9月16日、民主党政権が正式に発足した。この歴史的な日をテレビは1日中、ニュースと特集で伝えていた。だが、世間の普通の人たちは、とくに興奮している様子もなく、まだ強い日差しの残る初秋の日は淡々と過ぎていった。
前日の読売新聞夕刊に出ていた記事「特派員が見た『日本のチェンジ』」に登場したAFP通信東京特派員パトリス・ノボトニーの感想は、まさに、この点に触れていて興味を引いた。
「衆院選で大勝した時、民主党の幹部たちが見せた笑顔は、すぐに思い出せないほど印象が薄い。国民も冷静で、(オバマ・フィーバーが起きた)米国のように、数万人の支持者が夜通し勝利を祝うような光景に出会うことはなかった。母国フランスでも1995年、社会党から政権を奪還したシラク大統領の支持者が、パリでの勝利宣言を歓喜の渦で迎えた姿が今も記憶に刻まれている。なぜ日本人はお祭り騒ぎにならないのか」
フランス人記者の疑問には、色々な答えが可能だろうが、お祭り騒ぎにならなかったのは、決して日本的慎み深さのためではなかったとは断言できるだろう。
今回の総選挙が、55年体制と呼ばれる自民党長期支配を終焉させる歴史を作ったのは事実だ。だが、それは国民が幸福感を共有するような出来事ではなかった。そういう興奮で言えば、民主党政権発足2日前にイチローが達成した大リーグ9年連続200本安打の新記録の方が、はるかに国民の共感を呼び起こした。
1986年2月、フィリピンのマルコス独裁政権が崩壊した直後の首都マニラの雰囲気を思い出す。人々は解放感に浸り、誰もが愛国者になったように見えた。レストランやバーでは見知らぬ客同士がフィリピン国歌を唱和し、乾杯を繰り返していた。あの幸福感、euphoriaは、敢えて例えれば、阪神タイガーズが優勝した夜(何年前のことか知らないが)の道頓堀みたいなものかもしれない。
フランス人記者がそれを期待したのだとしたら、日本の今の政治的、社会的雰囲気を読み違えていたのであって、東京特派員失格と言えなくもない。
今回の選挙は、長期政権の打倒ではあったが、マルコスやスハルト、あるいはサダム・フセインといった独裁者の追放や革命ではなかった。とは言え、ノボトニーが言うように、日本人は確かに、選挙結果に本当に静かだった。実際のところ、街に繰り出して祝いたいなどとたいていの人は思いもしなかったろう。
なぜだろう。
おそらく、起きるのが遅すぎた出来事だったからだ。冷戦時代を支えた古臭い支配体制が、日本では冷戦が終わってから30年も続いた。他の国では様々な変化や変革が起きたのに、日本では鼻をつまみたくなるような強烈な加齢臭をまき散らす醜悪な老人たちとその子飼いたちがずっと居座っていた。
今、日本人たちは、ほっとしているというところだと思う。やっと終わったと。
1988年7月18日、イラン政府はイラクとの戦争終結を求める国連安保理決議598号を受諾すると発表した。これによって、8年にわたる不毛な殺し合い、イラン・イラク戦争がやっと終わった。双方が消耗し尽くし、誰もがうんざりしていた。
その夜、テヘランではこの季節には珍しい雨が降った。街を歩いてみたが、終戦を喜ぶ市民の姿はなく、人気はほとんどなかった。老婆がひとり、ぶつぶつ言いながら歩いていた。
「ジャンギ タマムショッ」「ジャンギ タマムショッ」
「戦争が終わった」「戦争が終わった」と繰り返し、呟いていたのだ。それが喜びの声だとは到底思えなかった。空しく過ぎ去った日々と死んだ100万人の若者に涙しているように聞こえた。
今度の日本の選挙結果とイラン・イラク戦争の終結を並べるのは、いくらなんでも…とは思う。
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