2015年11月12日木曜日

宇都宮センチメンタル・ジャーニー

  1970年代に北関東の田舎都市・宇都宮に5年間住んだことがある。 東京から、ほんの100キロほどしか離れていない土地だが、東京人には、まるで外国だった。

 当時、夜の街が東京とはまったく違っていた。 飲み歩いているのは男ばかりで女の姿がなかった。 住んでみて気付いたのだが、この街では男女関係が古い因習に囚われたままだった。 

 交差点の歩道で信号待ちをしていたときに、顔見知りの女性がそばに立っているのに気付いた。 軽くあいさつして、横断歩道を並んで渡った。 その姿が彼女の職場の同僚に目撃された。 その日の夕方には彼女が男と歩いていたという悪意の噂が職場に広がっていた。

 宇都宮にも職場結婚というものがあるという。 だが、恋愛途上で交際が知れると様々な噂、あること、ないこと取り混ぜて陰口をたたかれ、足を引っぱられて、二人の仲は破たんするのがおちだそうだ。 だから、付き合う二人はたいてい同僚たちに気付かれないよう密かなデートを続け、結婚が正式に決まって初めて職場で明らかにする。 したがって、職場結婚はだいたい突然なのだ。
福島以北の東北人には、東京とは異なる文化への誇りがある。 だが、栃木県人、とくに宇都宮人からは地元への文化的誇りは感じられなかった。 むしろ東京への劣等感が強かった。 そして、狭い社会の中での足の引っぱり合い、ひがみ、つげぐち。

 当時、知り合いから、こんな話を聞いた。 友人が浮気をして、その相手と旅行をした。 妻には仕事で出張だと言い、勤務先からは休暇を取った。 だが、なぜか旅行中に職場で浮気がばれた。

こういうとき東京人であれば、おそらく個人生活に口出しはしないであろう。 だが、この職場の同僚は旅行中の彼の自宅に電話をし、「こういうことをされては困る」と、妻にすべて明かしてしまった。

 独特の尻上がりの言葉使いもよく理解できなかった。 しかも、東京の標準語でしゃべるとよそ者扱いされ、冷たい人間とみられた。 しかたなく栃木弁を自分で練習して覚えたものだ。 栃木弁は、いわば初めてマスターした外国語になった。


  そのころ、この土地を牛耳っていたのは、作新学院の経営者で自民党の大物政治家・船田中、足利銀行、下野新聞というトリオだった。 がっちりと固められた保守風土。 自由の気風を感じられず、居心地の良い土地ではなかった。 つまり、嫌いだった。

 その嫌いな街に、つい最近(11月7日)東北を旅行した帰途、立ち寄ってみた。 JR宇都宮駅近くの安ホテルに荷物を置き、夜の街に出た。 あてもなく駅前大通りを歩いて、かつて飲み歩いた泉町の飲み屋街を目指した。 街の様相は40年近く前とは、まるで違っていた。 かつて暗かった通りに、誰か知恵者が思いついて捏造した”伝統の宇都宮餃子”の店が、けばけばしく並ぶ。

  それでも、通りは、以前と比べ、随分あか抜けていた。 40年前、週末に豚カツを食べるのを楽しみやってきた田舎の人たちが入る食堂があった。 そのあたりには、洒落たイタリアンの看板が出ていた。

 それよりも、本当に驚いた変化は、夜の宇都宮の通りを女たちが歩いていることだった。 かつて見ることのなかった親しげに手をつなぐカップル、若い男女の明るく楽しげなグループ、ほろ酔い気分の女たちの屈託のない会話…。 飲み屋に立ち寄ってみると、女が普通にビールを口にしていた。 東京の見慣れた光景が宇都宮にも実現していたのだ。

 40年の年月は、街の様相ばかりでなく、人々の生き方も大きく変えたに違いない。 保守反動だった下野新聞だって、リベラル色を出すようになった。 きっと、男女関係だって、こそこそ隠す必要はなくなったのだろう。

 耳をすまして彼らの会話を聞いてみると、あの栃木弁の訛りがほとんど感じられないではないか。 言葉の標準語化にはメディアの影響が大きいだろうが、内にこもっていた宇都宮人たちが閉ざされた社会から踏み出し、外部社会と接触する機会が増えたからかもしれない。 彼ら自身は誇りを持っていないが、栃木弁という文化と歴史が消えてしまうのは寂しいことではあるが。

 懐かしい泉町は、ずいぶん暗い通りになっていた。 飲み屋やバーは昔のように並んでいるが、建て替えられ名前が変わり、昔の面影はない。 それは想像していたが、歩く人の姿が昔と比べるとまばらになっていたのは、ちょっとした驚きだった。

 40年前に行った店を2軒みつけた。 だが両方とも閉まっていた。 その1軒「きよもと」の近くに、いかにも古そうな飲み屋があったので入った。 

 70代後半と思われるママは、案の定、泉町の生き字引のような人だった。 「きよもと」は看板は残っているが、ずいぶん前に閉店し、美人だったママがどこへ行ったか、生きているのか死んでしまったか、ぜんぜんわからないと言った。 

 泉町は客が減って、本当に寂しくなってしまったと嘆く。 客が減ったのは、今どきの若い人が酒を飲まなくなったからだという。 だから、商売が成り立たなくなって、たたんだ店も多いそうだ。

 オールド・ママの言ったことは、その通りかもしれない。 だが、今風の新しい店には若い女たちも来て 賑わっていた。 おそらく、時代遅れの男の世界・泉町はすたれつつあるのだ。 もうひとつのかつての歓楽街・松ケ峰では、40年前、やくざの抗争まで繰り広げられた。 ここもさびれて、かつての面影はないそうだ。 

 年月は、人を変え、街を変えた。 自分自身の宇都宮を嫌っていた気持ちも、いとおしさに変った。

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