ソローシュ・ラシュガリというイランの若者を知っているかい?今テヘランに住んでいる25歳。無論、知るわけがない。彼は「取るに足らない人間」なのだから。だが、彼はイランで最も有名な「取るに足らない人間」、ペルシャ語で「هیچکس(ヒッチカス)」なのだ。
ソロ―シュはラップ・ミュージシャン、「ヒッチカス」の名で歌い、イランの若者たちから圧倒的支持を受けている。だが、CDを1枚もリリーズしたことがない。
イスラム支配体制のイランで、西欧の退廃的音楽、とくに、その極みと言えるようなラップが公けに認められるわけがないのだ。それでも、ヒッチカスのラップは、ブログやYouTubeを通じてイランばかりでなく世界に広がっている。(ネットでは、Hich Kas)
ヒッチカスは、イランに公的には存在しないが、都会の若者の世界には堂々と存在している。アンダーグラウンドというには、おおっぴら過ぎる。
イスラム法に基づく支配とラップ・ミュージック。この訳のわからない取り合わせが、まさにイラン・イスラム共和国の現実だ。禁酒なのに容易に手に入る酒、黒いチャドルを脱ぐと現れる女たちのセクシーボディ。
イランという国は外部世界が想像する以上に自由がきく。政治的にも、中東の独裁専制国家群の中では最も民主化が進んでいる。
それでは、自由はどこまで許されるのか。これが問題なのだ。実は、ここが境界線だと誰も指し示すことができないからだ。
例えば酒。コーランに基づいて絶対に飲むなというのではないようだ。飲むことはアラーの教えに反することだが、それは個人がアラーに負い目を感じることで、他人に迷惑をかけず自宅で飲むかぎり当局の咎めはないらしい。「らしい」というのは、明文化されていないからだ。
かつて、司法省の最高幹部に、真正面から「イランで酒を飲んではいけないのか」「とくに、非イスラム教徒や外国人はどうなのか」と質問したことがある。彼はしつこく訊いても最後まで答えてくれなかった。
どうやら、レストランのような公共の場所は明らかに禁酒だが、あとは適当に判断しろということのようだ。
だが、このグレーゾーンが難しい。
今、大統領選挙のあと広がっている体制批判の動きも同じだ。
現状は、ホメイニが確立した理論「イスラム法学者による支配」の否定と取られかねない領域に踏み込まず、グレーゾーンにとどまっているようにみえる。だが、これもよくわからない。
この騒ぎが拡大してから、ホメイニの後を継いだ最高指導者ハメネイへの批判が出始めている。大統領選挙であまりに露骨に現職アハマディネジャド支持の姿勢を出したからだ。とくに、投票後の発言は、開票結果が公式に発表される前にアハマディネジャド勝利に言及したもので、イラン憲法に抵触するとの指摘もある。
現在の批判が、ハメネイ個人への批判であれば、グレーゾーンにとどまっていると言えるかもしれない。だが、ホメイニ理論の象徴である「最高指導者」という制度への批判となれば明確に境界線を越えたことになるだろう。
境界線などというものは、雑踏で人が押し合い圧し合いをしているときのように、誰も気が付かないうちに越えてしまうのかもしれない。
そうなれば大量の血が流れるだろう。それが今のイランの怖さだ。
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