2009年8月18日火曜日

怪物が生まれたジャマイカ



 日本で高級コーヒーの代名詞になっているブルーマウンテンは値段が高過ぎて、普通の人々が買い物をするスーパーにはほとんど置いていない。「ブルーマウンテン・ブレンド」というのはあるが、これは30%ほど混ぜたもので、これでもかなりの値段だ。

 今や、1キロ数万円もするブルーマウンテンを飲むのは世界で日本人だけだという。このコーヒーを栽培しているのは、ジャマイカの首都キングストン近郊に位置するブルーマウンテン山脈の標高800-1200メートル一帯に限られている。ここで収穫される超高級コーヒーの90%が日本に輸出されている。

 ベルリンの世界陸上男子100メートルで9・58秒という驚異の世界記録を出した怪物Usain Boltは、この山々を眺めるトラックでトレーニングを重ねていた。

 日本では「ウサイン」と発音表記されているが、正しくは「ユーセイン」だ。日本のメディアは、そろそろ訂正した方がいいと思う。

 ボルツの母国ジャマイカは、ある意味、とてもドラマティックな国だ。その民族的精神土壌があったからこそ怪物が誕生したのかもしれない。

 ジャマイカの高級リゾートホテルには、all inclusive というシステムがある。日本語にすれば「すべて込み」ということになるが、1泊2食税込みなどというものではない。食事ばかりか、バーの飲み物、テニス、ゴルフ、水上スキー、スキューバダイビング、ウインドサーフィンなど、あらゆるサービスが込みになっている。ホテルの敷地から1歩も外に出る必要がない。

 「至れり尽くせり」ではあるが、実は有料隔離収容施設でもある。この国は外を出歩くには危険すぎると思う人々をゲストにしているだ。

 実際、ジャマイカの10万人当たり殺人発生率(国連統計)34人というのは、南アフリカ、コロンビアに次ぐ世界第3位だ。治安の危険度をやや誇張する癖のある日本大使館の公表する情報を信じれば、観光に来ても町に出てはいけない。

 ギャングの抗争、麻薬密貿易の中継、マネー洗浄、日常茶飯事の強盗…。生き馬の目を抜くような無法社会を泳いでいくには、度胸とすばしこさが求められるだろう。ボルツのふてぶてしさからアウトローの臭いがするのは、社会の反映と言っては言い過ぎだろうか。

 カリブ海の小さな島国の男で世界の注目を集めたのは、ボルツだけではない。ジャマイカと言えばレゲエ、レゲエと言えば、そう、ボブ・マーリーだ。

 100メートルを41歩で疾走するボルツのBGMには、Exodusの歯切れ良いメロディとリズムがぴったりではないか。そもそも、あの走り方は、レゲエの早回しなのだ。

 ジャマイカ出身者には、他にも、とんでもない大物がいる。米国で黒人として初の国務長官になったコリン・パウエルだ。パウエルはニューヨークのハーレムで、ジャマイカ移民の子として生まれた。

 彼こそは、コロンブスが「発見」して以来のジャマイカの歴史を象徴している。西アフリカの黒人たちは、この島のサトウキビ農園で働かせる奴隷として連れてこられた。奴隷解放後は新天地を求め、宗主国・英国を経由して、世界に広がる大英帝国へ散っていった。そして、過去数10年は、主たる渡航先は米国となった。

 ジャマイカの人口は270万あまりだが、世界には祖国を離れた100万人以上のジャマイカ人が住んでいる。かつてのユダヤ人の離散=Diasporaにならって、Jamaican Diasporaと呼ばれる。

 ボルツの「9・58秒」は、こうしたディアスポラの人々をも歓喜させた。

 1988年ソウル五輪100メートルでカール・ルイスに勝ちながら薬物使用で金メダルを剥奪されたベン・ジョンソンも、カナダに移住したジャマイカ人だった。

 今、ジャマイカ人たちは、あの屈辱だけは2度と味わいたくないと思っている。
 
Jamaican in New York
http://www.youtube.com/watch?v=K05pCpxmEX4&feature=related

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