2013年2月19日火曜日
なんのための防衛駐在官増員
1994年、当時のアルジェリアは内戦真っ盛りだった。 自由選挙でイスラム政党が第1党に躍進したが、軍はこの選挙結果を拒否し、軍事クーデターによる政権を樹立した。 これに反発したイスラム勢力が軍政打倒を目指し武装闘争を開始した。
イスラム勢力は、軍政の国際的信用を失墜させるために、アルジェリア国内で外国人を標的にしたテロを活発化させ、外国人ジャーナリストも標的となった。 武器は銃かナイフ。 首都アルジェの街で頻繁に襲われた。 それでもジャーナリストたちは、歴史の目撃者となるために、危険な通りを命懸けで歩いた。
おそらく、ひどくかっこ悪い取材ぶりだった。 なにしろ、どこからゲリラが襲ってくるかわからないので、常に目をキョロキョロさせ、道路の建物側にからだをくっつけるように身を寄せ、なかば横這いで歩いていた。 日本の通信社のF記者は、この姿を「アルジェのカニ歩き」と言って、自分自身をからかっていた。 「フクチャン」の愛称でみんなに好かれていた彼は、アルジェでは無事だったが、のちに赴任した平和なニューヨークでストレスが溜まって死んでしまった。
このアルジェリア内戦のころ、駐アルジェ日本大使館はどんな活動をしていたのか。 見事に何もしていなかった。 危険を理由に外出せず、大使館内にこもっていた。 致し方なく外出するときは、米国製の防弾車に乗り、武装警備員を同行させた。
”ここは地の果てアルジェリア~~” そのころ、かの古典的歌謡曲「カスバの女」は、大使館内のカラオケでは、誰もが歌いあき、聴きあきてしまったそうだ。
もちろん、大使館の最重要任務である情報収集などできるわけがない。 したがって駐在する意味はまたくなかった。 唯一の情報収集活動と言えるものは、他国の大使館と横並びで出国するために、こそこそと様子をうかがうことだった。 日本を遠く離れても、日本の役人は日本の役人なのだ。
2013年1月16日アルジェリアの天然ガス精製プラントをイスラム武装勢力が襲い、アルジェリア軍が逆襲した。 この事件で、人質にされた日本人10人が死亡した。
この事件以降、日本では、とくに、国会や首相官邸周辺で、軍事情報の収集を充実させるために、大使館の防衛駐在官を増強すべきだという主張が強まっている。
この主張の論理はよくわからないが、どうやら、大使館に軍事情報の収集・分析を専門とする防衛省出身の防衛駐在官を増やせば、今回のような事件が起きた場合、より正確な情報をより速やかに入手できるという考え方のようだ。
もし、そうだとしたら、単純すぎる素人考えか、何を目的にしたかわからないが、嘘八百だと思う。
なぜなら、第1に、防衛駐在官といえども、大使館勤務中は外務省支配下にあり、1人の外交官という身分になる。 つまり、危険な事態になっても大使の命令に従って、大使館内に籠もり、情報収集のために勝手に外出などしてはいけない。
第2に、防衛駐在官の普段の情報収集活動というのは、他の外交官と同じで、新聞やテレビなどのマスメディアが流すニュースを丹念に拾うことで、スパイ映画のように独自の情報源から秘密情報が流れてくるようなドラマティックな場面はほとんどない。 したがって、情報収集量を増やしたいなら、防衛省よりも海外勤務に慣れた外務省の職員を増やした方がいいかもしれない。
第3に、防衛駐在官の最も重要な仕事は、他国の駐在武官たちと親密に付き合うことで、駐在官が独自情報と称している情報のほとんどは、武官コミュニティの中を伝言ゲームのように、ぐるぐる回っているものがほとんど全てと言っていい。 彼ら、military attache たちは、なぜか、どこの国に行っても親密なコミュニティを形成し、胸に勲章をぶらさげたパーティを頻繁に開く。 おそらく、そうやって、自分たちのレゾン・デートルを確認しあっているのだと思う。
ただ、防衛駐在官を含め、武官と呼ばれる人たちは、なぜか皆、人が良くて、心根が真っ直ぐで、概して酒も好きなので、つきあっていて楽しい。 だから、ここで武官の悪口を言う気など毛頭ない。
問題は、何か、わけのわからない彼らに対する買いかぶりが、意図的に進行しているように思えることだ。
いったい、それは何なのだ。 政治的なたくらみが臭わないか。
2013年2月12日火曜日
2020オリンピックはイスタンブールで
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの著作「歴史」は、当時のギリシャ世界を記述したものだが、地理的には、黒海とエーゲ海を結ぶボスポラス海峡一帯に、かなりの重点を置いて描いている。 古代ギリシャ世界とは、実は現代のトルコのほとんどを含んでいることがわかる。
古代ギリシャ時代、海峡の西がヨーロッパ、東がアジアと呼ばれるようになり、以来、この細長い海峡がヨーロッパとアジアの境界線となった。 この美しい水の景観を見下ろす都市はコンスタンティノープルと名付けられた。 じっくりと醸成された歴史をそのままに、やがてイスラムの風味が加えられ、現在の蠱惑的な街イスタンブールへと豊潤に熟していった。
ボスポラスに面したオープン・レストランは夏がいい。 水を加えると透明な液体が白く濁るアニス酒「ラクー」のグラスにアイスキューブをひとかけら入れる。 爽やかなラクーの香り、それに、海峡で獲れた小さなカタクチイワシのフライ「ハムシ・タヴァ」。 レモンを絞る。 地中海からの海風がスパイスになって、ボスポラスの味を醸し出す。 そこには、数千年の歴史が詰まっている。
海峡には、自動車専用の2本の吊り橋が架かっている。 毎年、秋の1日、クルマの通行が止められ、市民参加の「ユーラシア・マラソン大会」が開かれる。 名称のスケールの大きさがいい。 アジア側をスタートし、ボスポラス海峡を渡って、ヨーロッパ側にゴールする。 アジアからヨーロッパへ、ボスポラス海峡を見下ろし、自らの足で渡る感動がたまらない。
この土地は、日本などというクニが誕生するずっと前から、世界をつなぐ十字路だった。 そして、おそらく今もそうだ。 発展するイスラム世界を代表するからだ。 9・11以降、異なる宗教・文化・人間が、互いにぎこちなさを感じるようになった。 イスタンブールは、長い年月にわたり、そういう差異を受け入れないにしても、認めあい、折り合いをつける歴史をつむいできた。
今年、2020年オリンピックの開催都市が決まる。 東京もイスタンブールも立候補している(もうひとつの都市はマドリッド)。 この時代の世界、東京でオリンピックを開催しなければならない理由は意味不明だが、初のイスラム都市での開催となるイスタンブールには大いなる意味がある。 日本外務省によれば、トルコは非常に親日的な国だそうだ。 日本人もトルコを大好きだという。 そうであれば、日本人は東京など見捨て、イスタンブールでのオリンピック開催を、そろって応援しようではないか。
2013年2月8日金曜日
女子柔道へエールを送ろう
日本人のどれだけの人々が本当に驚いているのだろうか。 実は、誰もが身近で見聞きし、知りすぎるほど知っていた醜悪な光景だ。 われわれ日本人には当たり前すぎたことが、なぜ突然、大きなニュースになったのだろうか。
全日本女子柔道や大阪・桜宮高校バスケットボール部で明らかになった選手に対する指導者による暴力のことだ。 従来見て見ぬふりをされていたことが問題視されるようになったのは、明らかに、時代が変わったからだろう。
かつては、「かつて」というのはどこまで遡るのか、よくわからないが、学校生活の中で、体育会系部活の暴力は、日本で生まれ育った日本人なら、誰でも日常茶飯事のこととして知っていた。 よほど度が過ぎなければ、黙認されていた。
体育会系が幅を利かせた国士舘大学の学生は、東京・世田谷の三軒茶屋を支配する暴力団みたいなものだった。 警察だって黙認していた。 普通の女子学生が入学して普通の大学に見えるようになったのは、20世紀も終ろうとするころだった。
日本のスポーツ選手が、無論、例外はあるが、おおむねバカにみえるのは、長いあいだ温存されていた異常で特殊な暴力支配世界に生き、自由な思考をする訓練をしてこなかったからであろう。 種目によって、バカさ加減、暴力度はかなり異なるが、ここではそこまで言及しない(それに、知性と教養のあるアスリートだって、もちろん存在する)。
女子柔道選手たちが、指導者の暴力、ハラスメントを告発したのは、日本のスポーツ史上、革命的な出来事と言っていいだろう。 おそらく、告発された側は、まだ罪の意識を十分感じていない。 内心、告発を憎々しく思っているはずだ。
柔道以外のスポーツ種目の団体・組織も反応はにぶい。 これをきっかけに、積極的に自ら内部浄化に乗り出すべきなのに、彼らは知らんぷりを決め込んでいるようにみえる。
スポーツ団体幹部というのは、おおむね政治的には単細胞の保守派だ。 保守系政治家からすれば、こんなに操りやすい連中はいない。 大いに利用して、オリンピックを招致すれば、大喜びで言うことをきいてくれる。 国会議員にでもしてやれば有頂天になる。
東京オリンピックというのは、こういうシステムの中で推進されている。 バカものたちにカネを使わせ、スターに祭り上げる茶番劇。 それによってナショナリズムを煽り、反動的保守支配を固めようとする政治的陰謀。
女子柔道選手たちは、単に暴力を嫌悪しただけだったのかもしれない。 だが、彼女たちの意図にかかわらず、日本の支配体制の暗部を暴くという禁じ手を仕掛けることになったのだ。 この技は、一端仕掛けてしまうと禁じ手ではなくなってしまう可能性がある。 しかも大津波に育つ危険性を秘めている。
スポーツ新聞や週刊誌のスキャンダラスな報道に引きづられてはいけない。 本質的問題から目をそらそうとする姑息な手口なのだ。
注意深くみつめ、目をそらせないでいよう。
2013年1月11日金曜日
インドが牛肉輸出で世界一だって!!
2013年1月6日付け読売新聞朝刊に、インドが2012年牛肉輸出で世界一になる見通しという記事が掲載されていた。 インドの人口の80%はヒンズー教徒で、牛を神聖な動物とみなし、殺生を忌避している。 インドを訪れた人にはお馴染みの光景だが、人や車が混雑した通りを牛が悠々と歩いている。 だから、たいていの外国人、おそらくインド人の多くも、インドが牛肉輸出世界一というニュースには、驚きと戸惑いを感じたに違いない。
だが、「インド人が牛を殺さない」というのは、「イスラム教徒は酒を飲まない」「スイス人は誰でもスキーができる」「ロシア女は若いとき美人でも、年をとると必ずデブになる」「日本人はみんな空手が強い」「スウェーデンではフリーセックスが当たり前だ」「イタリアに行って男に声をかけられない女はいない」といった神話や思い込みの類いと同じらしい。
ウェブで、長いインド経験のある日本人のブログをみつけた。 約6年前に掲載されたものだが、今回のニュースで感じた疑問にしっかり答えてくれる内容なので、長くなるが全文を引用してみよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「さまよえる団塊世代・・・インド在年9年・・・ 夢翔る世界紀行 <インドの牛肉消費量は世界4位>」(2007/03/08)より
インド人は牛を神と崇めている。街中には牛が闊歩し、インド人は牛を大事にする。人口の82%を占めるヒンズー教徒は牛肉を食べない。皆それを知っており、拡大解釈して「インド人は牛肉を食べない」と思いこんでいる人が多い。
インドの重要な輸出品の一つに皮革製品がある。牛の皮が主である。皮を使って肉は棄てている筈がない。インドには、2億8千万頭の牛がいる。牛が1億9千万頭、水牛が9千万頭。世界の60%の水牛がインドにいる。
そして牛を食べるイスラム教徒が1億5千万人いる。インド国内の牛肉消費量は約400万トン、アメリカ、中国、ブラジルに次いで世界4位の牛肉消費国である。更に、輸出量は年間30万トン強(約450億円)であり、輸出先はマレーシア、フィリピン、サウジアラビア、ヨルダン、アンゴラ、などで、昔はカルカッタビーフが有名であった。今はバンガロールビーフも有名になってきている。
レストランでビーフステーキを食べられるが、殆どがインド国産である。水牛の肉は硬く筋が多く、余り美味くない。インド政府は、「輸出の牛肉の殆どは水牛である」としているが、宗教的背景でそう言っているのであろう、実態はかなりの牛肉が輸出されている筈である。
水牛のミルクは濃厚で栄養価は牛より高い。値段も牛のミルクより高い。インドのミルク生産量は9千万トンを超え、世界1位である。ヒンズー教徒、ベジタリアンもミルクは飲める。
ヒンズー教徒とイスラム教徒と牛が共存するインド、イスラム教徒のお陰で牛肉が国内で消費され、結果的に牛の数が保たれ、ヒンズー教徒は日々新鮮なミルクが飲める。イスラム教徒がいないと、インドは牛だらけになってしまう。かなりの雄牛は去勢されているそうだが…。
「インドは」とか、「インド人は」とか一言で言うと、間違えたり誤解を与えたりする事が多くある。インド、インド人は、多面性のある国家・国民である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
過去の記憶をたどってみると、インド人が牛肉を食べないのは本当かな? と疑問を持ったことがないわけではない。
マニラ中心部の繁華街マビニ通りのマクドナルドに、民族衣装サリーを着たインド人女性数人が入るのを目撃し驚いたことがある。
1990年代に、ニューデリーでインド人の誰かから、「インドでは牛を殺せないけれど、生きた牛を船で大量に輸出している」ときいて、眉唾っぽい話だなと思ったこともある。
南太平洋フィジーは英国植民地時代に、サトウキビのプランテーションで働かせるために多数のインド人が送り込まれた。 今ではその子孫が人口の半数近くに達している。 インド人経営の食堂はごく一般的で、入ってみた何軒かの店のメニューには「ビーフカレー」があった。 南太平洋でヒンズー文化が変形したのだろうと勝手に解釈した。
読売新聞によれば、2012年の牛肉輸出は、1位インド160万トン、2位ブラジル139万トン、3位オーストラリア138万トンとなっている。 だが、米国農務省の最新の推計によれば、2013年にインドはさらに輸出を増やし、216万トンとなり、微増のブラジル、オーストラリアを大きく引き離し、断トツの1位になる。
インドの牛肉輸出で、あらためて常識にとらわれることの愚かさを学ばせてもらったが、これが、世界が注目する躍進インドの社会変貌の兆候だとすれば、未来を見通すときの不確定要素として心に留め置かねばならないかもしれない。
2012年12月31日月曜日
2013 新しい年の旅立ち
2012年大晦日、記憶にないくらい遠い昔以来、久方ぶりにNHKの紅白歌合戦を見た。 と言っても、同じNHKでもBSプレミアムで放映していた日本映画「駅 STATION」で、劇中画面に出てきた1979年の紅白歌合戦だ。
雪に覆われた北海道の小さな駅。 その近くの赤提灯、「桐子」。 大晦日前日の12月30日、ふらっと立ち寄った高倉健。 うらびれた飲み屋を一人で切り盛りする倍賞千恵子。 2人は意気投合して、カウンター越しに飲み始める。
翌大晦日、2人は逢瀬のあと、再び「桐子」へ。 カウンターで並んで飲んでいると、紅白歌合戦で八代亜紀が「舟歌」を歌い始める。
お酒はぬるめの燗がいい
肴はあぶったイカがいい
女は無口なひとがいい
倍賞千恵子が、「私、この歌が大好き」と言って、高倉健にしなだれかかる。 外は、雪がしんしんと降る。
一人旅の男と寂しげな女の出会い。 この2人の役者は、こういう演技をやらせれば天下一品だ。
旅する男がいつも期待する夢を実現してくれる。
新しい年2013年。 また旅に出よう。
君は塩分摂取を控えているか
塩分を摂りすぎると血圧が上がる。 だから高血圧予防のためには塩分摂取を控え目にしなければいけない。 中高年世代の人々は、うんざりするほど忠告される。 刷り込み効果のせいか、気が付けばラーメンのスープは半分残すようになっている。
ところで、専門家たちが、塩分摂取量と高血圧について語るとき、金科玉条のごとく引き合いに出すのが、南米の未開部族ヤノマモ(ヤノマミ)族だ。 食塩をほとんど摂らないので高血圧がない部族だという。
そこで、出典が明らかにされていないのでウエブで探索してみると、どうやら原典はINTERSALTという国際研究団体の現地調査のようだ。
以下が、その内容。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[1989年文献] ナトリウム摂取量が極端に低いヤノマミ族では,高血圧が見られなかった
Mancilha-Carvalho JJ, et al. Blood pressure and electrolyte excretion in the Yanomamo Indians, an isolated population. J Hum Hypertens. 1989; 3: 309-14.
ブラジルとベネズエラの国境近くに住むヤノマミ族は,世界中でもっとも文化変容の波を受けていない先住民族である。 狩猟と焼畑農業中心の生活をしており,栽培した穀物や,採取した果物・昆虫などを食べる。 主食はバナナ,キャッサバ。食塩や精製した砂糖はほとんど使っておらず,アルコールや牛乳,その他の乳製品も摂取しない。
26万 km2の範囲に200の集落が存在し,それぞれ40~250人が暮らしている。 このうち1986年のINTERSALT研究に参加したのは,政府保健機関から30 kmほどの位置にある3つの集落。 20~59歳の206例のうち,妊娠中の6例,24時間蓄尿量が明らかに不足していた5例を除いた195例について検討を行った。
今回の調査を行うため,まず政府保健機関の近くの町まで調査機器が空輸された。 調査隊はそこから調査機器や生活用品などをすべて持ち,ジャングルの中を8時間歩いて集落に向かった。
各集落には5日ずつ滞在し,血圧測定,24時間蓄尿および質問票の記入を行った。 質問には通訳を介した。 また,ヤノマミ族は自分の年齢を知らない。そのため,年齢については体格や外見,子供の数や年齢,通訳の個人的な認識をもとに推定した。
結 果
男性は女性より身長・体重ともにやや大きく,収縮期血圧(SBP),拡張期血圧(DBP)も女性より高い傾向が見られた。
平均血圧,および観察された最低値および最高値は以下のとおり。
SBP 96.0 mmHg (78.0~128.0 mmHg)
DBP 60.6 mmHg (37.0~86.0 mmHg)
平均尿中ナトリウム排泄は0.9 mmol(24時間)で,これはINTERSALT参加国のなかでも圧倒的に低い値。 最低値は0.04 mmol,最高値は26.7 mmolだった。 84.1%(164例)が1 mmol以下の値を示し,5 mmol以上だったのは9例のみ(これは調査隊の食料を口にしたためではないかとされている)。 このように値が極端に低いため,塩分と血圧の相関については正確な解析を行うことができなかった。
平均尿中カリウム排泄は63.3 mmol(24時間)。 尿中カリウム排泄と女性のDBPは,有意な逆相関を示した。
年齢と血圧に正の相関は見られなかった。 女性のSBPは年齢と有意な逆相関を示した。男性のBMIは,血圧と有意な相関を示した。 年齢と血圧に正の相関が見られない理由として,これまでに慢性病や栄養不良の可能性が挙げられてきたが,ヤノマミ族は非常に重い荷物を背負って何時間もジャングルを歩くなど強靭な体力を持っており,今回の調査でも栄養不良の身体所見はまったく見られなかった。
このほかにも,ヤノマミ族の生活には高血圧を抑制する多くの要素(BMIが低い,肥満がほとんどない,アルコールを摂取しない,脂質をほとんど摂取しない,繊維質を多く摂取する,運動量が多いなど)が見られた。
以上のように,塩分の摂取量が非常に少ないヤノマミ族では高血圧がまったくなく,加齢にともなう血圧の上昇も見られなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<INTERSALT>というのは、どういう団体かというと、世界初の食塩と血圧に関する国際研究組織で、1985年に研究を開始した。 現在、32か国の52集団の住民を調査対象にしている。
INTERSALT(INTERnational study of SALT and blood pressure) Studyは,世界32か国の52集団について,24時間蓄尿により尿中ナトリウム・カリウム排泄と血圧との関連について検討した国際共同研究。WHOや米国国立心肺血液研究所(NHLBI)のサポートを受けて行われた。食塩をまったくとらないことで知られるブラジルのヤノマミ族も,調査の対象に含まれている。
食塩と血圧の関係についてはこれまでにも多くの調査研究が行われてきたが,調査手法にばらつきがあり,集団間で結果を比較したり,国際的な傾向をつかんだりすることが難しかった。
そこでINTERSALT研究では,質の高いデータを収集するために,高度に標準化された調査手法が用いられた。例えば調査マニュアルや質問票は統一され,翻訳の正確性もチェックされた。検査機器は,血圧計や蓄尿器から聴診器にいたるまで,世界中で同一のものが使用された。さらには,収集した24時間蓄尿のサンプルは世界各地からベルギーのルーベンにあるセント・ラファエル大学に運ばれ,生化学的な分析はすべてそこで行われた。
その結果,食塩摂取量の多い集団では年齢とともに血圧が上昇する度合いが大きいこと,また,個人間の検討で,ナトリウム摂取量は血圧と正の関連,カリウムは負の関連,アルコールは正の関連があることが明らかになった。
(Intersalt web page より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それにしても、 ヤノマミ族というのは、実に興味深い。 秘境ルポの候補に加えておこう。 以下が、ヤノマイ族の概要だ。
ブラジルとベネズエラの国境付近、ネグロ川の左岸支流とオリノコ川上流部に住んでいる。 人口は1990年時点でブラジルに1万人、ベネズエラに1万5000人の計2万5000人ほど、現在合わせて約2万8000人といわれる。 言語の違いと居住地に基づいて4つの下位集団に分けられ、南西部を占めるグループはヤノマメYanomam、南東部はヤノマムYanomam、北西部はサネマSanma、北東部はヤナムYanamとよばれる。 南アメリカに残った文化変容の度合いが少ない最後の大きな先住民集団である。 言語帰属について、チブチャ語族であるとか、カリブ語族に関係があるとかさまざまな説があるが、はっきりしない。
彼らの住居は、シャボノと呼ばれる巨大な木と藁葺きの家である。 シャボノは円形で、中央の広場をぐるっと囲む形になっており、多くの家族がその中でそれぞれのスペースを割り当てられていっしょに暮らしている。
衣服はほとんど着ていない(初潮を経た女性は陰部を露わにすることを禁じられ、ロインクロスを付けて陰部を隠す)。
主な食物は、動物の肉、魚、昆虫、キャッサバなど。その特徴として、調味料としての塩が存在せず、極端に塩分が少ないことがあげられる。 彼らはもっとも低血圧な部族として有名(最高血圧100mmHg前後、最低血圧60mmHg)だが、それはこのことと密接な関係があるものと思われる。 狩猟採集や漁撈だけでなく、料理用バナナやキャッサバなどの焼畑農耕もおこなっている。
ヤノマミ族は現在のところ、民族内部での戦争状態が断続的に続いている。 彼らの社会は100以上の部族、氏族に村ごとに別れて暮らしているが、他の村との間の同盟は安定することはまれで、同盟が破棄され戦争が勃発することが絶えない。 このような状況におかれた人間社会の常として、ヤノマミ族では男性優位がより強調される傾向がある。 肉体的な喧嘩を頻繁に行い、いったん始まると周囲の人間は止めたりせず、どちらかが戦意を喪失するまで戦わせるといったマッチョな気風にもそれが現れている。
また、近年、ヤノマミ族の居住地域で金が発見され、鉱夫の流入は疾病、アルコール中毒、暴力をもたらした。 ヤノマミ族の文化は厳しく危険にさらされ、第一世界からの寄付金によるブラジルとベネズエラの国立公園サービスによって保護されており、ナイフや服などが時折支給される。
都市住民と比べて種々の病気に対する抵抗力が弱い。 2009年11月、ベネズエラ領内で新型インフルエンザのため8人のヤノマミ族の死者が出たことが伝えられている[6]。
女子は平均14歳で妊娠・出産する。出産は森の中で行われ、へその緒がついた状態(=精霊)のまま返すか、人間の子供として育てるかの選択を迫られる。 精霊のまま返すときは、へその緒がついた状態でバナナの葉にくるみ、白アリのアリ塚に放り込む。 その後、白アリが食べつくすのを見計らい、そのアリ塚を焼いて精霊になったことを神に報告する。 また、寿命や病気などで民族が亡くなった場合も精霊に戻すため、同じことが行われる。
いわゆる価値相対主義をとらずに、先進国(近代社会)の観点から記述すれば、ヤノマミ族は技術的に人工妊娠中絶ができないため、資源的・社会的に親にとってその存在が「不必要」である子供は、森の中で白蟻に食べさせる形での嬰児殺しによって殺害される。 嬰児殺しの権利は形式上は母親にあるが、男尊女卑である以上、実際は子供の遺伝的父親や、母親の父親・男性庇護者の意思、村の意思が反映する。 ヤノマミの間では、これを「子供を精霊にする」と表現する。 これは近代社会における「中絶」と、不必要な子供を始末する点では一致するが、超自然的な位置づけがされている点が異なる。
ヤノマミ族を三十年にわたって調査を続けたアメリカの人類学者ナポレオン・シャグノン(共同研究者はジェームズ・ニール )によるヤノマミ族の血液研究に関して倫理的な論争が発生した。
1993年、ブラジル・ロライマ州のヤノマミ集落で16人が金採掘業者に虐殺された。
(以上、Wikipedia より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
血圧を下げるということは、どうやら現代文明以前の時代の生活に近付けるということらしい。 だが、殺虫剤に対する耐性を身につけて死ななくなった蚊や虱が存在するように、人間も、いかなる美食を続けても健康を維持できる新種を生むことはないのだろうか。
2012年12月30日日曜日
強引すぎる支持率アップのキャンペーン
今、東京で電車に乗ると、わずらわしいほど大量にぶら下げられた吊り広告が目に入る。 有名アスリートや有名タレントがにっこりした笑顔で、2020年東京五輪開催を面白おかしく訴えている。
見え透いたキャンペーン。 最終候補に残ったマドリード、イスタンブール、東京の3都市の中で、東京の弱みは、開催に対する住民の支持が他の候補地と比べ低いことだとされている。 そこで、莫大なカネを使って、支持率アップの大作戦が開始された。
右傾化する日本の国家主義者たちが推進するペット・プロジェクトに都民を引きずり込むため、強引な世論操作が展開されている。
なぜ東京でオリンピックを開催しなければいけないのか。 なにも見えないまま、東京都民は、このまま五輪支持へと追い込まれていくのだろうか。
登録:
投稿 (Atom)