日本の侵略戦争が無残に終わったと天皇が発表した1945年8月15日水曜日から64年たった蒸し暑い土曜日。テレビをつけると、政府主催の全国戦没者追悼式で、政治生命が尽きようとしている不人気の総理大臣が挨拶原稿を棒読みしていた。
午後、寝転がって、退屈きわまりない内容で放っておいた新書をなにげなく手にとった。「桃太郎と邪馬台国」(前田晴人著・講談社現代新書)。偶然開いたページを読んでみたくなったのは、8月15日のせいだろう。
「桃太郎は無上の宝物の獲得を目的として鬼退治にでかけるわけであり、大方の読者は昔から桃太郎が鬼退治をすることは当然とみなしてこの話に接してきたであろう。いわば鬼はわれわれにとって悪辣な存在だという固定観念が根底にあり、桃太郎が鬼から宝物をせしめることには何の疑いも後ろめたさも持たなかったのだ」
「しかし話の筋を鬼の立場からみた場合、鬼にとって桃太郎は鬼が島という彼ら独自の秩序世界の外部からの唐突なる侵略者にほかならず、桃太郎こそは彼らにとってはそれこそ鬼のような存在なのではないだろうか」
「桃太郎の鬼退治には善と悪の両極のファクターが常につきまとっており、桃太郎は悪を懲らしめる勇敢な英雄であると同時に、悪の懲らしめという行為そのものが常に略奪と暴力の性格を帯びているという、両義性を同時に内在させた存在なのである」
あの戦争の思想に見事に適合するおとぎ話「桃太郎」は、軍国主義日本のプロパガンダにおおいに利用された。その点を集約した文章である(芥川龍之介の小編「桃太郎」は、もっと辛辣だ)。今や物珍しくもない指摘だが、8月15日に読んだせいか、インドネシア人の友人の話をふと思い出した。
それは、彼の母親が語ったという体験談だ。スマトラ島の田舎にインドネシアを占領した日本の兵隊が初めて姿をみせたとき、結婚前の乙女だった母親は、残酷な日本人に凌辱され殺されると思った。戸口に兵隊がやって来たときには、便壺の中に身を潜め、去るのをひたすら待ったという。
母親にとって、まさしく日本人は「鬼のような存在」だったのだ。友人は、「お前は、それほど悪くはないなあ」と、やさしく言ってくれた。
日本は、オランダの植民地支配からインドネシアを解放し、独立の達成に貢献したと強調する人々がいるが、それは都合の良い一面にすぎない。「桃太郎=日本の鬼退治には善と悪の両極のファクターが常につきまとっていたのだ」。
2006年に81歳で逝ったインドネシアの大作家プラムディア・アナンタトゥールに生前会ったとき、日本政府に是非伝えてほしいことがあると語った。
彼は1979年まで10年以上、政治犯として流刑の島ブル島に収容されていた。送り込まれた当時、この島は現代文明が届かない土地で、住民はジャングルで原始的生活を営む未開人ばかりだった。
プラムディアはここで、偶然、ジャワの名家出身の女性に会った。未開人同様、木の皮でからだを覆っているだけの姿が不憫だった。
聞けば、ジャカルタで、無理やり日本兵の相手をさせられているうち、日本の敗戦が確実になった。急遽インドネシアを脱出する日本兵を収容した船に強制的に乗せられたが、足手まといにされ、ブル島で何人かの女性とともに置き去りにされた。そのうちのたった一人の生き残りが彼女だった。
日本軍はインドネシアで玩んだ女性たちを、生き残れるかどうかもわからない孤島に捨て去ってしまったのだ。まさに鬼の仕業。
今、夏の高校野球真っ盛り。
スポーツという擬似戦争に没頭する子どもたちよ、祖父に問うてみよ。
本物の戦争のとき、あなたは鬼ではなかったのかと。
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