2009年9月14日月曜日

時空瞬間移動の旅


 フィリピンのセブ島に行ってきた。

 日本から外国を訪れる場合、東京からであれば、成田か羽田で飛行機に乗り、ある国の首都あるいは首都に準ずる大都市近郊にある空港に降り立つ。空港からは、タクシー、バス、鉄道などの交通機関を利用して市内に入り、ホテルにチェックインする。

 その後の旅行は大抵、到着した大都市が拠点となる。交通の流れがそうなっている。とりあえず大都市に到着すれば、まあまあ快適なベッド、そこそこの食事は保証されるし、旅行のための情報収集、交通手段の確保も容易だ。無駄のない合理的な旅行計画が立てられるというものだ。

 それはそれで良いのだが、初めての国の短期訪問、なおかつ大都市だけとなると、往々にして、その国の素顔や実像を見る機会を逸してしまう。「そんなこたあ、どうでもええ」とばかりに、どこの国に行っても日本食レストランでしか食事をしないようなヤカラには、まさに、どうでもいいことだ。だが、人間というものに関心のあるデリカシーを持ち合わせる人々には、物足りない旅になってしまう。

 とくに、発展途上国は大都会の表通りだけでは見られない様々な顔、想像もできないような面を隠し持っている。

 それは、近代化=西欧化が届いていない伝統社会の文化や風習だったり、とんでもない貧富の格差だったりする。目をそむけたくなるような惨めな極貧生活がある一方で、竜宮城のような大邸宅に住む富豪の贅沢三昧生活も存在するのだ。

 だが、貧しいとされる途上国の玄関口である空港からタクシーに乗ってホテルに向かうハイウェイの車窓から、汚れた貧民街の光景などほとんど見えない。観光で外貨を稼ぎたい国の当局者たちは、姑息にもハイウエイ沿いに塀を作って貧民街が外国人の目に入らないようにするのだ。

 ’そんなことはない、空港からタクシーに乗っただけで不潔な臭いが漂ってくることもあるし、交差点で止まれば乞食や物売りにまとわりつかれることがある’という反論があるかもしれない。だが、そういう国では、目に見えない裏口は、もっと、もっとひどいのだ。

 大都会はどこの国でも、多かれ少なかれ人間関係が相対的に希薄で、強盗、引ったくり、こそ泥といった犯罪の温床になりがちだ。伝統社会の紐帯から離れてやって来た地方出身者にも、そこは外国みたいなものだ。

 日本人でも、東京はあくまでも東京で、心の中にある日本とはどこか違うと感じる人は多いと思う。

 セブ島は、日本人にすっかり馴染みになっている観光地だ。ダイビング、ショッピング、エステ、それにナイトライフも充実しているし、拳銃だとか麻薬だとかのいけないモノも比較的容易に手に入るようだ。

 セブには日本から直行便が頻繁に飛んでいる。4時間余りのフライト。

 このセブ旅行には、人の家に玄関口ではなく裏口からいきなり入るような面白さがあった。


 セブの国際空港は、本島ではなく、本島中央部の東側の小さな島・マクタン島にある。そして、セブ・リゾートと言われるビーチの多くもマクタン島にある。
 

 夜、空港からバスでマクタン島南端のリゾートホテルに向かう。このわずか30分ほどのツアーが、まるで、東南アジアの劇的な経済発展が始まる1985年以前の世界への時空瞬間移動なのだ。


 空港から出ると、バスは直ぐに、バイクにサイドカーを付けたバタバタと呼ばれる三輪車の群れに捉まり、身動きできなくなる。道路の両側は、ハロハロという小汚いミニ・ショップ、不潔そうだがうまそうな焼き鳥屋、下手くそな化粧をした女たちが顔を見せている怪しげなマッサージ屋などがぎっしり並ぶ。穴だらけの歩道を埋め尽くす暇そうな人々の顔、顔、顔。

 奇跡の発展を遂げた現在の東南アジア諸国の玄関口で、こんな光景をいきなり目の当たりにすることは、もはやない。だが、セブにはそれがあった。飾らないフィリピン人の率直さのなせる技かもしれない。東南アジアの経済発展が地方までは決して及んでいないという現実があからさまに広がっていたのだ。

 世界有数の清潔な都市・東京から4時間余りで飛びこんだ古き良き猥雑なアジア。

 翌朝、刑務所のように高い塀で外部世界から隔離されたリゾートホテルから一歩出ると、そこは、ただの貧しい村だった。痩せた犬と鶏が走り回り、ヤギの一団が狭い道をふさぐ。すれ違う村人たちが人懐こく笑いかける。人の温もりに欠けた東京との心地良い落差。塀の中の人工的リゾートではない素朴な本物のリゾート。

 それにしても、外国人にやさしいマクタン島の人々を見ていると、500年の歴史を感じてしまう。

 この島は、あのマゼランが世界一周の途上、1521年に上陸し、イスラム教徒の王ラプラプとの戦闘で死んだ土地なのだ。ラプラプは以来、フィリピン人抵抗運動の象徴になっていた。

 今、この島の人々は、日本人だろうが、韓国人だろうが、あるいはヨーロッパ人だろうが、外国人であれば誰でも大歓迎する。外国人は、かつてフィリピンを支配したスペイン人やアメリカ人、日本人のような侵略者ではありえない。訪問者をもてなすことが、彼らの生業になっている。

 近ごろは、日本でも西欧中心史観に基づいて、「マゼランがフィリピンを発見した」とは言わなくなった。「発見」ではなく「到達」と表現するようになった。だが、マゼランが「発見」し、「フィリピン」と名付けられなければ、この多島海が「フィリピン」と呼ばれることはなかったし、「フィリピン」というナショナル・アイデンティティも存在しなかったろう。

 マクタン島の人々が今、「発見」だとか「到達」にこだわっているとは思わない。現実の生活が目の前にある。

 リゾートホテルのウエイトレスは月給6000ペソ、日本円でわずか1万2000円程度だが、良い給料で「幸せ」と言って微笑んだ。

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