2011年3月11日金曜日

巨大地震がやって来た


 2011年3月11日(金)を、多くの日本人が忘れられない日のリストに、新たに加えるだろう。

 マグニチュード8.8という日本の観測史上最大という地震の揺れが来たとき、自分がどこにいたか、どう対応したか、まわりの光景はどうだったか…。

 そして、津波のニュースは津波より速く世界に広がった。

 日本時間11日午後6時すぎの段階で、ル・モンド紙(フランス)、フランクフルター・アルゲマイネ紙(ドイツ)、BBC放送(英国)、ヒュリエット紙(トルコ)、PTI通信(インド)、バンコク・ポスト(タイ)、CNNテレビ(米国)、ABCテレビ(オーストラリア)、それに、革命や内戦で大忙しの中東カタールのテレビ局アル・ジャジーラ英語版までが、日本の地震・津波を緊急のトップ・ニュースにしていた。

 今、われわれは、とんでもない出来事に遭遇しているのだ。 巨大地震が、その全貌の片鱗を見せたのかもしれない。 きょう1日は生き延びた。 だが、これからも生き延びることができるのだろうか。

 余震は夜になっても続いている。 揺れるたびに、「生きる」を意識せざるをえない。

 さあ、生きようではないか。

いいじゃないか、多少の間違いは


 こいつは、明らかに誤字だが、「駐車禁止」としか読みようがない。 稚拙な間違いだが、悪意はないだろうし、「こどもの教育上けしからん」と、目くじらをたてるほどのことではない。

 日本の政治家への外国人の寄付が禁止されているからと言って、在日韓国人からのわずかな額の寄付で大騒ぎするのは、この誤字程度の問題だと言ったら、腹を立てる人間がけっこういるのかもしれない。 「油断していると、ワガクニは外国人に支配されてしまうゾ」と。

 気持ちはわからないではないが、物事の本質と関係ないところで、「駐車禁止」の誤字が国家存亡の危機だといきり立つのと、どれほどの違いがあるのか。

 近ごろ、日本の世の中はどうでもいいことで大騒ぎしている。

 たかがテレビ塔がどんなに高くなっても、あのバカバカしいバラエティ番組を垂れ流す道具にすぎないが、マスコミは「東京タワーを追い越した」、「600mに達した」などと大げさに騒いでいる。

 携帯電話のカンニングもそうだ。 手段が年寄りに目新しかっただけで、所詮カンニング、売春の歴史と同じくらい大昔から続いている。 おそらくカンニングで逮捕されたのは史上初めてではあろうが。

 賃貸パンダの話もそうだ。 パンダはかわいくても中国から到着して名前が決まったというだけで、なぜ新聞の一面の大ニュースなのか。

 どんどん幼稚になっていく日本社会で、「これは重要なことだ」と記憶すべきことはさしてないような気もする。 認知症になっても、実は、困ることはないのかもしれない。 考えようによっては、これは喜ばしいことだ。

2011年3月9日水曜日

カンニング革命は成らず


 アラブの若者たちが、独裁者打倒のために命懸けで携帯を使っているというのに、日本の若者は入学試験で姑息な携帯カンニングとは…。
 と、嘆くだけなら、日本のマスコミと同じだ。 この事件が発覚した直後、ある新聞のコラムは「これは明白な偽計業務妨害罪だ」と書いていた。 これは凄い。 こんな罪名を世間一般のたいていの人は知らない。 この時点で、報道によれば、警察ですら捜査に踏み切れるか確信を持てないでいた。 だが、コラムは記者風情の分際で、罪名を断定していた。 このことは、つまり、そこまで踏み込むことによって、現在の日本の入試制度を破壊する行為を断じて許さないと主張しているのだ。
 この新聞の主張を現在のアラビア語に翻訳すると、「現体制に逆らう者は絶対に許さない」。 つまり、カダフィと同じなのだ。
 とは言え、カンニングをした19歳の予備校生にはがっかりさせられた。 肝っ玉が小さくて、頭が悪くて、世界を見回すことのできない典型的な日本のアホだった。 そもそも、目新しくはあるが、Yahoo知恵袋などに投稿して回答を得ようとすれば身元がばれるのは、わかりきっている。
 事件が最初に報道されたとき期待したのは、新しい時代の反逆児の姿だった。 
 現在の入試システムで人間の真の能力や個性を読み取ることはできない。 一見、公正で客観的な制度だが、ここで良い成績を取る者は、受験準備に惜しみなくカネを使える豊かな家庭で育ち、受験勉強などは貴重な若さの無駄遣いなどと考えず、親と学校と世間に逆らわない従順なこどもだけだ。
 だから、カンニング実行者には、入試システムの巨大な虚構に風穴を開けようとする確信犯の登場を期待した。 チュニジアで始まった「ジャスミン革命」が形を変え、日本の行き詰まり社会に挑戦状を突きつけたのだというロマンだ。
 だが、それは虚しい夢だった。
 それにしても、知識を自分の頭と書棚だけに蓄積する時代は終わった。 知識はインターネットの中では無尽蔵で、それを誰でも利用できる。 こういう時代に、頭に詰め込んだ知識だけを検査する制度は、グロテスクなアナクロニズムではないか。 少なくとも、あのアホなカンニング少年は意識せずに、この現実を指し示すことだけはできた。

2011年3月6日日曜日

カダフィは禿げている




 1994年にトリポリでカダフィに会ったときに撮った写真をなにげなく見ていて気付いた。
 いっしょに会ったエジプト人記者たちはスーパースターを取り囲むファンのように興奮し、はしゃいでいた。その光景を面白半分で、カダフィの後ろから撮った1枚だった。
 エジプト人たちをメインにしたショットのつもりだったので、手前に写っていたカダフィの後頭部に、これまで注意を払ったことはなかった。
 ふと気付いたのは、カダフィの後頭部は毛が薄いことだった。
 これは凄い発見かもしれない。 世界中の何人がカダフィの後頭部の状態を見たことがあるだろうか。 最近のカダフィは、いつも頭に被り物を着けている。 あれから17年。 もしかすると、今は後頭部の毛はもっと薄くなって、河童みたいになっている可能性がある。
 この写真は、”The Yesterday's Paper” の世界的トクダネを予感させるではないか!!

2011年2月25日金曜日

バーレーン蜂起、ここが知りたい




 イスラム教の戒律が厳しく施行されているサウジアラビアには、酒屋もナイトクラブもない。 とはいえ、世界に酒を飲まない民族はない。 だから、飲酒厳禁だというのに、首都リヤド近郊の沙漠に行くとウイスキーの空き瓶があちこちに転がっている。 サウジ人たちは、どこかで手に入れた酒を宗教警察の目の届かない沙漠に持っていって、密やかなピクニックを楽しむのだ。


 それでも飽き足らないか、要領が悪くて酒を入手できなかった男たちはどうするかというと、週末(木曜日の夜)にクルマを飛ばして隣りのバーレーンへ行って過ごす。


 ペルシャ湾の島バーレーンとは、1986年に完成した全長25kmの海上の橋キング・ファハド・コーズウェイでつながっている。 木曜夜のバーレーン側イミグレーションは、サウジ男たちが運転するクルマでいつもごった返している。


 サウジに隣接するペルシャ湾岸の国々は、なぜかサウジとは反対に、どこも宗教的には比較的おおらかだ。 酒は飲めるし、ナイトライフも充実している。 なかでも、バーレーンは、アラブの尺度では酒池肉林の極みかもしれない。


 とはいえ、東南アジアとは比べようもないが、レストランでは、アラブ人が昼間からフィリピン人のウエイトレスを膝の上に座らせ、おおっぴらに酒を飲んでいる。 サウジ男たちは、これが楽しみで週末の長いドライブを厭わないのだ。


 今、この週末の光景はどうなってしまったのだろうか。 中東に広がった民衆蜂起はバーレーンをも揺るがせている。 臆病な日本外務省のバーレーン渡航注意喚起はまともに受け取れないにしても、サウジ人だって反王政デモが拡大するバーレーンでの夜遊びは躊躇しているに違いない。


 コーズウェイの週末混雑は続いているのだろうか、消えてしまったのだろうか。 サウジ人たちがバーレーン通いを控えているとすると、彼らの欲求不満はどこへ向かうのだろうか。


 まさか、その程度の不満が反体制運動に火を付けることはないだろうが、コーズウェイが社会的ガス抜きの役割を多少とも担っていたのも確かだ。


 BBCもCNNもアルジャジーラもNHKも、コーズウェイの現状を伝えていない。

2011年2月21日月曜日

「アラブはひとつ」は本当だった。


 1950,60年代、第3世界で反帝国主義思潮が広がる中で高揚したアラブ民族主義。 国は違えど、アラビア語、イスラム文化、アラブ人という共通性で結びつくアラブはひとつ。 大西洋からアラビア海まで、広大な地域と人をつなぐ壮大なロマン。

 だが、その夢は、イスラエルとの戦争に破れ、国家エゴが露骨に表面化し、政治指導者と大衆の意識が乖離するにつれ、色褪せていった。

 ところが、アラブ人自身も幻想と思っていた「アラブはひとつ」が忽然と現実化した。 アラブ中の民衆蜂起という皮肉な形で。 今や、蜂起のない国のほうが例外に見える。

 これはいったい、なぜなのだ。

 リビアの事態が、その「なぜ」をみつけるヒントを出していると思う。

 リビアで最初に指導者カダフィへの反旗が翻ったのは、首都トリポリに次ぐ第2の都市ベンガジだった。 かつて王国だったときの中心都市だ。 そもそもリビアは三つの王国の連合体で、全リビアの一体性は決して強くなかったとされる。 きょう21日に国営テレビに登場したカダフィの息子も、この点に言及し騒動の拡大は国家の分裂につながると脅した。

 きのう20日あたりから、カタールのテレビ局アルジャジーラは、リビアの部族の動向を伝えている。 石油を産出するベンガジ南部に居住する大部族ズワイヤ族の長は、カダフィが民主化を実行しないなら、石油輸出を停止させると表明した。

 トリポリの南一帯に居住するリビア最大の部族ワルファラの長も、「もはやカダフィを兄弟とは呼ばない」と反政府の姿勢を鮮明にした。

 こうした状況は、リビアはカダフィの強権によって支配されていたものの、統一国家の基盤は十分固まっておらず、社会は依然として伝統的な部族が中心で、国民の国家帰属意識も育ちきれていなかったことを示唆する。 

 他のアラブ諸国も多かれ少なかれ同じ問題を抱えている。 つまり、独裁者なしで国家統一を維持できなかった。 その最も典型的な例はイラクだ。 サダム・フセイン政権が倒壊すると部族の群雄割拠となり、武装した部族は米軍支配に抵抗した。 エジプトでは大都市カイロで部族社会は目に見えないが、地方に行けば伝統社会が色濃く残っている。

 ヨルダン、イエメン、サウジアラビア...。 アラブ国家はどこでも部族抜きで語ることはできない。 フェイスブックやツイッターといった最先端コミュニケーション手段が民衆蜂起の要因として注目を浴びている。 だが、その背後には、部族の長老たちのずっしりと重い存在があるに違いない。

 強権による国家統一とそこから得るもののない大多数の人々。 同じ手法の支配が続けられていたアラブ諸国には、同じように不満が鬱積していた。  フェイスブックが「王様は裸だ」とみんなに言わせた。 そして、若者たちの行動に、長老たちも頷いてみせたのだ。 

  今アラブで起きていることを、アラブの脈絡で解き明かすには、まだ時間がかかる。

2011年2月13日日曜日

美ジョガーたち











 若くして死んでしまったけれど、1988年ソウル五輪の女子100mで金メダルを獲ったフローレンス・ジョイナーは、時代を先取りしていた。 20年以上前に、近ごろの日本の美ジョガーなどが、とても敵わないファッション・センスを身につけていたのだ。