チュニジアは天国だった
地中海のビーチに面したオープン・レストラン、
パラソルが作る影の下で飲む冷えた白ワインはこたえられない。酔うにつれ、心もからだも無防備にだらしなくなる。これ以上何もいらない、時間がこのまま永遠に止まればいいと思う。
北アフリカ・チュニジアの首都チュニスの郊外。世界遺産に登録されている古代カルタゴ遺跡まで遠くない場所だが、観光客の姿はない。地元の人たちだけが昼下がりの静かな、けだるい時間に身を任せている。
ある年代以上の人たちなら誰でも知っているセクシーなイタリア女優クラウディア・カルディナーレは、この近くのユダヤ人街で生まれ育った。
いっしょに飲んでいたチュニジアの女友達が「あの人を見てごらん」と言って、二つ三つテーブルが離れたところに一人座っている50代とおぼしき男に目を向ける。「彼は財産家で、これまでの生涯で働いたことが一度もないの」。男はビキニの水着に腹の肉をどっぷりとのせて、気持良さそうにワインを飲んでいる。
働いた経験のない人生って、どんな感じなのだろう。そうか、ここは天国なのだ。財産家は財産家らしく、のんびりしていればいい。
途上国の都会は多かれ少なかれ人間の吹きだまり、貧民街の光景を欠くことができない。しかし、チュニスはどうだろう。どこかに貧民街があるのだろうが、まったく目につかない。道行く人々の誰もが、財産家ではないにしても、豊かで満ち足りているように見える。
街は小ぎれいで洗練されている。イスラム文化の伝統とヨーロッパ的生活様式が絶妙のバランスで調和している。イスラム世界に慣れていない外国人観光客でも宗教戒律に戸惑わされることはほとんどない。
隣国アルジェリアは、第2次世界大戦後に広がった民族解放運動の先頭に立ち、1990年代にはイスラム勢力と軍事政権の激しい内戦に突入した。チュニジアは同じフランスの支配下にありながら、その歴史に派手なドラマはない。近代化=西欧化も、イスラムの伝統とうまく折り合いをつけ、政教分離の社会と国家の形成に成功してきたようにみえる。
治安が良くて、見るものがたくさんあって、地中海料理がおいしくて、物価が安くて、チュニジアは海外旅行の穴場だと、メディアの影響でイスラムに恐怖感すら抱く日本の友人たちには言ってきた。チュニジアはイスラム世界を旅するための入門に一番いいと思っていた。
だが、ひとつの数字が、何かを、チュニジアを見るための要素の何かを見落としていたことに気付かさせてくれた。
国連安全保障理事会はテロリスト名簿を作成している。そこには、9・11事件を引き起こしたアル・カーイダと関わる254人の実名が記載され、公表されている。これを国籍別に数えてみた。二重国籍者や国籍を変えた者がいて、数え方によって多少異なるが、こんなことになった。
チュニジア 39人
アルジェリア 20人
サウジアラビア 14人
フィリピン 14人
エジプト 13人
インドネシア 13人
ヨルダン・パレスチナ 9人
イラク 8人
パキスタン 8人
モロッコ 6人
イエメン 5人
国籍不明 43人
なんと、天国のように平和でのんびりしていると思っていたチュニジアが、他を断然引き離してトップだったのだ。自分の目が節穴だったのか。いや、欧米のメディアだって「ソフト・イスラム」と呼んで、優等生の穏健イスラム国の代表と見ていたではないか。
この数字をどう読むか。
9・11事件のあと、米国のブッシュ政権は、過激イスラムを生む温床は非民主的なイスラム諸国の政治体制にあると結論を下して、それまで米国自身が積極的に親しい関係を維持してきたサウジアラビアやエジプトの独裁政権に民主化の圧力をかけた。
自由があれば、国民は政治的不満を表明し、政権は合理的に対応する。政治批判が抑圧されれば、批判者は地下に潜り、過激な行動をとるしかない。米国の圧力で民主化が実現してはいないが、この論理に従えば、チュニジアにも過激イスラムを生む温床があったのだ。
だが、それが目に見えない。チュニジアでも上からの政教分離政策は伝統イスラムからの反発を生み、過激な反政府グループが生まれた。2000年代になると、爆弾テロ事件も散発的に発生した。しかし、それが、かつてのアルジェリアのように大きなうねりにはなっていない。
いや、果たしてそうだったのか。
「アルジェリア人はとかく極端に走るけど、チュニジア人はいつも穏健なの」と、女友達は言う。
彼女はイスラム教徒だが、酒は飲むし礼拝などやったことがない。日常会話はアラビア語よりフランス語が中心で、典型的な都市の西欧化した知識階層に属する。つまり、この体制を擁護する側にいる。こういう立場で「穏健」と表現する政治的意味は、国民の大多数は極端な変化を望まず現体制を支持しているということだ。
確かに、チュニスの街の光景から受ける印象はその通りだ。
だが、大多数が「極端な変化」を望まないにしても、「緩やかな変化」は望んでいるとしたら、どうだろう。「穏健」とは、静かだが着実に変化を実現することだと言うこともできる。
そうであれば、短期間しか滞在しない外国人が、チュニジア人の変化への願望に気付かなくてもおかしくはない。
とは言え、「チュニジアは天国」が、単純すぎる思い込みだったのは明らかだ。
記憶を辿ってみると、1990年代半ば、チュニスで会った文化大臣ヘルマッシが妙なことを自慢をしていると感じたことを思い出した。
マイケル・ジャクソンがチュニスのオリンピック競技場で65000人の大観衆を集めてコンサートを開き、「我が国は、なんの混乱もなく終わらせ大成功した」と鼻高々だったのだ。マイケルが世界的なアイドル歌手にしても、一国の政府閣僚が自慢するほどのことではない。
今にして思えば、ヘルマッシは、伝統的イスラムからすると退廃した西欧文化の象徴でもあるマイケルのコンサートを、イスラム国家で開催することに見事成功したと言いたかったのだろう。
裏返せば、近代化=西欧化が根付き、外国人観光客が安心して歩けるように見えても、実は、この国の底流に何が蠢いているのか確信を持てないでいたという心情を、一閣僚が図らずも口に出したのだと思う。
今でもチュニスのビーチでワインを楽しむことはできるだろう。だが、もはや、能天気に酔いに身を任せることはできないに違いない。なにしろ、世界一アル・カーイダが多い国なのだ。
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