太平洋の島国パラオに行くたびに、パラオ人よりもフィリピン人や中国人が働いている姿の方が目立つと思う。商店の経営者は中国系が多いし、従業員はフィリピン系が多い。
パラオ人も働いているのだろうが、あまり目につかない。 そもそも何を収入源にして生活しているのか、旅行者には見えてこない。 だが、彼らは決して貧しくない。 街の表通りから一歩裏に入ると、緑の中に家々が散在する長閑な生活空間がある。 どこの家にも乗用車が1台はある。 最も近い隣国フィリピンの平均的国民より生活レベルははるかに高い。
男たちは毎日のように、誰かの家の庭先や海岸端に寄り集まって、仲間同士の会話を楽しんだり、カード遊びにふけっている。 こういうときに欠かせないのはビールだ。 バドワイザーに代表されるアメリカ・ビール、フィリピンのサンミゲル、日本のアサヒ・スーパードライ…。 銘柄もかなり豊富だ。 彼らの生活ぶりを見ていると、本当に羨ましくなる。 あくせく働く日本人がバカに思えてくる。
パラオ人は男も女も概して、大きな腹をして太っている。 きっと、幸せすぎる生活とビールのせいで、あんな図体になったに違いないと思い込んでいた。
しかし、先週パラオで過ごしていたとき、船着き場で太った女が泳ぐ姿を偶然見たとき、はっとした。 彼女がセクシーだったからではない。
彼女は、頭を水面に出して、手足をほとんど動かしていないのに沈まないのだ。 ときどき手足を動かすのは方向転換をするときだけで、泳ぐというより浮いている、漂っているといった感じだ。
身長160センチほどで体重は100キロ近くか。 かなりの体脂肪率。 あの脂肪のせいでプカプカ浮いていられるのだろう。 おそらく彼女には水中に沈むなどということは想像できないに違いない。 それは鳥が空から落ちるのと同じくらい不可能なことだ。
そんなことをぼんやり思っているうちに、ひとつの仮説が浮かんできた。
パラオ人に限らず、太平洋の人々はたいてい太っている。 かつて日本にはトンガの力士がいた。 南太平洋のポリネシア人が渡っていったハワイからは高見山や小錦、武蔵丸といった人気力士も誕生した。
彼らはなぜ太っているのか。 ビールのせいもあるが、それは太平洋という広大な海を生きる場に選んだ民族の体内に仕込まれたDNA、生存手段だったのではないか。 そう思えてきた。 かつてパプアニューギニアで会った医師は、彼らはタロイモを食べるだけの粗食でも太れる体質ではないかと言っていた。
アフリカで誕生した人類は欧州へ、アジアへ、アメリカへと渡っていく。 その移動の流れが太平洋に島々に辿り着くのは、人類史上では非常に新しい3000年あまり前だと言われている。 最初に大海原に乗り出した冒険者たちに関しては、遺跡や遺物が非常に少なく、はっきりした実像は浮かび上がっていない。 彼らはラピタ人と呼ばれる。 台湾からニューギニアへ渡り、そこを起点に太平洋へ小舟で漕ぎ出したとされる。(ラピタ人がパラオに達したのは、いつのことかわからない)
なぜ、彼らは恐ろしい危険を冒すような選択をしたのか。 羅針盤など存在しない時代に、小さなカヌーで太平洋へ向かう冒険は古代へのロマンをかきたてる。
だが、パラオの船着き場で見た太った女の姿からの想像は、勇者の冒険ロマンを台無しにした。
古代ラピタ人もパラオの太った女のように沈まない浮力を持った人々だったら、海を怖がるわけがない。 向かう先に何があるかわからない旅は冒険ではあるにしても、水に対する恐怖心がないなら心構えは大きく異なる。 冒険などと深刻に考えず、何気なく好奇心で広い海へ向かったら島があったので住んだだけ。
現実とは、TVドラマや小説のように面白くないのが当たり前、というのが生きている我々の常識だ。 人類学者も、毎日ビールを飲んで太ったパラオ人のように、楽観的に生活しているような連中を古代の冒険ロマンの主人公にはしたくだろう。 だが、これが古代太平洋の現実だったと言い張っても、当面は誰も否定できない。 ダメかな?