2009年4月13日月曜日

カゼヲキル


 「手鼻」=指で片方の鼻孔を押さえて、鼻息で鼻汁を吹き出すこと。「ーーをかむ」(スーパー大辞林)

 身も蓋もない露骨に汚らしい表現だが、「手鼻」の的確な説明としては、ケチのつけようがない。なんだか迫力もある。ゴリラみたいなごっついからだの肉体労働者風の男が「ブシュー」っと地べたに鼻汁を吹き飛ばしている姿が浮かんでくるではないか。たまたま近くを通りかかった無垢な普通の家庭の奥様はギクッとして首をすくめる。

 だが、ジョギングやアウトドアなるものがファッションになって、平均的日本人の日常生活に浸透してくると、「手鼻」のテクニックをカタギの方達も身につけなければならないだろう。とくにジョギングとなると、走るにつれ生理現象で鼻水が出てくる。サイクリングでもそうだ。そこで「手鼻」が役に立つ。

 コツは、一気に「スパッ」と吹き出すことだ。慣れないと鼻水がだらだらと垂れ下がって、納豆みたいに糸を引いて着ているものにまとわりついて、汚らしいし、みっともない。気持ち良く成功させるには、多少の練習が必要だ。

 言わずもがなだが、回りの人に気を使うマナーを忘れてはいけない。国道246号線を自転車で走っていたときに手鼻をかんだら、ちょうど追い越そうとしていた黒塗りのセルシオのフロントガラスに鳥の糞のように見事に命中したことがある。スローダウンして幅寄せしてきたセルシオの中の男たちがこっちを睨みつけていた。みんな、亀田親子かEXILEのATSUSHIみたいなヤーサン風。慌てて、車が入り込めない狭い路地に逃げ込んだ。ヤバカッター!

 日頃、疑問に思っていることがある。テレビ中継のマラソン大会に出場する選手たち、とくにトップグループで頑張れば、スタートからゴールまで、ずっとテレビカメラに曝される。だが、有力選手が手鼻をかむシーンを見たことがない。いったい、どうしているのだろう。

 元マラソン選手で今では解説者として人気のある増田明美は、「カゼヲキル」という小説まで書いている。主人公の長距離選手は半分くらい過去の自分なのだろう。ときどき登場するマラソン解説者は現在の自分。アスリートの食事や練習内容、生活ぶり、レースの心理などの描写はディテールがすごくいい。ストーリー展開も切れ味がある。全3巻を半日で一気に読んでしまった。

 この小説の中に、主人公・美岬が、テレビに写らないように鼻をかむには、どうしたらいいのかと知りたがる場面がある。この点こそ、かねがね解き明かしたかった疑問だ。作者の増田明美も現役時代に、この問題で悩んでいたことを物語る状況証拠を発見してハッとした。

 だが、残念ながら、この長編小説は、美岬の疑問に触れただけで、最後まで、その答えに言及していない。色々な興味深いディテールを描きながら、なぜ、この重要な点に触れなかったのか。

 テレビの前の視聴者だって、美人ランナーが手鼻をかむのかどうか、絶対に知りたいはずだ。”手鼻愛好家”としては、「カゼヲキル」の重大な欠落を絶対に許すことができない。

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