなり慎重にならざるをえない。
アサド政権側からすれば、自らはアラウィ派権力維持のために節操のない宗派的行動をどれだけ取ろうが、アルカーイダの行動と爆弾テロが拡大すれば、国内外で、「アサド独裁は必要悪」とみなされ、消極的ではあるが受け入れられる余地が生まれる。 これは、政権側には悪くない状況だ。
「反独裁」「民主化」「民衆革命」といった奇麗事の言葉で、シリアの現状を語ることはできない。 チュニジアで始まった「アラブの春」から、あの明るい色彩は既に褪めてしまい、どす黒さと血生臭さが漂い始めている。
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