4月1日に行われたビルマ国会(連邦議会)の補欠選挙で、長年にわたり軍事政権と対立してきたアウン・サン・スー・チー率いる国民民主連合(NLD)が圧勝した。 そうなると、これで、この国の民主化に弾みがつくのだろうか、と誰でも考える。 ところが、この問いに対し、世界中の政府、専門家、メディア、それにビルマ人自身ですら、自信を持った答えを示してくれない。 それほど、ビルマ(ミャンマーと呼ぶべきか)というのは不可解な国なのだ。
ただ、この1年余り続いている”政治改革”と受け取れる動向を、米国も、米国に追随する日本ももちろん、欧州連合(EU)も歓迎し、「さらなる民主化」を求めている。 それでは、この”民主化”の行く末は何なのか。 これがわからない。 これまで力で国民を支配してきた軍事独裁が、すんなりと民主国家に変身するイメージが誰の頭の中にも湧いてこないからだ。
今注目されているプロセスを遡ると、2003年8月30日に、当時の軍政首相キン・ニュンが発表した「民主化へのロードマップ」にたどりつく。 つまり、軍政の描いたシナリオ通りの”民主化”に、スー・チーも彼女を支援する米国務長官ヒラリー・クリントンも踊らされていることになる。
このロードマップは、民主化実現まで7つの段階を踏む。 以下が、その段階と経過だ。
第1段階 国民会議を招集する。 (2004年)
第2段階 国民会議で、民主的システム構築のための検討をする。
第3段階 新憲法草案を作る。 (2008年 4月 9日)
第4段階 新憲法承認のための国民投票を行う。 (2008年 5月10日)
第5段階 国会召集のために自由で公正な選挙を実施する。 (2010年11月17日)
第6段階 新国会召集。 (2011年 1月31日)
第7段階 国会に選ばれた指導者、政府機関が民主国家建設を進める。 (2011年3月30日)
現在は、最後の第7段階に達し、軍籍を離れたテイン・セインが大統領に就任して軍政が終わり、民政が行われていることになる。 その下で、この1年間、多数の政治犯が釈放され、アウン・サン・スー・チーの地方での政治活動が認められ、少数民族の反政府武装組織との停戦が実現した。 また、労働組合結成を認める新労働法が導入され、平和的デモも認められるようになった。
こうした状況をにらんで、米国、EUはビルマへの経済制裁を緩和する検討を開始し、日本企業は新たな激安賃金労働市場への活発な進出合戦に突入した。
そして、今回の補欠選挙でのスー・チーの勝利。 補欠選挙は、連邦議会(664議席)のうちの43議席と地方議会の2議席だけで、スー・チーのNLDが全議席を獲得しても勢力地図への影響は皆無に近い。 だが、次回2015年総選挙でのNLD大躍進を十分に予感させる結果となった。
だが、おそらく、1年前に政治の表舞台から公式に引き下がった軍も、2015年NLD大躍進までは想定内としていることだろう。 それは、2008年公布の現憲法から十分読み取ることができる。
この憲法によれば、第1章<連邦の基本原則>として、「国軍は国家の国民政治の指導的役割に参画する」(第6条)、「国軍は憲法を擁護する主たる責任を負う」(第20条)etcとうたっており、連邦政府の閣僚も、国防、内務、国境管理は国軍最高司令官が指名すると規定している。 また、第4章<立法機関>では、連邦議会全議員の25%は国軍最高司令官の指名としている。
こうした憲法規定によって、国家における軍の中心的役割は明確に示されている。 NLDなどの反軍政・民主化勢力が議会で大躍進したとしても、「軍の中心的役割」を覆し、真の文民支配による民主主義を実現するのは容易いことではない。
さらに、軍が憲法上の”保険”としたのが、第12章<憲法改正>だ。 ここでは、連邦議会全議員の20%以上の賛成で憲法改正の法案を提出、75%以上の賛成で改正を可決した上で、国民投票にかけ有権者の過半数の賛成で改正が成立するとしている。
民主化勢力の主張の中心にあるのは、政治からの軍の全面撤退だが、軍人が25%を占める議会で、75%以上の賛成を獲得して憲法改正を実現することは、ほぼ不可能だろう。
そればかりではない。 軍は、自らの「中心的役割」を保障するための最終手段も憲法に盛り込んでいる。 第11章<非常事態に関する規定>だ。
第418条 「反乱、暴力および不正で強制的な手段による連邦の主権を奪取する行動または企てにより、連邦の分裂、国民の結束の崩壊、もしくは主権の喪失が起きる」。 これを「非常事態」とし、「非常事態が発生した場合、または発生するに十分な理由がある場合」、大統領は「非常事態宣言」をする。 そして、大統領は連邦内を元の状態に速やかに回復させるため、「国軍最高司令官に、連邦の立法権、行政権、司法権を委任することを宣言する」としている。
軍は引っ込んではいない、いつでも出てくるぞ-という恫喝とも思える規定だ。
2008年憲法を読むかぎり、軍主導の”民主化プロセス”は、もう終ってしまったのだ。 スー・チーのメディア露出度がいくら高まっても、民主化幻想にとらわれるべきではないのかもしれない。
とは言え、民主化への希望が膨らむ楽観論も描けないわけではない。 それは次の機会にまわそう。