毎年12月に、北海道の富良野スキー場で初すべりをするのが、ここ10年以上の恒例になっている。 旭川空港から富良野まで、左手に雄大な大雪山系、十勝連峰を眺めながらバスで1時間ほど。 この一帯は、夏はラベンダー畑、冬は広々とした雪原で知られている。 大好きな景色のひとつだ。 今年も行く予定だ。
だが、ふと思った。 今年は御嶽山の大きな噴火があって多くの人が死んだ。 十勝連峰の主峰・十勝岳も火山だ。 おとなしかった御嶽山が突然暴れだしたんだから、十勝岳で同じことが起きてもおかしくないんじゃないかと。
早速、ウェブで調べてみると、毎年バスで通過している上富良野町に「土の博物館 土の館」というのがあった。 そこには、1926年の十勝岳大噴火による泥流災害の様子を示す悲惨な写真が展示されている。 それがここに掲載した写真だ。 写真とともに、こんな説明があった。
「1926年、十勝岳大爆発によって25km離れた富良野原野の田園風景は、たった25分というわずかな時間の間に泥流で埋め尽くされてしまいました。鉱毒を含んだ土は草も生えず、何とか土を甦らせようと客土を何度も繰り返して最上部の現代の豊かな土層になったのです。その作土層に、どん底から立ち上がり、土と生きた人々の強い意志を感じ見る事ができます」
十勝岳がたまに噴火することは耳にしたことはあったが、美しい景色の下によこたわっていた悲惨なドラマには、まったく目を向けていなかった。 今年も旭川からスキー場に直行するから、「土の館」を覗くことはないだろう。 だが、十勝岳について、少しは知っておこうという気になった。
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十勝岳の噴火が歴史に登場するのは1857年(安政4年)。この年、松田一太郎なる人物が石狩川水源踏査の帰途に十勝岳に登頂したとの記録があり、この中で硫気活動についても触れている。
1887年(明治20年)の噴火は黒煙を噴出し、周辺に降灰したと記録されている。
1923年、溶融硫黄の沼を出現させ活動を再開した。 1925年2月頃より小規模な噴火を繰り返していたが次第に活発化し、1926年5月からは小火口を形成するなど大規模な噴火が発生した。中でも5月24日12時ごろにグラウンド火口の中央火口丘西側で発生した水蒸気爆発では、小規模な火山泥流が発生して現在の望岳台付近まで流下した。16時18分には大規模な水蒸気爆発が起こり中央火口丘の西半分が崩壊、これにより生じた岩屑なだれは噴火から約1分で火口から2.4kmの地点にあった硫黄鉱山の平山鉱業所宿舎を飲み込み、さらに山頂付近の残雪を融かして泥流を発生させた。この泥流は美瑛川と富良野川を一気に流下し、25分で約25km離れた上富良野市街に到達した。火山弾・スコリア流によるものも含めると、上富良野を中心に死者・行方不明者144名、負傷者200名、流失・破壊家屋372棟という大災害となった。
9月8日にも十勝岳は小噴火を起こし、2名が行方不明となった。その後も火山活動は続き、終息を迎えたのは1928年(昭和3年)12月4日の小噴火後であった。中央火口丘が崩壊した跡にはごく低い非対称なスコリア丘が形成され、その火口は大正火口と呼ばれるようになった。以降、1952年までは比較的平穏な期間が続く。
このときの噴火を描いた小説として、三浦綾子の『泥流地帯』及び『続・泥流地帯』がある。
1952年頃から摺鉢火口北西側で噴気が活発となっており(52年噴気孔群または昭和火口群)、直前には地震も頻発していた。1962年6月29日22時40分ころ、中央火口丘南側にあった湯沼火口付近で水蒸気爆発が発生。翌30日2時45分には大規模なブルカノ式噴火が発生、噴煙は高度12,000mにも達した。東の広い範囲に降灰し、千島列島中部でも降灰が観測された。大正火口付近の硫黄鉱業所には火山弾が直撃し、死者・行方不明者5名、負傷者11名を出した。この噴火は同年8月末には終息し、湯沼火口を通って北西-南東方向に伸びる線上に4つの火口(62-0,62-1,62-2,62-3)を残した。最も活発だった62-2火口は中央火口丘とほぼ同じ高さのスコリア丘を形成している。1968年、1969年の群発地震以降は一連の活動は次第に沈静化していき、1974年5月ころから、62-1火口からの噴気を再開させるが翌年6月には沈静化する。
人的被害とは対照的に、1962年噴火では大正噴火をはるかに上回るエネルギーが放出されている(『十勝岳』(北海道防災会議、1971)参照)。
1983~1987年、群発地震と小噴火を繰り返す。
1988年 群発地震を繰り返し、12月62-2火口から小噴火。
1989年 小噴火、群発地震の発生を繰り返す。火砕流、火砕サージ(火砕流の先端部で発生する高温ガス流、熱雲)の発生を確認。周辺140kmにわたり降灰。美瑛町、上富良野町の住民約300名が一時避難。3月以降、群発地震を伴いつつも噴火降活動は沈静化。
この噴火により1990年(平成2年)まで入山禁止となった。
1997年以降、空振を伴う火山性地震や噴気を観測するが激しい噴火活動は観察されていない。2004年2月と4月には有色噴煙や振幅の小さな火山性微動を観測。2012年8月および2013年6月には大正火口で発光現象が観察されている。
<防災>
冬場に火山活動が活発化した場合、融雪により大規模な泥流、土石流の発生が見込まれる。発生が懸念される泥流規模は極めて大きく、流下を完全に防ぐことは難しいことから、白金温泉の高台には避難所が設置されている。地震計、空震計、GPS観測点などのテレメトリー観測、治山事業、砂防事業、被災範囲や避難経路などを整理したハザードマップの整備が進められている。
(Wikipedia)
上富良野町の防災対策
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/index.php?id=73
十勝岳の火山情報
http://www.tenki.jp/bousai/volcano/detail-8.html
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