2015年7月7日火曜日

真珠の首飾り


                                                   2015年7月7日

 5月(2015年)のスリランカ旅行は、きっと良い思い出として、ずっと記憶に残るだろう。 人々の明るい笑顔と親切、緑あふれる自然、素朴な農村の風景、ずっしりと重みのある歴史遺産、愛くるしくも、ときに荒々しい野生動物たちとの出会い。 実に充実した時間を過すことができた。

 ただ、この旅で、ひとつだけ異様な光景にめぐりあった。 忘れないうちに記しておこう。

 首都コロンボでも最も現代的な景観のフォートと呼ばれる高層ビルが建ち並ぶ地域。 インド洋がすぐ目の前。 海沿いには片側2車線のよく整備された道路が走り、海岸には広い遊歩道が続いている。 ここは、家族連れや恋人たちの憩いの場でもある。

 この海岸通りに、海に向かって金網フェンスが延々と張られたところがある。 その先には広大な造成途中の埋立地が広がっている。 何本もの巨大なクレーンが立っている。 様々な建設機械も見える。 だが動いてはいない。 人の姿もない。 遊歩道を楽しげに散策する人々の姿とは対照的に、動きのない沈黙の世界。 

 フェンスに沿って歩いていて、大きな告知板をみつけた。

 「The Port City Project is temporarily suspended....... The project will be restarted after approval from relevant government institutions.....」

 ふーん、この造成地はポート・シティ・プロジェクトというのか。 それが一時的に中断されて、工事再開は当局の承認後...。

 これを見て思い出した。 この不気味な光景は、通常は漠としてイメージが定まらない国際政治の現実を、目の前に直接見ることができる珍しい現場だったのだ。
 
 2009年、スリランカでは30年にわたって続いていた内戦が終結し、海外資本を積極的に導入して国家再建が始まった。 当時の大統領ラージャパクサはインフラ整備で中国に全面的に頼った。 首都コロンボと空港を結ぶ高速道路建設はその関係を象徴する。 

 そして、2013年、中国が総額14億3000万米ドルを投じたポート・シティ・プロジェクトが始まった。 新たな港湾都市建設と呼んでいい規模で、開発面積は230ヘクタール。 日本の広さの単位「東京ドーム」で表現すれば49個分。 公園や居住区、オフィスビル、高級ホテル、ショッピングセンターなどが整備される。 完成は2016年で、中国は見返りとして50ヘクタールを99年間租借することになった。

 当然のことながら、中国の世界戦略の一環として、このプロジェクトは国際的な耳目を集めた。 米国の国防総省が2005年ごろから、中国を警戒して使い始めた表現である「真珠の首飾り戦略」にぴったりと当てはまったからだ。

 真珠の首飾り( String of Pearls)戦略とは、香港から南シナ海、マラッカ海峡、インド洋、ペルシャ湾などを経て中東アフリカまで延びる中国の海上交通要路を政治的、軍事的に確保しようとするものだ。 中国はそんな戦略など存在しないと否定するが、現実は、この海域への中国の並々ならぬ関心を示唆している。 スリランカはインド洋に突き出した位置にあり、この"戦略"の地理的要衝になる。

 この一帯で戦略的に中国のライバルとなるインドや米国が警戒してみつめる中、ポート・シティの造成工事は着々と進んでいた。 だが、ドラマは急展開した。

 今年(2015年)1月8日に行われた大統領選挙で、中国べったりだった現役ラージャパクサが、対立候補の前保健大臣マイトリパラ・シリセーナに僅差の得票率で敗れたのだ。 シリセーナは、ラージャパクサの汚職体質、独裁的手法、さらに中国偏重の姿勢を「援助の罠」にかかっていると批判していた。

 シリセーナ新政権発足によって、スリランカの対中国姿勢にはたちまち変化が現われた。
 ラージャパクサの中国との関係には、出身地の南部ハンバントタに港湾や空港を建設するような不透明さがあった。 また、中国のプロジェクトには大量の中国人労働者が送り込まれ、地元から反感を持たれていた。 新政権は、こうしたプロジェクトのいくつかを中断させた。 その代表が「ポート・シティ」だった。

 シリセーナは、この地域で中国と覇権を競うインドにも接近する。 2月には大統領就任後初めての外遊でインドを訪問し、2国間の原子力協力に合意した。 さらに、安全保障面での協力拡大も進めることになった。 インド洋の地政図が瞬く間に塗り替えられた。 明らかに、中国の大きな後退だ。

 工事が止まったポート・シティ・プロジェクトの殺伐とした現場は、覇権争いという国際政治の戦場なのだ。
 
 ラージャパクサはまだ政治的に葬り去られたわけではない。 政権復帰への野心満々だという。 スリランカの政治は決して安定はしていないということだ。 今は岸辺でペリカンが巣を作っているだけのプロジェクト現場はまた騒々しくなるかもしれない。

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