最近、3Dと呼ばれる立体映画が注目されている。 あの間の抜けたトンボめがねをかけないと画像が立体化しないという欠点はあるにせよ、家庭用テレビでも3Dが普及するかもしれないという。 家族そろってテレビを見ながら夕食をとることが習慣になっている日本で、全員が大きな色つきめがねをかけている光景は不気味でもあろう。
その3D映画として、今、最も注目されているのが「アバター」だ。 新聞の映画評でも評判がいいので、正月の暇つぶしに、つい見に行ってしまった。
客席はほぼ埋まっていて人気の高さがわかる。 館内が暗くなると、すぐに飛び出す画面が目の前に広がった。 なるほど、すごい迫力だ。 だが、結論からすると、残念ながら、映画の内容にはがっかりさせられた。
こどものころ、便所の臭いが漂う場末の映画館で見たアメリカ西部劇の中には、ゲーリー・クーパーの「真昼の決闘」とかアラン・ラッドの「シェーン」のような名画があった。 ほかに、西部劇のジャンルには、”騎兵隊もの”というのもあった。 こちらの方は、白人の頭の皮を剥ぐ野蛮なインディアンの襲撃を、勇猛かつ規律のとれた正義の味方・騎兵隊が最後に追い払い、ハッピーエンドという結末。 今では、先住民の命と土地に対する略奪行為を、これほど単純・露骨に賛美することは不可能になった。
(だが、アメリカ白人の心象風景を覗けば、おそらく今でも血沸き肉踊る”騎兵隊もの”への憧れが蠢いていることだろう。 恐ろしいことに、ほんの数年前には、本当に”騎兵隊”をイラクの”野蛮人退治”に派遣してしまった)
映画の世界では多分、ベトナム戦争の影響が大きかった。 米軍のベトナムでの残虐行為、あげくの果ての屈辱的撤退。 あの敗北はアメリカ人のトラウマとなって、1970年代、「アメリカ人は正しい」という自信は揺らいだ。 そういう時代が生んだ西部劇が「ソルジャー・ブルー」であろう。 騎兵隊のインディアンに対する残虐行為を、目を覆いたくなるリアルさで描いた。 ベトナム戦争が、正義の西部開拓史にも疑問を投げかけたのだ。
「アバター」は、古典的騎兵隊西部劇の焼き直しにすぎないのだ。 ただし、「ベトナム後」を踏襲し、善悪を逆にして、騎兵隊にあたる地球人は悪者の侵略者、インディアンに相当する衛星パンドラに住むナヴィが美しい星を侵略から守るというハッピーエンド。
つまり、仕掛けはおどろおどろしいが、ストーリーは見え透いていて、安っぽい。 映画というより、むしろ遊園地を楽しむのに似た感覚かもしれない。 いかがわしい見世物小屋の呼び込みに騙されたみたいだ、とまでは言わないが。
とはいえ、とにかく子ども騙しなのだ。 それでは、おとなのための3Dはどうすればいいのか。 きっと、とりあえずの安易な選択は、ポルノに違いない。 こいつは、きっと迫力がある。 だが、これは矛盾だ。 制作者にとってのポルノ映画のメリットはカネがかからないことだが、「アバター」は、とてつもない巨額投資の産物なのだ。
きっと、バーチャルの世界を現実に近付けることに努力するよりも、われわれは現実の世界をもっと楽しくすべきなのだろう。
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