2015年1月7日水曜日

25年ぶりのビルマ①


 近ごろ軍政下の民主化と経済発展で注目されているミャンマー、かつてのビルマへ、25年ぶりに行ってみた。 みすぼらしかった国がどれだけ変貌したのか眺めるセンチメンタル・ジャーニーだった。

 この小旅行について書こうと思ったら、起点は東京・品川のミャンマー大使館になった。 ビザ取得のために訪れた大使館で、早くも軍政ミャンマーという国家に足を踏み入れたと感じたからだ。相変わらず、お手軽に遊びにいくというわけにはいかない。

 今どき、東南アジアで、日本のパスポート所持者に事前の観光ビザ取得を義務付ける国はミャンマーだけだ。 しかも4000円も取る。 依然として閉ざされた国なのだ。

 ビザ申請には6ヶ月以内に撮影したカラー証明写真を添付しなければならないのに、申請書には、わざわざ髪の色、目の色、それに肌の色(complexion)まで書かねばならない。 以前はどうだったか忘れたが、日本人にはあまり馴染みのない申請だ。 だから、自分の目の色を書き込むときは、ちょっと迷った。 日本では「目の色が黒いうちは・・」などと言うが、たいていの日本人の目は、黒というより濃い茶色だ。 面倒なので申請サンプルと同じ「black(黒)」にしておいた。

 さらに迷うのは肌の色だ。 申請サンプルは「yellow」となっているが、普通の日本人が、自分の肌を黄色と思っているわけがない。 それに「yellow」は差別語じゃないのか。 この項目もビザ欲しさの一心で逆らわずに「yellow」と書いたが。
  
 職業証明書なるものも必要だ。 主婦であれば非課税証明書、年金生活者は年金受給通知書を提出しなければならない。

 まだある。出入国フライト、訪問地、滞在ホテル等のスケジュール表も出さねばならない。 いつも旅行は行き当たりばったりなので、これはいい加減に書いておいた。

 ジャーナリストには、もうひとつ。 「メディア関係の方が観光ビザを申請する場合は、観光目的の渡航であり取材活動をしない旨を記した誓約書及び、会社からの休暇証明書が必要」となっている。

 観光ビザで入り込んで取材はするな、というわけだ。

 実は、ビルマ(ミャンマー)にはジャーナリストとしての取材で、過去数回行ったことがあるが、1度も正式にジャーナリストのビザを取得したことがない。 すべて”不法入国”だった。

 忘れもしない1回目は、1983年10月韓国の全斗煥大統領一行がラングーン(ヤンゴン)で北朝鮮工作員による爆弾テロ攻撃を受け、多くの閣僚を含め21人が殺害されたラングーン事件の取材だった。

 東京の大使館では観光ビザを申請した。 そのとき職業を「レストラン経営」と書いたら、受付の日本人女性スタッフが偶然なのか、ひっかけなのか、「あら、私の夫もレストランをやってるんです。どこですか?」ときいてきた。 慌てて「新宿です」と答えたら、この女性は「うちも新宿、新宿のどこですか?」と畳み掛けてきた。 「やばい」と思ったけれど、当時よく行っていた新宿3丁目の飲み屋を頭に描いて、懸命にウソをついた。 なんとかビザを取ったが、今思うと、あの女はインチキ申請の見破り役だったに違いない。
 
 最も冒険的な訪問は、ビルマの少数民族カレン人の反政府ゲリラとタイから国境の川をボートで渡って潜入したときだった。 峡谷の崖の上では政府軍兵士が自動小銃を構えて警備していた。 そのとき一晩を過ごしたカレンのゲリラ基地「マナプロウ」は、のちの政府軍の大規模作戦で壊滅し、今は存在しない。

 考えてみれば、今回のミャンマー訪問は画期的だ。 なにしろ、正式に観光ビザを取って、本当に観光に行くのだから。 しかも、今では成田から全日空の直行便でヤンゴンに簡単に飛べる。
 
 ミャンマーに到着してみて、つくずく思った。 不法入国じゃないのはいいなあと。 どこかで見ているかもしれない監視の目を気にしなくていい。 25年前までの圧迫感からやっと解放されたのだ。

(続く)

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