(パトン・ビーチの沖合い、かつて津波がやって来た海に豪華客船が浮かぶ) |
(パトン・ビーチのイスラム教墓地は、今も津波に洗われたままだ) |
2004年12月26日のスマトラ沖大地震から1年あまりたっていた。 マグニチュード9.3という超巨大地震が最大34メートルという津波を引き起こし、インドネシアをはじめアンダマン海からインド洋に至る沿岸諸国で22万人の命を奪った。 多くの外国人がくつろいでいた白い砂浜のプーケット島パトン・ビーチも津波に襲われた。 レストランも酒場もマッサージ・パーラーも、すべてが破壊され、外国人観光客を含め数千人が死亡した。 華やいだ観光地が忽然と消えたのだ。
2006年、津波被害から1年以上たち、ホテルは復旧し街並は戻っていた。 だが、観光客の姿はまばらで、気が滅入りそうな侘しい雰囲気は、客がつかなくなった娼婦の面影だった。
そして2014年2月。 8年ぶりに訪れたパトン・ビーチは、落ちぶれた娼婦が整形手術と厚化粧で蘇ったかのようだった。 通りは様々な照明で明るく照らされ、外国人観光客が溢れていた。 もはや、ここが津波で死にかけた過去を持つ街とは思えない。
もうひとつの変化は、街を歩くと中国語とロシア語の会話がひんぱんに耳に飛び込むようになったことだろう。 これは時代の変化だ。
変化といえば、街ばかりではなく、島の周辺の海底もかつての表情とは違う。 シュノーケリングで海に潜った外国人旅行者が驚いていた。 「珊瑚がみんな死んでいる」。 ボートで観光客を案内する地元プーケットのタイ人の若者が言った。 「5年くらい前から。 観光客がたくさん来るようになってからのこと」。 津波でも珊瑚の被害があったが、今起きているのは人間が引き起こしたものらしい。
”美しい珊瑚に囲まれた島”は、津波を生き延びても、やはり死ぬ運命にあるのか。
人口25万人のプーケット島の20%はイスラム教徒とされる。 彼らの墓地のひとつがパトン・ビーチに面したところにある。 9年前の津波の痕跡を見られる数少ない場所のひとつだ。 高級ホテルの建物に囲まれ、 ビーチに面した一等地なのに、津波に洗われたまま放置され、雑草に覆われた空き地になっている。 おそらく墓地という性格上、跡地利用が難しいのだろう。 ここでは、9年という時間が置き去りにされ止っている。
だが、変化のけばけばしさに疲れ、墓場の茂みに足を踏み入れると、なぜか、ほっとした気持ちにさせられる。
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