2015年4月2日木曜日

独裁者リークアンユーの死


 シンガポールの元首相リークアンユーが3月23日、91歳で死んだ。 日本でずっと「淡路島程度の大きさ」と言われていた小さな熱帯の島に、着実な経済発展で近代的都市国家を作り上げた男だ。

 東南アジア諸国の都会はいずれも、この30年ほどで大きな変化を遂げたが、シンガポールには敵わない。 ここでは、アジアの大都会ではどこでも見られるスラムが目に入らない。 しつこい物乞いにまとわりつかれることもない。 高層ビル群と小奇麗な街並み。 歩道は東京より清潔かもしれない。 外国人観光客は、安全に歩き回り、しゃれたレストランで食事をし、世界の一流品のショッピングを楽しめる。

 これが、リークアンユーの作った国だ。

 彼の死去のニュースとともに、メディアには、その偉業を称える論調が溢れた。 政治的安定の維持による経済発展の実現。 だが、その同じ理由で、この人物を好きになることはできない。

 ベトナム戦争終結(1975年)以降、東南アジアの反共国家は共産主義のドミノに怯えた。 対抗手段は、経済発展実現による共産主義の浸透防止。 経済発展の基礎は政治的安定。 そのためには政府批判の口封じが必要だ。こうして、ASEAN型開発独裁が確立していった。

 国民の不平不満を力で黙らせて、安定を作り、日本を筆頭とした外資を呼び込み、それを原動力に経済開発を進める。 この開発モデルの最優等生がシンガポールというわけだ。 いや、リークアンユーと言うべきだろう。 なぜなら、シンガポールという都市国家は、リーが植木バサミで丹念に剪定して形作った盆栽のようなものだからだ。

 喫煙者が世の中でまだ後ろ指をさされなかった時代から、シンガポールでは路上喫煙が制限された。 横断歩道のないところを歩くことも禁止された。 政治活動ばかりでなく、だらしない日常生活も規制された。 いらない枝はちょん切られるのだ。

 どんなに快適でも、権力に生活を管理されるのは息詰まる。 経済発展を成し遂げても、それは一体、何のための豊かさなのか。 

 シンガポール国家とジョージ・オーウェルの「1984年」に描かれた管理国家の恐怖が重なる。
 
 あの経済的成功を実現したリークアンユーが卓越した政治家であるのは間違いない。 だが、彼が人間の尊厳、自由ということを理解していたかどうかは、わからない。

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