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2011年2月4日金曜日

エジプト、そしてムスリム同胞団


 エジプトの混乱が深まるにつれ注目度が上がっている「ムスリム同砲団」とは、いったい、どんな組織なのだろうか。 非合法とはいえ、実質的に、もっとも組織化された最大野党とあれば、同胞団抜きに、今後のシナリオは描けない。

 米国やイスラエルの不安は、彼らはイスラム原理主義者であり、政権を握ればエジプトが反米・反イスラエル・反西欧の一大国家になる可能性があるという恐れに集約できよう。 1979年のイラン革命は広範囲な国民の反パーレビ感情の高まりが原動力になったが、卓抜した宗教政治哲学者ホメイニの支持者たちがその果実を奪い、「イスラム革命」へと変質させた。 親米から反米へと180度転換したイラン革命の悪夢をエジプトでもう一度見たくはないのだ。

 だが、こうしたイランとエジプトの比較は、あまりに単純すぎる。

 オサマ・ビンラーディンのアル・カーイダと密接につながるエジプトの過激テロ組織は、穏健化したムスリム同砲団から離反していった。 根は同じでも、同胞団は今、アル・カーイダ主義を全面否定する。 彼らの活動は非常に現実的だ。 手段はテロではなく、社会奉仕活動が主体、ムバラク政権下で貧困にあえぐ大衆は、何もしてくれない国家より同砲団を頼りにする。 例えば、地震などの災害時にいち早く救援チームを組織するのも同胞団である。

 顎鬚をたくわえたイスラム指導者のイメージで同胞団幹部に会うと面食らう。 つるりとした顔で高級スーツを着こなしているのもいれば、流暢な英語でジョークを飛ばすのもいる。 

 カイロで、1928年に同胞団を創設したハサン・アルバンナの孫に会ったことがある。 弁護士で、現在の主要メンバーでもある。 みかけは、どう見てもビジネスマン。 しばらく話してから、顔を寄せてきた。 「日本から資金と技術を援助してもらえないだろうか? 組織内のコミュニケーション・システムを整備したいんだ」。 生き馬の目を抜く商売人の面構えだった。

 現在の同砲団の雰囲気を知るには、同砲団の公式ウェブサイトhttp://www.ikhwanweb.con/(英語版)を見るのがいいかもしれない。 洗練された作りで、外部世界に開かれた組織であると感じさせる。

 米国オバマ政権は非常に慎重に対応しているようにみえる。 イランで、米国が全面的に支援していたパーレビ王政が倒れたあと、イスラム勢力との回路がなかったために、ホメイニ政権が強烈な反米へと邁進するのをとどめることができなかった。 オバマ政権がその二の舞を回避しようとしているのは明らかだ。 

 だが、おそらく米国は同胞団と接触はできても、まだ信頼できるパイプは確立していないはずだ。 それでも、オバマがムバラクを見限る態度をとりつつあるのは、なんらかの手ごたえを感じたからに違いない。

 ハサン・アルバンナが同砲団を創設した1928年は、イスラム世界の盟主オスマン帝国を崩壊させた第1次世界大戦から10年後のことだった。 この間の大きな歴史的出来事は、1924年、消滅したオスマン帝国のあとに西欧型近代国家・トルコ共和国が生まれたことだ。 軍事と政治の天才ケマル・アタチュルクは、伝統的イスラム教徒が生きるよすがとしていたイスラムの価値を根本的に否定し、西欧の価値基準を導入して近代化を推進した。

 トルコ人ばかりでなく中東全体のイスラム教徒に衝撃的な変革であった。 アルバンナは、西欧化が近代化への道とするアタチュルクの考えに強い違和感を覚えた。 われわれには、われわれの道があるのではないか、という疑問が、あらためてイスラムに目を向けさせた。 同胞団運動は、こうして生まれた。 西欧化が唯一の価値だった植民地時代に、価値の多様性を主張した運動ともいえる。

 今も、その価値観は様々なイスラム運動の根本にある。 ムバラク後のエジプトにいかなる政権が誕生しようと、オバマの米国がイランの失敗を繰り返さないためには、米国の伝統である横暴・独断・押し付けを棚上げし、これまで最も苦手としていた価値の多様性を受け入れる謙虚さが、たとえ上っ面だけにしても当面は必要だと思う。 

 

2011年2月1日火曜日

ムバラクの命運は時間の問題


 CNNテレビは、24時間休みなくエジプト騒乱のカバーを続けている。 明らかに、独裁ムバラク体制崩壊を前提に、その瞬間を逃すまいとする報道シフトだ。

 大衆蜂起で倒された政権の例、1979年イランのパーレビ王政、1986年フィリピンのマルコス独裁、1998年インドネシアのスハルト独裁などと比較すると、ムバラクの命運は明らかだ。

 政権倒壊のプロセスがテレビのライブで歴史上初めて報道されたのは、1986年のフィリピンだった。 以来、戦争までもがライブで報じられるようになった。

 今では、現場にいる誰もが携帯電話でリアルタイムの情報を発信できるようになった。 テレビや新聞は表向きの報道の中では、「ムバラクはもう終わりだ」とは言わないが、携帯を持ってデモに参加している若者たちと同様に、「その瞬間」を、記者と機材を大動員して待っている。

 これだけ期待されると、ムバラクは去るしかない。 問題は、いつ。

2011年1月31日月曜日

アラブの歴史が動き出した


 アラブ世界の歴史が確実に動き出した。 もはや止めることはできない。 チュニジアの地方都市で政府の腐敗に抗議して焼身自殺した26歳の失業青年ムハンマド・ブアジジは、巨大地震の震源地となった。 独裁政権の抑圧下で人々のあいだに充満していた不平不満が大津波となり、たちまちチュニジアの独裁者ベンアリを飲み込んだ。 そして、その大波はアラブの大国エジプトをも襲った。

 貧しくても従順なエジプト人が街に繰り出し、独裁大統領ホスニ・ムバラクに「出て行け」と叫ぶ姿は感動的な驚きだ。 ピラミッド見物に来た日本人観光客が、カイロ国際空港で飛ばなくなった帰りの飛行機をぼんやりと手持ち無沙汰に待っているのは信じられない光景だ。 彼らは歴史の目撃者になれる幸運に遭遇したのだ。 歩いてでもカイロ市街に戻ってエジプト人たちとエールをかわせばいい。 一生の思い出になるだろう。 帰国などせずに、独裁者の最期を見届けようではないか。

 きょう(1月31日)のCNNには、イスラエルの元カイロ駐在大使がエジプト通として登場していた。 彼は、現在の抗議行動でエジプトが民主化され、民主的な選挙が実施されるとすれば、それがエジプトで最初で最後の民主的選挙になるだろうと警告していた。 

 選挙に勝つのは、イスラエルの存在を受け入れようとしないイスラム勢力で、彼らが政権を取れば二度と選挙などしないという論理だ。 イスラエルは、敵対するアラブ諸国の中で曲がりなりにも自国と国交を持ち、イスラム勢力を抑圧する独裁エジプトの延命を願っているのだ。

 中東や外交の専門家たちは、中東で最大の親米国エジプトの独裁が崩壊すれば、米国にとって大きな損失となり、米国が主導してきた中東秩序の再構築がせまられると”解説”する。

 だが今は、したり顔の解説や分析に耳を傾けるときではない。 そういう意見には、アラブ人たちの血や汗の臭いが欠如している。

 腐りかけた偽善の秩序が崩れつつある。 きっと大きな混乱が起きるだろう。 だが、われわれは、それを受け入れなければならない。 なぜなら、アラブ大衆の犠牲で成り立っていた世界的搾取システムから流れ出てくる甘い汁を、われわれも貪ってきたからだ。  

2009年3月5日木曜日

コシャリを知っているかい?


 エジプトの街の食堂には、コシャリという丼ぶり飯風の奇妙な食べ物がある。ご飯とマカロニとスパゲティを混ぜてトマト味にしたものだ。決して美味いとは思わないが、安さのせいか、日本からのバックパッカーたちには好まれている。

 見た目は、やや誇張して言えば、一昔前、いや、もっと前の日本で当たり前だった犬や猫に与えた食事。当時は、人間のあらゆる食べ残しをひとつ皿にぶちまけて動物たちに食わせていた。わけのわからない気味の悪い見かけになったが、元は人間の食べ物なのだから不味くはないはずだ。

 コシャリとは、エジプトという国の混沌と魅力を象徴する食べ物だと思う。

 規則と慣習と人の目でがんじがらめになって委縮した日本人が、意識の奥底に隠して、その存在すら忘れていた野性の自由、ジャングルの掟を思い起こす土地、それがエジプトだ。

 独裁国家というのは、最高政治指導者が法権力を恣意的に使うことができる国だ。だから、ムバラク独裁政権に支配されるエジプト人も法律などに、あまり拘らない。いや、尊重はしているが、拘っていては生活ができない。つまり、順法精神などというものは、あまり意味を成さない。(エジプトの民主化運動とは、煎じつめれば法の支配確立を実現することで、エジプト人もそんなことはよくわかっているが、現状は法が支配していない)

 こういう社会で生きていくには、法律に従うことよりも、個々人の臨機応変さが重要だ。誰もがそういう生活をしている国に、規則に飼い慣らされた日本人が放り込まれると、そこはまさに「混沌の世界」となる。そう、コシャリの皿に飛び込んだ小さな昆虫みたいなものだ。

 たいていの日本人は、裏世界にでも関わっていないかぎり、規則や法律を無視して生活することに慣れていない。だが、エジプトでは多かれ少なかれ、”アウトロー”にならざるを得ない。手っ取り早く慣れるには、車がひしめく首都カイロの街を自分で運転して移動してみるのが一番だろう。

 カイロの通りは、まさに無政府状態だ。交通警官はいるがドライバーになめられて相手にされない。渋滞になれば、2車線の道路は割り込みで、たちまち3車線、4車線にふくれあがる。信号は単なる目安で誰もきちんと守ろうとはしない。一方通行を逆行してくる車はざらで、自分が正しいと思っても強気に出なければ負けだ。窓を開け、相手に向かって手を振り回し「エンタ・マフィーシュ・モホ(お前は脳なしだ)」と叫ぶ声の大きい方が勝つのだ。酒酔い運転取り締まりなどは、もちろんない。

 道路は弱肉強食社会を体現している。大きい車、高価な車ほど威張ることができる。カローラはメルセデスに服従しなければならない。つまり、道を譲る。

 こういう道路での運転、あるいは生存競争に慣れてくると、自分の身は自分で守るしかない、国家や法律に頼ることはできない、という生き方が皮膚感覚でわかってくる。

 これこそ、究極の「自己責任」だ。混沌の中で、人間とは何か、を考えさせられる。これが現代エジプトなのだ。

 なぜ、こんなことを書いたかというと、きのう、人も車も通らなくなった寒い深夜の東京の交差点に若い女が一人たたずんでいた姿が印象的だったからだ。

 男を釣り上げようとするストリートガールではないかと思ったが違った。歩行者用の信号が青に変わると小走りで横断歩道を渡っていった。単に信号待ちをしていただけだったのだ。赤信号でも車が来ないなら渡ってしまえばいいのに動かない。これは物凄い順法精神ではないか。

 そう、それが日本なのだ。エジプト人はきっと、ここがとても奇妙な国だと思っているに違いない。