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(パース中心地ヘイ・ストリート) |
東南アジアの国々は、かつて何年も住んでいたので気軽な気持ちで年に何回か訪ねる。 だが、先進国には長いこと行っていなかった。
昨年末、オーストラリアに行った。 訪ねたのは、日本から最も遠いインド洋に面した西海岸のパース。 「世界で一番美しい都市」とされているそうだ。 到着してからもらった観光パンフレットの書き出しは、「Welcome to the most beautiful city in the world」だった。
東京・羽田を朝出発して、シンガポール経由でパースに着いたのは15時間後の午後11時半。 地理不案内の土地の初訪問では避けたい時間帯の深夜到着だった。
空港のレンタカーをThriftyで予約しておいたが、まずは、こんな時間にレンタカーのカウンターが開いているのかという不安。
カウンターが開いていて、女性スタッフが座っているのを見たときはほっとした。 ここで最安値のスモール・カー、トヨタのYaris(日本名ヴィッツ)のキーを受け取って、駐車場に向かう。 空港ターミナルから外に出ても、アジアの空港みたいに、客を捕まえようと群がってくるタクシー運転手たちの姿はない。 暗く静まっている。
ここまでは順調だ。 だが、自分のYarisをみつけ乗ろうとして、フロントのワイパーが外れて地べたに落ちているのに気付いた。 ジョイント部が壊れていた。 あわててThriftyのカウンターへ走って戻った。 自分が最後の客でカウンターの女性が帰り支度をしていたのを横目で見ていたからだ。 日本と季節が逆で初冬のパースで雨が降らないのはわかっていたが、彼女がいなくなっていたら、あとでワイパー故障の責任をとらされ修理代を請求されかねない。
走り戻る途中、運良く帰途の彼女とばったり会った。 事情を説明すると手早く別のYarisのキーを渡してくれた。 これが東南アジアだったら、複雑なペーパーワークがあって、翌朝まで待てなどと言われかねない。
このとき、やっと気付いた。 ここは効率的に生活できる先進国だと。 もちろん、オーストラリアは何回か来ていたし、先進国だと承知していた。 だが、羽田を飛び立ち、フィリピンをかすめシンガポールで乗り換えジャカルタ上空を通過し、えんえんと東南アジアを旅してくると、到着したところに先進国があるという感覚はどこかに吹っ飛んでしまっていた。 (以前の訪問は、東京からの直行でキャンベラないしシドニーに飛んだ)
こうして、東京に住んでいながら、普段は肌で感じることのない先進国を体験する旅が始まった。
空港からパース中心部へ向かう深夜の道路は、クルマがほとんど走っていなかった。 初めての道で行先の方向すら確信を持てなかったので、制限速度70キロ以下でゆっくりと走った。 たまに追い越していくクルマもおとなしい運転だ。 暴走しているクルマなどない。 荷物を積み過ぎて車体を傾けて飛ばしているトラックもいない。 ここでは、法律がきちんと守られているようだ。 バレなければ何でもできるアジアや中東の国とは、どうも勝手が違う。
最初の2泊を予約していたホテルは、パースの中心、観光客も多いヘイ・ストリートの近く。 午前2時すぎ。 昼は繁華街だが、この時間に人通りはない。 カーナビなど付いていないレンタカーなので、おおざっぱな地図を頼りに通りを行ったり来たりして、なんとかホテルをみつけた。
問題はクルマの駐車だ。 路上駐車が当たり前のアジアでは、道路はクルマでぎっしり埋まり、スペースをみつけるのに難儀する。 駐車違反などという”法律”は存在しない。 路上駐車を牛耳っているのは、地元のゴロツキどもだ。 だが、これはとても便利だ。 連中の手先の”駐車係”に声をかければ、すぐにスペースをみつけてくれるし、一晩停めても100円か200円。
ところが、パースの中心街では路上駐車のクルマなど1台もない。 明らかに、ここでは交通警察官の目が行き届いている。 観光客としては警察沙汰は避けたい。 選択の余地はなく、ホテル近くの有料駐車場のビルにクルマを入れた。 法治国家の観光は苦労する。
翌朝、クリスマス・イブ。 目が覚めてカーテンを開けると真っ青な空。 早速、街を散策する。 気温は25度くらい、湿度が低いので快適。 翌日のクリスマスは、ほとんどの商店やレストランが閉まるという。 そのせいか、早朝から買い物をする人が多い。
きれいな街だ。 きれいというのは、古いヨーロッパ式の建物を生かし計算された街づくりだけではない。 道端にゴミが皆無なのだ。 生ゴミやわけのわからない料理やトイレの臭いもしない。 物乞いや路上生活者の姿は多少はあったが、目障りなほどではない。 胡散臭くて、しつこい客引きもいない。
アジアでは、街は猥雑だ。 猥雑でなければ街ではない。 この基準からすると、パースは街ではない。 それでは、ここは何なのだ。 アジアとはまったく異なる文化と価値基準で形成されたヨーロッパの都市なのだ。
東京は清潔で治安が良いとはいえ、明らかに典型的なアジアの街だと思う。 街づくりに哲学も計画性もなく、統一性のない様々な建物が雑然と並んでいる。 わけのわからない裏通り。 怪しげな歓楽街。 こういう無秩序の寄せ集めから熱気が沸き上がってくるのがアジアの街だ。 バンコクもマニラもジャカルタも、そういう街だ。
ここ何年も海外旅行先はアジアの国々だった。 どこも物価は日本より、はるかに安い。 だから、「海外旅行=安い物価」という思い込みができあがっていた。 そのせいか、パースでは、なんでも高く思えた。 コーヒーショップを覘いてメニューを見ると、コーヒーが日本円で500円くらい。 サンドウィッチは1000円。 日本のドトールみたいな店だが値段はまったく違う。 驚いて出てしまった。
パースでも日本料理は浸透しているようで、ラーメンや寿司の店を何軒かみかけた。 ラーメンは1200円。 無論、食べなかった。 ベトナム料理屋のフォー(ベトナム麺)も1200円。 これは食べた。 動物園の入園料は3000円近く。 行くのはやめた。
駐車場に入れたままにしていたクルマの駐車料金が心配になってきた。 2日たって出してみたら料金は、なんと6000円だった。 アジアなら、人間がまあまあのホテルに2日間泊まれる金額。
街で日常の食料品を売るような個人商店を見かけることはなかった。 スーパーはいくつもあるが、やはり安くはない。 肉の値段は日本人には不可解だろう。 牛も豚もラムも鶏も、だいたい1キロ1000円から2000円の間くらいで値段に大きな違いがなかった。 これは高いのか安いのかわからなかった。 インド洋が近いのに、生の魚はまったく見なかった。 とは言え、たいていの食材は手に入る。 とても便利そうなところだ。
この世界一美しい都市には、どんな人々が住んでいるのだろうか。 ヘイ・ストリートのベンチに座って人間観察をしたかぎりでは、ヨーロッパ出身の白人が最も多いが、北から南まで出身地は様々なようだ。 アフリカ系、アラブ系も珍しくない。 イスラム教徒のスカーフをかぶった女性もひんぱんに通る。 観光の訪問者とは思えないインド、インドネシア、フィリピン、中国、韓国、日本人も見た。 様々な人種が住んでいる。
中心部から郊外へ数十キロドライブしたが、どの方向へ行っても端正な庭付き住宅が続く。 スラムのような貧民街は見なかった。 なにかの解説によれば、パース中心から南北に延びる一帯は「住宅ローン・ベルト」と呼ばれ、中流以下の住民が多く住み、中心からインド洋に向かって西に広がる地域は、富裕層が住む高級住宅地だという。
だが、東京の狭苦しい住宅に住んでいる日本人には、どこも豊かな生活を営んでいるようにみえる。 緑に囲まれた公園のような住宅街で暮らし、ジョギング、自転車、ヨット、サーフィン、バーベキュー、ピクニックといった自然と親しむ遊びに興じる。
こういうのを先進国の都市というのだろう。 とても住み心地の良さそうな土地だ。 それでは住んでみようか? スーパーに魚がなくても海が近いから手に入れるのは難しくないだろう。
だが、なにか物足りなくはないか。 躊躇させる何かがある。 そう、パースは美しすぎるのだ。 ここにはないアジアの汚らしさ、猥雑さ。 あれは、ほかでもない我々人間の発する体臭なのだ。
ここに住むと、退屈で死んでしまうかもしれない。
(Wikipediaより)
パース(
Perth)は、オーストラリア連邦西オーストラリア州の州都である。人口は2004年6月に150万人(都市圏人口。パース市の人口は約9000人)を超え、同州では最大、オーストラリアでは第四の都である。またオセアニア有数の世界都市である。街は大変美しく「世界で一番美しい都市」と言われることもある。
パースはオーストラリア大陸西部でヨーロッパ人が建設した最初の大規模な入植地である。1826年、イギリス軍はフランスによる入植の兆しに先んずるため、西オーストラリア南海岸のキング・ジョージ・サウンド(現在のアルバニー)に基地を建設した。1829年になって自由移民の入植地であるスワン川入植地の首府としてパースが建設された。1850年には安価な労働力を手に入れたい農家や実業家の要求によって、パースを含む西オーストラリアは流刑植民地となった。
西オーストラリア州は鉱物資源が豊富であるが、特に金、鉄鉱石、ニッケル、アルミナやダイヤモンドといった資源の度重なる発掘ラッシュによって都市は成長した。
パースはスワン川沿いに位置する。スワン川という名前は原産のコクチョウ(ブラックスワン)にちなむ。
パース郊外はインド洋に面して美しい砂浜が広がっている。都市の東の境界はダーリング崖と呼ばれる低い急斜面である。パースの大部分は、深い基岩と大量の砂の土壌によるゆるやかな起伏のある平らな土地の上にある。パース大都市圏には二種類の水源からの川が流れ、一つはスワン川とキャニング川、もう一つはマンジュラのピールエスチュアリーに流れるサーペンティン川とマレー川である。
近年、異常気象により降水量が減少しており、30年間でダムへの流量が三分の二に減少している。さらに人口増加率が比較的高いため、パースが10年以内に「水切れ」になってしまうという懸念が生じている。西オーストラリア州政府は対策として家庭でのスプリンクラー使用を制限し、クイナナ(Kwinana)に淡水化プラントを建設し、2007年から稼動している。州政府はキンバリー(Kimberley)地域からの水の輸送や、州の南西部にあるヤラガディー(Yarragadee)帯水層からのくみ上げといった他の解決策も検討している。
1950~60年代にヨーロッパから来た移住者を乗せた船が最初に上陸した場所がフリーマントルであったため、パースにはクロアチア、イギリス、イタリア、オランダやギリシャからの大量の移住者が流れ込んだ。この時期にやってきた大量の移住者の名前はマリタイムミュージアムの外にある板に並んでいる。最近、イギリスから飛行機で大量の移住が進んでいて、パースはオーストラリアの都市の中で一番イギリス生まれの住民が多くなっている。パースの南部にある郊外ではイギリス生まれの住民が20%に達している。
さらに旧ユーゴスラビア・旧ソ連を含む東欧からの相当な移住が進んでいる。マレーシア、シンガポール、香港、インドネシア、中国、スリランカといった東南アジアや東アジアからの移民者のコミュニティーも相当数ある。インド人コミュニティーではムンバイから移住した大量のパールシーが住んでいる。南アフリカ共和国やジンバブエからの白人の移住者も住み着いている。