世界のいろいろな国をほっつき回った末、65か国目に訪れたのは、日本に一番近い外国のひとつ、台湾だった。 台北の街を歩いていて、なんとも不思議な感覚にとりつかれた。
「ここはどこなんだ、外国なのか、日本なのか」と。
街の光景が、日本ではないが、なんとなく日本なのだ。 数ブロックごとに、セブン・イレブンかファミリー・マートといったコンビニがあるのは東京と同じ。 牛丼その他のどんぶり屋も同じ。 屋台も、「関東煮」と書かれた看板を付けたおでん屋、稲荷や海苔巻きを売る寿司屋が目に付く。 道路にゴミがない。 日本以外でこんな清潔な道路を見たことがない。
若者たちのファッションも東京と違いはない。 12月の台北は寒かった。 東京から飛ぶと、季節感も大きな違いがないから冬姿も同じ。 ダウン・ジャケットや女たちのブーツを見ていると、日本国内のどこかに旅行した錯覚に陥る。
人々の話す言葉などは問題ではない。 日本でだって、鹿児島県や山形県の山村で会話を100%理解できなかった経験がある。 日本を感じさせる理由のひとつは、彼らの表情や動作かもしれない。 街行く人をながめて、日本人と台湾人の見分けはまったくと言っていいほどつかない。
地下鉄に乗る。 日本と同じ「優先席」は、身障者や妊婦の絵柄デザインもそっくり。 これはパクリかな? 痴漢に注意を呼びかけるスティッカーまで日本と同じ。 どうやら、台北にも、席を譲らない横着者、陰湿な悪さをするヤカラがいるらしい。 つまり、そこまで「日本化」が進んでいるということか。
それでは、日本との違いは何か。 短い滞在期間に観察してみると、まず、台北の街で酔っ払いを見ないことに気付いた。 彼らも酒を飲まないわけではない。 パブでは、これまた日本風にウイスキーのボトル・キープをやっていた。 まるで日本のサラリーマンとOLといったグループが元気に飲んでいた。 だが、酔っ払いの姿は皆無。
おそらく、日本人のように、ところ構わず、いつでも自堕落に飲むという習慣がないのだろう。 屋台には美味そうな料理が溢れているのに、酒を飲んでいる人はいない。 高級レストランは別にして、餃子やソバを提供する安食堂にも酒は置いていない。 無論、酒を提供する食堂がないわけではないが、非常に限られている。 そういう店をやっと発見して紹興酒を飲めたときは、日本人としてホッとさせられた。
そして、日本との非常に大きな違いを、初代総統・蒋介石を祀る巨大建築物「中正紀念堂」で発見した。 八角形の屋根が載った高さ70メートルの堂の中に、これまた巨大な蒋介石の坐像がある。 ここでは、午前11時から毎時、儀杖隊の交代式がある。 それを見ようと、大人数の生徒たちが教師に引率され押し寄せていた。 みつめる少年少女たちの顔は熱がこもり、真剣だった。 おとなたちは像の前で深々とお辞儀をしていた。
この光景はナショナリズムの発露だと思う。 だが、彼らの胸のうちにあるものは何か。 共産党との闘争に敗れて中国大陸を去り、台湾で中華民国という体裁を整えた蒋介石。 だが、中国全土支配は見果てぬ夢となった。 今、二つの中国が厳然と存在する。
蒋介石を敬う人々のナショナリズムの対象は中国であろう。 だが、その中国とは中国全土を含めたものなのか、それとも台湾だけなのか。
台湾では、おそらく国のかたちのイメージが人によって様々に異なるに違いない。 日本人のイメージにある日本国なんて大きな違いはない。 北方領土を加えたって地図はほとんど同じ。 だが、台湾人は、自らが属する国というものを、はるかに複雑に想像しなければならない。
コピー日本は上っ面だけのものであろう。 彼らの頭の中の本音を覗くために、中国語を勉強してみたい気がちょっと湧いてきた。
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