2014年12月13日土曜日
もう一つの「ぺヤング焼きそば事件」
確か、1987年のことだった。 イラン・イラク戦争は翌年終結するが、当時はいつ終わるともなく、戦闘がだらだらと続いていた。 イランの首都テヘランの市民は、食料やガソリンといった生活物資の不足に悩まされていた。 数少なくなった在留外国人にとっても、それは同じだった。 そんな中に、6,7人の日本人記者たちがいた。 主たる任務は、命がけの前線取材。 極度の緊張でずたずたになった神経を癒すために、彼らはテヘランに戻るとよく集まって密造のウオッカやワインで酔いどれたものだ。
彼らは、本物のスコッチやビール、日本食に飢えていた。 たまに日本帰りの駐在員がお土産の日本食を分けてくれると、死肉に群がるハイエナのようにむさぼり食った。
あるとき、日本の大臣が東京から同行記者を伴ってテヘランを訪問した。 こういう取材は日本政府がおんぶにだっこで、現地駐在記者とは異なり旅慣れない同行記者には、日本から運んできた食べ物や酒がふんだんに振舞われる(もちろん国民の税金で)。
このとき、われわれテヘラン駐在記者たちも、同行記者たちにあてがわれたホテルのプレス・ルームに顔を出した。 そして、目は大きなテーブルの上に山積みされた即席麺やせんべい、菓子類に釘付けになった。 テヘラン組が長いこと口にしていなかったものばかりだった。
「われわれも食っていいのかなあ」。 誰かがなにげなく同行組に声をかけた。 「どうぞ、どうぞ」と優しい返事。 すぐに心を通じ合ったテヘラン組はにんまりして、みんなで自分のカバンに、めだたない範囲で最大限の食い物を放り込んだ。
その夜の酒盛りは、戦利品を並べて盛り上がった。 税金を取り戻したと。
宴たけなわのころ、誰かが即席麺を食べ始め、「こりゃあ、うめえなあ」と言った。 みんなで何を食っているのかと覗いてみると、<ぺヤング焼きそば>だった。
今では常識だが、即席焼きそばは容器にお湯を入れ、3分たったらお湯を捨て麺にソースをかけて食べる。 だが、当時はそれほど普及していなかったのか、テヘラン住まいでボケていたのか、「うめえ」と言った記者は、お湯を捨てずにソースを混ぜたスープをズルズルすすっていたのだ。
そのうち、誰かが不審そうに「それ、焼きそばだけどスープ付きなのかなあ」と言った。 まもなく日本から赴任したばかりの記者が気付いた。 「お湯を捨てないで食ってるのかよ、気持ち悪い。よく、そんなの旨いって言うな」
以来、当時の記者仲間たちは日本に戻って何年たっても、このエピソードを「テヘラン・ぺヤング焼きそば事件」と呼んで、笑い話にしていた。
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