2016年12月21日水曜日

4年ぶりの夕張



4年ぶりに北海道のかつての炭鉱町・夕張を訪れた。 財政破綻ですっかり有名になってしまった夕張の街は、4年前と同じように人の気配がほとんどなかった。 

 ネオンが点かない酒場や飲食店は物悲しい。 入口にさがっている<CLOSE>の札 は、営業時間前だからでも定休日だからでもない。 もしかしたら、いや、おそらく確実に永遠の<CLOSE>なのだ。 

 それでも、今回は行けなかったが、4年前に初めて訪れて、大好きになってしまった居酒屋「俺家(おれんち)」は、元気に営業を続けていると聞いたのは嬉しかった。

 しかし、よそ者の素人目には、昼間も夜も人通りのない街のどこに、「俺家」へ行く客が住んでいるのか不思議だ。 とにかく人がいないのだ。 

 夕張市ホームページによれば、1960年に116,775人だった人口は、4年前2012年に訪れたとき、既に11分の1の10,471人に減少していた。 そして今回2016年、さらに減って、ついに1万人を切り9025人になっていた。

 2011年には、11校の小中学校が小学校1、中学校1に統合され、廃止になって子どもたちの声が聞こえない校舎のたたずまいが哀れを誘う。

 どうすればいいのだろう。 人口減少が進む日本全体の未来図かもしれない。 夕張だけの問題ではないのはわかる。 だが、夕張の凍てついた通りに佇むと頭の中が真っ白になる。 

2016年12月16日金曜日

トルコが病んでいる



 12月10日夜、イスタンブールで爆弾テロが発生、警察官など30人以上が死亡した。 事件現場は、かつてイスタンブールに住んでいたとき、とても馴染みのある場所だったので、今遠く離れて日本にいるのに、ぎくりとした。

 現場は、トルコのサッカー人気チーム「ベシュクタシュ」の本拠地ヴォ—ダフォン・アリーナのすぐ近く。  ボスポラス海峡が目の前、アリーナの横の急な坂道を上ると、東京で言えば銀座に当たるタクシム広場とイスティクラル通りに出る。 外国人訪問者も多い観光地だ。 このアリーナは坂道の中腹からグラウンドを覗くことができるので、試合のあるときはタダ見の人が道路際に群がり、クルマの通行が妨げられることがある。

 爆弾事件が発生したのは、その夜のゲームが終わって2時間もたってからだった。 直後であれば犠牲者の数は計り知れない。

 おそらく、実行者は観客が溢れている時間の無差別テロを狙ったが、警戒が厳しくて断念したのだと思う。 試合を見るために、アリーナに入るには厳しいセキュリティ・チェックを通らなければならない。 ポケットのコインすら 帰りに出口で返してくれるものの。取り上げられる。 飲み物のガラス製ボトルも許されない。 出入り口だけでなく、周辺地域も多数の警察官がパトロールしている。

 最近の状況は知らないが、トルコ各地で以前よりも過激なテロ活動が頻発している。 警戒がはるかに厳重になっていたのは間違いない。

 トルコでは長年にわたる政府の弾圧政策のせいで、クルド人の反政府活動が活発に続いている。 このため国民に対する監視も厳しい。 外国人ジャーナリストの電話も盗聴されている。 電話でクルド人活動家と会う約束をし、会合場所に行って、待機していた警察官に身柄を拘束されたこともあった。

 今と比べれば、当時の治安状況ははるかに良かった。 それでも、当局の視線を感じて生活するのがイスタンブールだった。 現在、監視はずっと厳重になっているはずだ。

 それにもかかわらず、大規模なテロ事件が発生する。 トルコは病んでいる。 独裁体制を固めようとする大統領エルドアン、隣国イラクとシリアから感染する政治不安、いろいろな病原菌が入り混じってトルコ社会を冒している。

 イスタンブールでテロが起きた直後、Facebook を通じて、トルコ人の友人から安全確認の通知が届いた。 本当にほっとした。 トルコはこんな国ではなかったのに。    

2016年12月14日水曜日

世界が壊れる



 11月のアメリカ大統領選挙でトランプが当選してから1か月以上がたった。 なぜ、あんな男が勝てたのか、世界は、いまだに納得できないでいる。

 今年の世界は予想外の選挙結果だらけだ。 イギリスの国民投票によるEU離脱決定、フィリピンのならず者ドゥテルテの大統領当選・・・。 意味不明の狂信集団IS(イスラム国)の勢力も衰えていない。 意外な出来事に慣れてきて感覚が麻痺し、どんなことが起きても驚かなくなるのが、そろそろ怖くなってきた。

 きっと、今われわれは歴史的転換点に立っている。 冷戦時代からアメリカ一国支配を経て、未知の秩序が形作られようとしている。 IS台頭、トランプ勝利といった過去の経験からすると想像を超えた現象が起きるのは、まさに未知の時代へ突入しているからだ。

 まもなく、中国が支配する世界になるのかもしれない。 北朝鮮が核戦争の引き金を引いて混乱の世界が始まるかもしれない。 その混乱と巨大群発地震で日本は国家存亡の危機に直面するかもしれない。 EUは消滅し、ヨーロッパではドイツが唯一の大国になっているかもしれない。

 様々な予想外の出来事は地中深くのマグマでつながっている。 天皇の生前退位がどうとかなどというチマチマしたことでエネルギーを浪費しているうちに、地球を揺るがすビッグバンがやって来る。

2016年12月7日水曜日

ドゥテルテは鬼平か


 ひまなとき、池波正太郎の時代小説を読むのが大好きだ。 江戸情緒たっぷり、本筋とは関係ないが、ところどころに挟まれる酒肴の詳細な描写もたまらない。 読むのを中断し、同じものを作って酒を飲み始めてもしまう。

 最近、文庫本の「鬼平犯科帳」全24巻を友人からもらった。 自宅で読み終わった大量の「池波正太郎」が邪魔になったのでくれたのだろうが、もらった方は夢中だ。 毎日、朝も夜も読んでしまう。 だが、24巻もあるので、いくら読んでも終わらない。 しかも、 読むと飲みたくなる小説だから酒量も増える。

 火付け盗賊改方・長谷川平蔵は、江戸に跋扈する盗賊どもを次々ととっつかまえ、必要とあらばバッサリと悪人を切り殺してしまう決断力の持主だ。 その爽快さに引きずられて、つい読みふけってしまう。 

 日本の時代劇映画や小説のヒーローは、多かれ少なかれ、鬼平みたいなものだ。 われわれ日本人の祖先は90%以上が不労所得者の武士に支配され搾取されていたのに、武士をヒーローにし憧れる。 

 鬼平に至っては、頻繁に、「憎きやつ」と自分の判断で江戸の公道で人を斬殺処刑してしまう。 いったい、全24巻で鬼平が直接手をかけて殺すのは何人になるのだろうか。 どこかの鬼平・池波マニアは正確に数えているかもしれないが、1巻につき2人なら48人、3人なら72人。 印象としてはもっと多いような気がするが、大量破壊兵器なし刀1本の殺害数としては驚異的だ。 

 だが、この小説では、鬼平による殺害は「超法規的処刑」ということになる。 鬼平の小説に夢中になるということは、現代人も、鬼平のような人物にヒーロー像を求めているのだろうか。 民主主義の基本である法の支配を絶対的価値とする社会の一員でありながら、個人の判断で平気で人を殺す鬼平を楽しむ自分とは何か。

 もしかしたら、超法規的措置で多数の犯罪者を抹殺して治安回復を実現し、フィリピンの大統領にまでなったロドリゴ・ドゥテルテは、現代の鬼平なのかもしれない。 その非人道的やり方は、現在の国際社会では嫌悪されている(日本の首相・安倍晋三は友情を温めているが)。

 なぜ鬼平を面白く思うのか。 とりあえず、24巻を堪能してから考えてみよう。 心に悪魔が巣くっているのか。

2016年11月16日水曜日

多摩川でクルミを拾う

川辺のクルミ(多摩川ガス橋あたり)
アサリを採る人(多摩川河口・羽田空港)
  東京・多摩川の下流域で川っぷちを歩き回っていて、クルミの木がずいぶんあるのに気付いた。 場所によっては群生と言えるほど密集していた。

 枝にはたわわに実がなっていた。 足元には熟れた実が散らばっていた。  そうか、きっとクルミの実は川を流れて岸にたどりついて育っていたのだ。 川っぷちにクルミが群生していることがうなづけた。

 せっかくだからクルミを20個ほど拾って持ち帰った。 果肉をむしり取り、中から出てきた硬い殻をオーブントースターでしばらく熱したらヒビが入り、簡単に中身を取り出すことができた。 味見してみると旨い。 ビールのつまみにして全部食べてしまった。

 そして、ふと思い至った。 拾ったクルミを食べて、縄文時代人の生活を体験できたのかもしれないと。

 東京に住んでいては野生の木の実や果物をみつけて食べる機会はそうはない。 

 縄文時代の多摩川の様相は今とまったく違っていたらしい。 現在は高台になっている多摩川台公園あたりから大森あたりまでが、広大な三角州の縁だったようだ。 縄文人は、現在は高級住宅地になっている田園調布や山王にかけての川沿いを生活の場にし、ドングリやクリ、クルミを採取していたのだろう。 

 潮が引くと干潟になる三角州では貝を掘り出していた。 あの有名な大森貝塚から、我々はそれを知ることができる。  彼らが貝を採っていた光景は、今も羽田空港のすぐ横に展開されている。  シジミやアサリを掘る地元の人たちの姿は、おそらく縄文人たちと大きな違いはない。

 拾ったクルミを食べて縄文人になった気分で思った。 縄文人と我々は人間として、どれくらいの違いがあるのだろうかと。 彼らは遅れた原始人なのか。 我々は進んだ現代人なのか。 同じクルミを食べていると、2500年前に終わった縄文時代の人間と何が違うのかわからなくなってきた。

2016年11月9日水曜日

間違いだらけの「地球の歩き方」?



 世界のあちこちで日本人旅行者が「地球の歩き方」を携えているのを見かける。 人気の海外旅行ガイドブックは、日本人旅行者のバイブルと言えるかもしれない。

 なぜ、それほどまでの地位を確立したのか、不思議ではある。 内容は薄っぺらで、その程度の情報なら空港のインフォメーションに並べてある無料の観光パンフレットをかき集めた方が、はるかに充実した情報を得られる。 だが、とにもかくにも、日本人が最も信頼しているガイドブックになってしまった。

 アジアの各地を旅していて、なにげなく立ち寄った安宿に日本人客が大勢いて驚かされることがある。 こういう宿は、間違いなく「地球の歩き方」で紹介されている。

 こういう安宿で、インドかネパールか忘れたが、日本人常連客の中にボスがいて、宿を取り仕切っているところがあると聞いた。 貧乏旅行のバックパッカーが集まる宿だから、きっと学校の寄宿舎か合宿所みたいな雰囲気なのだろう。 ちょっと覗いてみたくなるが、泊まりたくはない。

 きっと、群れるのが好きな日本人が独特のコミュニティを海外に行ってまで作っているのだろう。 もっとも、これは、旅行者ばかりでなく、海外在住の日本人社会でも多かれ少なかれ見られる現象ではある。

 日本から離れて自由を味わい、快適な旅をしたいなら、「地球の歩き方」に出ていない宿をみつけなければならない。

 とは言え、「地球の歩き方」はどこでも気軽に見ることができるので、まったく利用しないわけではない。 信用はしないけれど、ちょっとした参考にすることはある。

 近くの図書館で「地球の歩き方2016∼17東アフリカ」というのを借りた。 年末にタンザニアへ行こうと思っているからだ。 

 初めての国なので知識はほぼ皆無。 一番大事なお金のことを知ろうと、為替レートの項目を見ると、1タンザニアシリング=約0.48円 となっている。 この本の発行は2016年8月12日だから、ほんの3か月前。 現在のレートと大きな違いはないだろう。

 今回の旅の目的地である高原都市アル―シャの安宿が紹介されている。 Meru House Inn というのは、シングルで2万5000シリングとなっている。 この本に出ている為替レートで計算すると1万2000円になる。 えっ、本当かよ! ずいぶん高い安宿ではないか。

 本格コーヒー(きっと、かの有名なキリマンジャロだろう)が飲めるというAfricafeという店 のコーヒーは4000シリング。 日本円で1920円になる。 おそろしく高いコーヒーだ。 ちなみに、東京・帝国ホテルのランデブー・ラウンジ・バーのコーヒーは1380円。 いったい、タンザニアという国はどうなっているんだ!

 ここまで来て、レートが間違っていることに、やっと気付いた。 ネットで調べると、「地球の歩き方」は一桁違っていた。 1タンザニアシリングは、0.48円ではなく0.048円だったのだ。 したがって、安宿は1200円、コーヒーは192円が正しい。

 これはひどい。 ネットで、「地球の歩き方」の更新訂正情報というのを開いてみたが、この致命的間違いの訂正は出ていなかった(2016年11月9日現在)。

 これは小さな問題ではないと思う。 旅行者にとって、お金に関する情報は最も重要だ。 これをいい加減に扱う旅行ガイドブックは、ガイドブックの体をなしていない。 発行前のチェックを怠り、発行から3か月もたって、まだ間違いに気付いていない。 とてもプロの仕事とは思えない。

  こういう基本情報に誤りがあると、すべての情報を疑いたくなる。 まあ、もともと信用していなかったから、腹は立たなかったが。

 1900円もする”間違った地球の歩き方”を買わない選択をした自分を褒めてやろう。 

2016年10月30日日曜日

”オモテナシ”は余計なお世話ではないか


 初めての外国体験はインドネシアだった。 1979年。 ずいぶん古い話だ。 到着した翌日、首都ジャカルタの中心部にある独立記念広場を散歩していたとき、インドネシア人の男が話しかけてきた。 追憶の中では、最初の見知らぬ外国人との会話らしい会話だ。

 優しい表情に悪意は感じられなかったので応じたが、到着したばかりでチンプンカンプンのインドネシア語だったので、まったく理解できない。 彼はそうとわかると、上手ではないが英語に切り替えた。 

 そのとき、いろいろなことを取りとめもなく話したと思うが、鮮明に記憶に残っている彼の言葉がある。  「インドネシアにいるのに、どうしてインドネシア語を話さないのか」と彼は言ったのだ。

 これは、ちょっとした驚きだった。 日本人が東京の街で初対面の外国人と会話しようとするとき、たいていは、日本語ができないだろうと思って、下手な英語を使おうとするのではないか。 だが、インドネシア人の彼は、インドネシア語で話しかけ、初対面の外国人にインドネシア語を勉強することを勧めたのだ。 

 以来、いろいろな国に行ったが、たいていの国の人たちは、外国人であろうと自分たちの言語で話しかける。 こちらが理解できないとわかると、「困ったヤツだな、こいつ」という顔をする。 こっちは「申し訳ない」という気分になる。 そのあと、運が良ければ、世界の共通語、英語に切り替わる。 だが、そんな幸運にはなかなか巡りあわず、トンチンカンな会話が進行する。

 だが、それでも、なぜか簡単なコミュニケーションは成立する。 「食事をしたい」、「トイレに行きたい」、「バス停はどこ?」、「ホテルを探している」・・・。 訪れた国の人たちとの、ほんのささやかな交流。 その積み重ねが旅の味わいになる。  

 今でも、毎年、何回かアジアの国々を中心に、行き当たりばったりのバックパッカー旅行をする。 言葉も通じない見知らぬ人々との様々な接触が面白い。

 今まで経験したことはないが、どこかの国で通りを歩いているときに、「外国人ですか? なにか困っていたら助けてあげますよ」と、英語や日本語で話しかけられたら、どう感じるだろうか。

 おそらく、まず警戒して、何が狙いか疑うだろう。  どこの国でも外国人観光客に話しかけてくるのは物売り、客引と相場が決まっている。 善意とわかっても、きっと「余計なお世話」と思うだろう。 オレの旅に口出しするな、と。

 旅の醍醐味は、言葉が通じなかったり、道に迷う不便さだ。 それがスリルに満ちた冒険なのだ。

  2020年の東京五輪が決まって以来、テレビを見ていると、日本では”オモテナシ”のキャンペーンが大展開されていることがわかる。 道路標識などに英語などの外国語を加えて、外国人に”優しい”街にするとか、商店街のオバチャンたちが外国人観光客のために英会話の勉強に励むなどというのが、はやりの話題として報じられている。

 ボランティアたちは通りかかった外国人に、緊張した表情で Can I help you? と話しかけて2020年へ向けての練習を開始している。

  もし自分が外国人で日本を観光で訪れたとしたら、この”オモテナシ”は鬱陶しくて堪らないと思うだろう。 相手に悪意がないから、うるさいと感じても追い払うのが難しい。 実に困った存在になるだろう。

 外国に行ったら、言葉が通じないのは当然で、わからないことだらけに決まっている。 だからこそ新しい発見ができる。 そして、それが旅なのだ。 

日本で、外国人と偶然に会話する機会が生まれたとき、例えば、東京のバーのカウンターや北海道のスキー場のリフトで隣りあわせになったとき、初めて会ったインドネシア人が教えてくれた接し方をすることにしている。 最初は日本語で話してみるのだ。 多くの外国人が片言の日本語で懸命に応じようとする。 日本語で頑張った末に、もうこれが限界だとばかりに「ごめんなさい」と謝って、英語に切り替える人もいる。 

 多くの外国人が、日本にいるなら日本語を話したいと思っている印象がある。 東京・麻布の金持ちや外交官向けのスーパー National で日々の買い物をし、日本の生活を知ろうとも馴染もうともしない外国人は、日本語にも関心がないだろう。 だが、そんなスノビッシュな外国人は、ほんの一握りの数であろう。

 外国人は日本語を理解できないと決め込むのは、ある種のracismかもしれない。


 下手な英語で近寄ってくる”オモテナシ”が、外国人にとってわずらわしい日本人の過剰サービスという意味にならなければいいが。