バレンタインデーのチョコレート・シーズンが、もうすぐ始まる。 ”愛”だとか”義理”をチョコに託す前に、CNNが今週末に放映すると予告している「The freedam project」を見るのはどうだろう。 チョコの原料カカオ豆の世界最大の産出国、西アフリカ・コートジボアールで続いている子ども奴隷がテーマ。 見たあとは、とろける甘みとともに、ざらついた罪悪感を味わうようになるかもしれない。
子どもたちが人身売買でコートジボアールのカカオ農園に売られ、奴隷として過酷な労働に従事させられている現状は、以前から指摘されていた。 2001年には、子ども奴隷撲滅を目指して、米国下院議員がハーキン・エンゲル議定書を作成し、カカオ農家支援のNPO・世界カカオ基金(WCF)とチョコレート製造業者協会(CMA)が署名した。 日本の明治製菓と森永製菓も2006年WCFに加盟した。
だが、いまだに、子ども奴隷を取り巻く環境に大きな変化はない。 CNNはこうした状況を現地から報告するという。
世界カカオエコノミー諮問委員会議長Tony Lassによると、世界のカカオ豆生産は、コートジボアールのほか、ガーナ、カメルーン、ナイジェリアの西アフリカ4か国で世界の62%を生産している。 コートジボアールのカカオの大部分は欧州へ輸出され、日本は主として高品質のガーナ産を輸入している。
日本とコートジボアールの直接的かかわりは深くない。 だが、ガーナの子ども労働も、かなり過酷なようだ。 日本のNGOで世界の子どもを児童労働から守ることを目指す「ACE(Action against Child Exploitation)」は、2010年11月、5周年記念事業で、ガーナの中学2年生を日本に招待した。 そのときのスピーチをホームページに掲載している。 以下、無断引用。
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「ぼくの名前は、オティ・ゴッドフレッドです。三人兄妹の長男で、弟と妹がひとりずついます。ガーナのアシャンティ州アチュマ・ンプニュア郡にあるクワベナ・アクワ村の出身です。1995年生まれの15歳です。
ぼくの家はカカオ農家でした。ぼくが7歳の時に父が亡くなりました。そのために9歳の時からカカオ畑で働き始めました。7歳の時に小学校に入学しましたが、ほとんど行けず、学用品などを何も持っていなかったので、学校があまり好きではありませんでした。母も字の読み書きはできませんでした。貧しい母がたった一人でぼくたち兄妹を養うために働いていたので申し訳ないと思い、ぼくの弟妹たちも学校に行っていませんでした。
その後、同じ村に住む祖父母が、ぼくを養子として迎えてくれました。それで学校に通えるようになると思ったのですが、実際はもっと厳しい状況になりました。祖父母の農園で働きながら、自分の学用品を買うお金を稼ぐために、他の農園でも働きました。
カカオ農園での仕事はとても骨が折れます。朝は、誰よりも早く、5時から農園へ行き、カカオの実を収穫しました。収穫したカカオの実を一箇所に集めたり、カカオの実を農園から家まで運んだり、本当に大変な仕事です。おとなたちはぼくよりもずっとあと、10時ごろに農園にきて、ぼくよりも先に仕事を終えて帰っていきました。朝ごはんを食べられなかったので、お腹が空くとカカオの果実を食べて空腹をまぎらわしていました。
カカオは頭に乗せて運びます。とても重くて、頭から首、背中、腰、脚まで全身が痛くなりました。道の溝に足がはまって、足の骨を折ることもあります。毒をもったヘビやサソリにかまれて亡くなる人もいます。カカオ農園での仕事は作業が大変なだけでなく、危険がたくさんあります。
カカオは頭に乗せて運びます。とても重くて、頭から首、背中、腰、脚まで全身が痛くなりました。道の溝に足がはまって、足の骨を折ることもあります。毒をもったヘビやサソリにかまれて亡くなる人もいます。カカオ農園での仕事は作業が大変なだけでなく、危険がたくさんあります。
まるで強制労働のようでした。しかし、ぼくには家族を支えるために仕事をする以外に他に選択肢がなかったのです。病気になったりしても、農園に働きにいかなければ、ごはんを食べさせてもらえなかったり、外で寝させられたり、体罰を受けたりしました。疲れたとか、休みたいと思っても、それを口に出すことさえできませんでした。ほかの子どもたちが学校へ通っているのに、自分は働かなければならないことを、とても悲しく思っていました。