2014年1月16日木曜日

”黒い未亡人”は登場するか


 ソチ冬季五輪の幕開けが迫るにつれ、日本のスポーツ・メディアはお得意の期待願望キャンペーンで、日本選手メダル獲得の夢をお祭り騒ぎのように煽っている。 だが、浮かれてばかりではいられない大会でもある。 真っ白な雪のゲレンデや氷のリンクが真っ赤な血に染まらないという保証がないからだ。 この大会には、能天気にスポーツ祭典を楽しめない重苦しさがのしかかっている。 テロの恐怖だ。

 ソチ五輪を悲劇の舞台と化す恐れのあるテロリストを拡大再生産しているのは、まさしく、主催国ロシアそのものだ。 ソチが位置するカフカス地方は、黒海とカスピ海に挟まれ複雑な歴史に翻弄されてきた土地だ。 民族的、宗教的にも入り組んでいる。 ソ連崩壊後、イスラム教徒のチェチェン人たちは独立国家を樹立しようと立ち上がった。 だが、ソ連を引き継いだロシアは圧倒的軍事力で独立運動を潰した。 1999年以来、60,000人のチェチェン人がロシア軍によって殺されたとされる。

 武力と政治的弾圧によって、抵抗するチェチェン人たちは地下に潜り、テロ活動に向かうしかなかった。 その中で、特筆すべき傾向は、女のテロリストの数が非常に多いことだ。 彼女たちは「黒い未亡人」と呼ばれ、恐れられている。

 欧米メディアの報道から、「黒い未亡人」の関わったとされるテロ事件に関する記事をピックアップしてみた。

 「黒い未亡人」として最初に知られたのは、カーワ・バライェワという女だ。 彼女は2000年6月、チェチェンのロシア軍特殊部隊基地に爆発物を満載したトラックを運転して突入して自爆、27人を殺害した。

 第2の「黒い未亡人」は、2001年11月のエルザ・ガズイェワだ。 チェチェンのウルス・マルタンのロシア軍司令官に「私を覚えているか」と話しかけ、爆弾を破裂させた。 この司令官は、以前に、彼女の目の前で夫を殺害していたという。

 2002年10月23日のモスクワ劇場占拠事件は、あまりにも有名だ。 42人の武装勢力が、モスクワ中心部にある劇場ドブロフカ・ミュージアムで観客922名を人質に取り、第2次チェチェン紛争により進駐してきたロシア軍のチェチェン共和国からの撤退を要求した。これが受け入れられない場合は人質を殺害、自分達も爆弾を使って劇場ごと自爆すると警告した。3日後の26日ロシア連邦保安庁(FSB)の特殊部隊が突入。その際、犯人を無力化するためにKOLOKOL-1と呼ばれる非致死性兵器ガスを使用。劇場内にいた大半はこのガスによって数秒で昏倒し、異変に気付いて対処しようとした武装グループの何人かと特殊部隊との間で銃撃戦が発生した。 だが、短時間で制圧され、武装勢力側は全員射殺された。 あとで判明したのは、このうち19人ものメンバーが「黒い未亡人」だったことだ。

 2003年5月には、チェチェンの首都グロズヌイ郊外の村で行われたイスラム教祭典の人混みの中で、「黒い未亡人」が、のちにロシア政府任命チェチェン大統領となるアフマド・カディロフを暗殺しようと自爆、16人が死亡、150人が負傷した。(カディロフは1年後に暗殺された)

 2003年6月5日、北オセチアで、ロシア空軍パイロットの乗ったバスを女が爆破、21人が死亡、14人が負傷した。

 2003年7月5日、モスクワの飛行場で行われたロック・コンサートで2人の自爆攻撃で16人が死亡、6人が負傷した。

 2003年12月、ロシア南部カフカス地方のイェセンツキで、発車したばかりの列車の中で男女2人が自爆し、46人が死亡、100人が負傷した。

 2004年8月24日、ロシア南部ロストウとトゥーラで起きた2機の旅客機墜落で計90人が死亡した。2機ともモスクワ発で、ソチ行きとヴォルゴグラード行き、両機には、それぞれ出発直前に航空券を買って乗ったチェチェン人の女がおり、この2人が爆発物を持ち込み爆破したとみられている。

 ベスラン学校占拠事件も世界的に大きく報道された。 2004年9月1日から9月3日にかけてロシアの北オセチア共和国ベスラン市のベスラン第一中等学校が、チェチェン独立派を中心とする多国籍の武装集団(約30人)によって占拠され、7歳から18歳の少年少女とその保護者、1181人が人質となった。3日間の膠着状態ののち、9月3日に犯人グループと治安部隊の銃撃戦になり、治安部隊が建物を制圧し事件は終了した。 だが、子ども186人を含む386人以上が死亡した。この犯行グループにも「黒い未亡人」とされる2人の女が含まれていた。

 2010年3月29日モスクワの2つの地下鉄駅で起きた爆破事件で40人近くが死亡、100人が負傷した。 当局は黒い未亡人が関わったとみている。 犯人の1人は、3か月前ロシア軍に夫を殺された30歳の女で、チェチェンと接するダゲスタン出身だった。

 2011年1月24日にモスクワのドモジェドボ空港で起きた爆弾テロで35人が死亡、180人が負傷した。この犯行には少なくとも「黒い未亡人」1人が関わったとされる。

 2012年3月7日、ダゲスタンの首都マハチカラ南の村で、1か月前に夫を殺害された女が自爆、警察官5人が死亡した。

 ソチ五輪が近付いても爆弾テロが止む気配はない。2013年5月25日ダゲスタンで、夫を殺された女が自爆、18人が負傷した。 10月21日には、イスラム勢力によるテロがたびたび起きているロシア南部ヴォルゴグラードで、40人が乗ったバスの中で女が自爆、6人が死亡した。

 年末には、テロリストの性別は判明していないが、ヴォルゴグラードで2日連続の爆弾テロが発生した。12月29日、ヴォルゴグラードの鉄道駅で起きた自爆テロで、17人が死亡した。30日には、中心部の路上で、走行中の満員のトロリーバスが爆発した。 少なくとも乗客ら14人が死亡、約40人がけがをした。

 ソチ五輪の成功に権力者としての自分の威信を賭けている首相プーチンは間違いなく神経をいらだたせている。

 一連のテロで大きな役割を演じている「黒い未亡人」とは、いかなる組織なのだろうか。

 いや、実は、組織なのかどうかもわかっていないらしい。 多くの「黒い未亡人」は、ロシア人との戦闘や拷問で夫や兄弟などの近親者を殺された女で、チェチェン武装組織にリクルートされたという。  幼いときに人身売買で売り飛ばされた子どもたちが含まれるという見方もある。

 彼女たちは、組織の中で自爆テロの訓練を受けるのであろうが、からだに巻き付けた爆弾を別の者がリモート・コントロールで爆破するケースもあり、こういうケースの場合は訓練すら必要ないという指摘もある。

 「黒い未亡人」たちがどのような経緯を辿って、そこに至ったにせよ、不幸を背負ってきたのは疑いようがない。 その不幸が終わる気配はなく、テロリストは再生産されていく。 優美なスポーツの祭典とはあまりに落差の大きいロシアの現実だ。

2014年1月11日土曜日

すばらしき逃亡者たち


 強姦容疑で逮捕された若い男が横浜地方検察庁川崎支部から、ちょっとしたすきをついて逃亡し、つまらないチンピラの逃走劇を日本のテレビも新聞も大々的に報じた。

 この男に、なにか社会的、政治的背景があるわけではない。 有名人でもない。 無実の罪を主張するといったドラマ性があるわけでもない。 逃亡の手口が巧妙だったわけでもなく、検察庁がおっちょこちょいだっただけだ。

 こういう男を「逃亡者」と呼んでほしくはない。 「逃亡者」は、ロマンや反体制的臭いがしなければいけない。 権力の裏をかき、巧みに逃げる。 川崎の強姦男みたいに、ただ逃げるだけではない。 逃げるのは、命がけで達成したい目的があるからだ。 「逃亡者」は大衆のヒーローにもなりうるのだ。

 
 1960年代のアメリカ連続テレビドラマ「逃亡者」の主人公リチャード・キンブルは、妻殺しの罪を着せられて逃亡し、ジェラード警部の執拗な追跡をかわし真実にせまる。 日本でも放映され人気を博した。 これは実話に基づいた物語だ。

 源義経の逃亡劇は、日本人の心の琴線に触れる。 米軍の秘密軍事作戦で最後はパキスタンで暗殺されたオサマ・ビンラーディンの生涯も劇的だった(テロリストを称賛するわけではないが)。

 胸に蝶の刺青をした男「パピヨン」が、1931年に無実を叫びながら終身刑となった。だが、堅固な牢獄からの脱出を何度も試み、ついに成功し、後にベネズエラ市民権を取得して自由の身となる。 この人物、アンリ・シャリエールの伝記小説はベストセラーとなり、のちに映画化され、スティーブ・マクイーンが「パピヨン」を演じた。

 逃亡者を語るなら、「モンテクリスト伯」を無視することはできない。 アレクサンドル・デュマのこの長大な小説は、読み始めたら止まらない。 ”逃亡者文学”の古典と言えるだろう。 

 嗚呼、すばらしき逃亡者たちよ。

 川崎チンピラ強姦男の大袈裟な報道は、「逃亡者」たちへの侮辱以外のなにものでもない。

2013年12月27日金曜日

日本人は安倍晋三と手を切ろう


 国民の大多数が反対した特定秘密保護法案に曖昧な態度をとっていた右派・読売新聞ですら、安倍晋三の唐突な靖国神社参拝を批判した。 「なぜ、今なのか。 どんな覚悟と準備をして参拝に踏み切ったのか。 多くの疑問が拭えない」「外交建て直しに全力を挙げよ」「国立追悼施設を検討すべきだ」

 中道・日本経済新聞も、経済界の失望ばかりではないと安倍の参拝を批判する。 「本人の強い意向によるものだろうが、内外にもたらすあつれきはあまりに大きく、国のためになるとは思えない」「いまの日本は経済再生が最重要課題だ。 あえて国論を二分するような政治的混乱を引き起こすことで何が得られるのだろうか」

 無論、左派の朝日新聞、毎日新聞は容赦しない。 「首相がどんな理由を挙げようとも、この参拝を正当化することはできない。… 中国や韓国が反発するという理由からだけではない。 首相の行為は、日本人の戦争への向き合い方から、安全保障、経済まで広い範囲に深刻な影響を与えるからだ」(朝日)、 「安倍晋三首相は、先の大戦における日本の戦争責任をあいまいにしたいのか。 首相が政権発足1年を迎えた26日、東京・九段北の靖国神社を参拝したことは、首相の歴史認識についての疑念を改めて国内外に抱かせるものだ」(毎日)

 安倍の行為を唯一歓迎する大手新聞は、極右・産経新聞だけだ。 「多くの国民がこの日を待ち望んでいた。 首相が国民を代表し国のために戦死した人の霊に哀悼の意をささげることは、国家の指導者としての責務である。 安倍氏がその責務を果たしたことは当然とはいえ、率直に評価したい」

 12月26日の安倍の靖国神社参拝は、この人物の薄気味悪さをさらに深めた。 米国がアジアの同盟国として最も信頼していた日本への信頼感は、この参拝で確実に薄らぐ。 米国が日本との距離を広げるということは、最悪のシナリオとなれば、アジアの地政図を大幅に描きかえることを意味し、日本という存在そのものが地域にとって危険な不確定要因になる。

 日本と日本人は、安倍を切り捨てるときを迎えたようだ。 東京五輪などで浮かれていてはいけない。

2013年12月13日金曜日

ヒツジ飼いとヒツジ―特定秘密保護法案


 安倍晋三という首相の政治的メンタリティは、自分はヒツジ飼いで国民はヒツジと位置付けているのだと思う。 ヒツジの群れは放っておくと勝手にどこへ行くかわからない、だからヒツジ飼いは棒を振り回して、ヒツジが牧場の中におとなしく留まるようにしなければならない。

 
 憲法改定議論でも特定秘密保護法案議論でも、ヒツジ飼いがヒツジを小バカにするような国民への目線をどうしても感じてしまう。

 それでは、国民の大半が反感を抱く特定秘密保護法案を成立させることに、安倍が固執する動機は何だろうか。 おそらく、その一つは、一国の首相としての抜き難い国際的劣等感だと思う。

 この法案が参議院を通過したあとの記者会見の短い冒頭スピーチの中で、安倍はわざわざアルジェリア人質事件に言及した。 この事件は、今年(2013年)1月16日、アルジェリア東部の天然ガス精製プラントで起きた。 イスラム武装勢力が、日本人、アメリカ人、イギリス人、フランス人など外国人多数を人質に取り、翌日の救出作戦の際、日本人10人を含む人質37人が死亡した。

 「アルジェリア人質事件では英国のキャメロン首相から情報提供を受けた。情報交換を進めることが国民の生命と財産を守ることにつながる。各国には国家秘密の指定、解除、保全などに明確なルールがある。わが国が機密情報の管理ルールを確立していなければ、外国から情報を得ることはできない。日本を守る航空機や艦船の情報が漏洩する事態になれば、国民の安全が危機にひんする。人命を守るためテロリストへの漏洩を防止しなければならない情報がある」

 この1か月前、時事通信は「背景に米の意向=アルジェリア事件が後押し-秘密保護」の見出しで、こんな記事を配信していた(2013年11月7日)。
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 安倍政権が特定秘密保護法案の成立を急ぐ背景には、同盟国間で共有する機密の保全を求める米政府の意向がある。特に、政権発足間もない今年1月のアルジェリア人質事件で、在留邦人の安全確保に米国の情報が不可欠であることを痛感し、法制化に前のめりとなった。

 米政府は「スパイ天国」とも称される日本の情報管理に懸念を抱き、日本政府に機密保全への具体的対応を求めてきた。とりわけ2001年の同時テロ以降、米政府はテロ情報の収集と保全を強化。05年10月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表には「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置を取る」と明記された。

 第1次政権でもNSC法案を提出した首相にはもともと秘密保全への問題意識があったが、危機感をあおったのがアルジェリア人質事件だ。同国の複数の政府機関から寄せられた情報は相矛盾することもあったため、日本政府は米英両国の「確度が高い」(政府高官)情報に頼らざるを得なかった。両国の情報機関とより緊密に連携するため、秘密保護法制化を急務ととらえた。
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 アルジェリア事件に限らず、国外の出来事に関する日本政府の情報収集能力は非常に貧困とされる。 北朝鮮の核実験やミサイル発射の際も、日本政府が独自に収集した情報はおそらく皆無だ。 米国と韓国が譲ってくれる情報がすべてであろう。

 世界各国の日本大使館には防衛省から派遣された武官が駐在している。 彼らの責務は軍事情報の収集だが、非公開・機密に属する対象が多いだけに、プロのスパイでもない武官に独自の情報収集など簡単にできるわけがない。 各国の武官も似たり寄ったりで、日常業務は地元新聞やテレビのニュースを細かくチェックする以外にさしてやることはない。

 そのせいか、どこの国でも各国駐在武官たちは非常に緊密なコミュニティを形成し、頻繁にパーティを開いて酒を酌み交わす。 こうやって、数少ない手持ちの情報を交換しあうのだ。

 だが、こういうコミュニティの中で、米国は別格だ。 ときには英国やフランスも別格になる。 国際的影響力のある大国のもとには情報も吸い寄せられる。 だから日本の武官は大国、とくに米国の武官にすり寄る。 耳新しい情報をめぐんでもらうと東京へご注進となる。

 
 これが現場での”軍事機密情報収集活動”の実情と言って大きな間違いはないはずだ。 日本の情報収集とは、スパイ映画のCIAやMI6のヒーローたちの姿とはかけ離れた平身低頭の乞食にすぎない。

 しかも、現場ばかりでなく、政府のトップである首相も情報乞食をしていることを、安倍はアルジェリア事件を例にして白状したのだ。

 貴重な情報が国際的影響力のある大国に集まるのだとしたら、日本は依然として中小国だ。 イランの核開発問題がそれを示す。 イランの核開発を抑止するための交渉に参加している国は、国連安保理常任理事国5か国とドイツの6か国だ。 イランへの影響力と世界規模の問題への対応力によって、交渉参加国は決まった。

 イスラム革命後、日本政府は、米国をはじめとする西側諸国を敵視するイランとは独自の関係があり、米国との仲介役を果たせると言い続けていた。 だが、革命から30数年、日本がなんらかの仲介に貢献した気配はなく、核問題でも”独自の関係”があるイランに何かをした様子はうかがえない。 日本など、まったく相手にされなかったのだ。

 日本が国際政治の一流プレイヤーの仲間に入れる見通しは、当面まったくない。 だが、安倍は乞食をしても、見下されたりバカにされたくはなかった。 ”頂いた情報はきちんと大切にしますから、どうかお恵みを”。

 それにしても、安倍が情報を提供されることに劣等感を抱いているとしたら、なぜか。 米国は、日本の同盟国なのだから日本に情報提供するのは米国の義務だ。 もっと寄越せと堂々と要求することだってできるはずだ。 そればかりではない。 日本が軍事・治安機密情報を独自に収集できる能力を身につけるということは、軍事大国になることをも意味しよう。 そうなれば、アジア地域ばかりでなく世界の政治バランスの現状に予測不能の不安が生じるかもしれない。 米国だって、それは望まない。

 安倍の劣等感は、強くなりたい、大きくなりたいという野心の裏返しだと思う。 日本を世界的大国にして、強大な権力を持つ指導者になることを夢想しているのだ。 危険の臭いがぷんぷんする。

 富士山、東京オリンピック、和食…。 近ごろ、日本人のナショナリズムを鼓舞しようとするニュースが多過ぎはしないか。 安倍の野心と軌を一にした妙な雰囲気作りが進行しているのではあるまいか。  気味が悪い。 

2013年12月4日水曜日

真面目すぎると笑っちゃう


 こういうテーマをあまりに生真面目に書かれると、つい噴き出してしまう。 筆者がそれを意識して書いたのだとしたら、凄い名文だ。

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Wikipedia 「屁」より
 屁(へ)は、肛門から排出される気体で、腸で発生されるガスも含める。おなら、ガスともいう。
 平均的には大人は普通一日に合計0.5~1.5リットルの量の屁を5回から20回に亘って放出する。屁を放出することを放屁という。
 <メカニズム>
 小腸上部で消化吸収されなかった食物の残渣(カス)は、小腸の下部や大腸で腸内細菌の作用によって分解されるときに、ガス(腸内ガス)を発生させる。このガスのほとんどは腸管から吸収されるが、吸収しきれないものが肛門から排出される。
 また、開腹手術を行った後は腸管蠕動運動が一時停止し、屁が出ないようになる。
 <成分>
*気体成分
 腸内のガスの9割は体外から口と鼻を通って入ってくるもので、残りの1割は体内の微生物により造られる。主成分を以下に示す。
 ・窒素(体外から取り込まれたもの)
 ・酸素(体外から取り込まれたもの)
 ・メタン(体内のメタン生成古細菌により生産):主に肛門の近くにいるメタン菌によって合成されるが、3人の内2人はメタンを一切含まない屁をする事がわかっている。メタン菌がいないと硫酸還元菌が優勢になるため硫化水素が増加することも。
 ・二酸化炭素(体内の好気呼吸微生物により生産、体外からも取り込まれる)
 ・水素(微生物により排出):体内の古細菌がメタンを合成するために、もしくは硫酸還元菌が硫化水素を合成するために消費する。
*微量だが臭いの元となる成分
 ・酪酸:腐ったバターのにおい。
 ・硫化水素:腐った卵のにおいがある。タンパク質の分解や硫酸還元菌の活動で作られる。
 ・二酸化硫黄:タンパク質の分解によって造られる。
 ・二硫化炭素:タンパク質の分解によって造られる。
 ・アンモニア:尿素と関係がある。
 ・リン化水素:魚臭いにおいがする。リン酸塩や食物中のリンと関係がある。
 ・インドール
 ・スカトール
*その他の成分
 ・腸内細菌 これは大腸菌等の腸内菌が、ガスを排出する際に一緒に放出されてくるものである。一回あたり数千~数万個が放出されるといわれる。
*臭いと原因
 ・小腸には、繊維分を分解する酵素がないため、繊維分は小腸で消化吸収されず、大腸へ送られて分解される。その際に発酵してガスが発生する。したがって、食べた物や量、又は体調によりガスの発生が異なってくる。
 ・イモ類など繊維分の多い食物 :繊維質の多い食物を多く食べると、それだけガスの量も多くなる。その際、水素ガス、メタンガスが多量に発生するが、匂いは強くない。水素、メタンはまったくの無臭である。
 ・肉、ねぎ類、にんにく、にらなど硫黄分が多い食物 :これらの食物を多く食べると、大腸で分解されるときに腐敗し、インドール、スカトールなどのガスが大量に発生し、においの強いガスが発生する。
 ・病気によるガス :胃、腸、肝臓、胆道、膵臓の病気や菌交代症の際には、蛋白質の腐敗による、不快なにおいのガスが発生することがある。
 ・その他 :炭酸飲料(ビール等)を摂取する人の方が、摂取しない人よりも、ガスの量が多いという俗説がある。
 ・口臭が腸内ガスと同じ臭いを発することがある。これは便秘している腸から腸内ガスが吸収され血管内を運ばれ、肺から放出され口腔に至る為である。
 ・屁には水素やメタン、硫化水素などが含まれるため、ライターなどを近づけると、燃えることがある。これは体質、食したものなどによる成分によって、よく燃える場合と燃えない場合がある。ただし、二酸化硫黄を発生したり、火炎による火傷を起こす恐れがある。

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 こういう話題になると盛り上がるヤツがいるんだなあ。

2013年12月2日月曜日

古き良き食材偽装の時代


 見るからに、客が入りそうもないしょぼくれた飲み屋。しかも、入口の「居酒屋」と染め抜かれたヨレヨレの暖簾は裏表が逆だった。 どうしようもない店だ。 だが、あまりにうらぶれた佇まいに好奇心が湧いて、われわれは建てつけの悪いガラス戸をつい開けてしまった。

 年老いた店主が顔を出したので、「暖簾が裏返しだよ」と教えたら、外に出てきて暖簾をかけ直そうとした。 しかし、年のせいか、ぎこちないからだの動き。 見かねて暖簾をかけ直してやって店に入った。

 「1年前に女房が先立って、食べるものはほとんどないんで申し訳ない」

 確かに、狭い店内は手入れが行き届いていないせいか、なんとなく薄汚れている。出されたお手拭きのタオルは汚れていて雑巾のようだった。 とても手を拭く気にはなれない。

 とはいえ、背中がすっかり丸くなった店主は話好きで気の良い人物のようだった。 聞けば、東京のラグビーの名門、あの保善高校ラグビー部のレギュラーで、1953年に保善が全国大会で初めて決勝に進出したときのメンバーだったという。 今の弱々しげな姿からは想像もつかないが、店主が言う通り、店の隅には黄ばんだ表彰状が飾ってあった。 栄光の過去。

 その後、立教大学ラグビー部に引っぱられて入ったが、当時の立教は長嶋のいた野球部だけが注目されていた。 大学を出てからはサラリーマン、そして脱サラ。 以来40年、この場所で居酒屋をやってきた。

 「昔はヤキトリもやっていたんだよ。市場で豚肉を仕入れて」

 店主のこの一言が引き金になって、われわれも汚らしい横丁が当たり前だった過去の東京世界に思いが飛んだ。

 そう、あのころ、安い飲み屋でヤキトリと言えば、豚肉か豚肉の臓物だった。 今と違って、ブロイラーの”チキン”などなかったから、鶏は豚よりはるかに高かった。 ヤキブタをヤキトリと言って食っていたのだ。 店も客も、そんなことは百も承知だった。

 あれを、また食いたいなあ。 あのヤキトリには本物の日本酒じゃなくて合成酒が合うんだ。 ひどい臭いだったけどね。

 あの酒だってヤキトリと同じで、日本酒ということにして飲んでいた。 誰も、これは「合成酒だ」なんてヤボなことは言わなかった。

 もしかしたら、戦後日本の都会で繁殖(?)した闇市の文化かもしれない。 みんなでウソをついて騙しあって、お互いにそれがわかっている。 今だったら”食材偽装だ”とマスコミが目くじらを立てて叫ぶだろう。

 ほんのちょっとのウソで、みんながほんのちょっと幸せな気分になる。 称賛してはいけないが、なぜか、ほんのりとした懐かしさを覚えてしまう。 年をとったせいかな? いや、老店主のペースに、いつのまにか引き込まれてしまったかな?

2013年11月19日火曜日

フィリピンの友人たちを助けよう


 フィリピンで最大のサトウキビ生産地ネグロス島。 中心都市バコロドから島の東側を海岸沿いに路線バスで南下した。 午後遅い時間だった。 バスは終点の小さな町に着いた。 降りてホテルを探そうと停留所の付近を見回したが、うらびれた雑貨屋しかない。

 
 腹をくくって、砂浜で野宿することにして、サンミゲール・ビールと食い物の缶詰を買おうと1軒だけの雑貨屋に入った。 すると、たまたま店の中に、買い物に来た近所の男がいた。 背は低いがしっかりした体格の50がらみの男だった。

 多少の会話をかわすと男はいきなり言った。 「野宿なんかしないで、うちに来い」。

 男の家は、砂浜に面していて、かなり大きな建物だった。 訊けば、男は網元で、毎日、自宅の目の前に漁師のボートが着いて、釣った魚を降ろしていくという。

 すごい幸運。 その夜は庭先の煉瓦で作った囲炉裏で、新鮮な魚と貝を焼いて、たらふく食べて、きちんとしたベッドで寝ることができた。

 見返りを求めるわけでなく、見ず知らずの人間との会話を楽しむ。 そう、それが典型的なフィリピン人だ。 同じような親切と人の良さは、旅をしたフィリピン各地で経験した。

 深夜、マニラの歓楽街マビニ・ストリートを歩いていたら、タクシーが寄ってきて運転手が「遊びにいかないか」と声をかけてきた。 飲みにいくだけだから結構だと断ると、近くに馴染みのバーがあるという。 

 初めて会った下心満々のタクシー運転手と知らないバーに入る危険は承知していたが、それも一興と、お薦めのバーに入った。 ところが、そこは本当に、普通の安いカウンターバーだった。 運転手は一緒に飲みながら話しているうちに上機嫌になって、なぜか飲み代をおごってくれた。 しかも、酔っ払い運転だったが、タクシーでホテルまでカネを取らずに送ってくれた。 底抜けに気のいいポン引きだった。

 最近のことは知らないが、日本の男たちの集団買春ツアーが盛んだったころ、成田―マニラ間フライトの機内は品位のかけらもないスケベ男たちで溢れていた。 彼らは客室乗務員を「オーイ、ネエチャン」と呼んでいた。

 そんなケダモノたちの一人の心情を知る機会があった。

 独身。 日本では女たちに鼻も引っかけられない。 いつも冷たくあしらわれる。 あるとき誘われてマニラへのセックス・ツアーに参加した。 マニラでは、団体でバスに乗り、置き屋のようなところへ行き、女を指名する。 その女を連れて再びバスに乗ってホテルに戻る。

 
 男は女に惚れてしまった。 カネの関係とはいえ、日本の女が彼に示したことのない優しさで接してくれたからだという。 

 日本に帰ってからも彼女に会いたくてたまらなくなった。 だが、男は外国語がまったくできない。 一人で飛行機に乗って、彼女がいた置き屋を探す、などということは到底できない。 結局、再びセックス・ツアーに参加し、恋する女をカネで買うしかなかった。 彼女と会うために、何度も繰り返していた。

 
 こんなツアーの存在を許すべきではない。 だが、誤解を承知で言えば、フィリピン人のホスピタリティがあってこそ成立する悲しい純情買春物語だったと思う。

 フィリピン・レイテ島が未曾有の巨大台風に襲われ、既に4000人の死亡が確認されている(2013年11月19日現在)。 親切にしてくれた彼らに何かをして、お返しをしたい。 いつも明るい笑顔をふりまくフィリピン人が泣き叫んでいる姿をテレビ画面で見るのは堪らない。

 今、東京の街のどこでもフィリピン人と会う機会がある。 お父さんの行くパブでも、お母さんが買い物をするスーパーのレジでも微笑んでくれる。 とても身近な隣人たちだ。  3・11でも援助の手を差し伸べてくれた。 今度はわれわれが、せめて、ほんの少しのおカネだけでも送って、力になろうではないか。