2011年2月21日月曜日

「アラブはひとつ」は本当だった。


 1950,60年代、第3世界で反帝国主義思潮が広がる中で高揚したアラブ民族主義。 国は違えど、アラビア語、イスラム文化、アラブ人という共通性で結びつくアラブはひとつ。 大西洋からアラビア海まで、広大な地域と人をつなぐ壮大なロマン。

 だが、その夢は、イスラエルとの戦争に破れ、国家エゴが露骨に表面化し、政治指導者と大衆の意識が乖離するにつれ、色褪せていった。

 ところが、アラブ人自身も幻想と思っていた「アラブはひとつ」が忽然と現実化した。 アラブ中の民衆蜂起という皮肉な形で。 今や、蜂起のない国のほうが例外に見える。

 これはいったい、なぜなのだ。

 リビアの事態が、その「なぜ」をみつけるヒントを出していると思う。

 リビアで最初に指導者カダフィへの反旗が翻ったのは、首都トリポリに次ぐ第2の都市ベンガジだった。 かつて王国だったときの中心都市だ。 そもそもリビアは三つの王国の連合体で、全リビアの一体性は決して強くなかったとされる。 きょう21日に国営テレビに登場したカダフィの息子も、この点に言及し騒動の拡大は国家の分裂につながると脅した。

 きのう20日あたりから、カタールのテレビ局アルジャジーラは、リビアの部族の動向を伝えている。 石油を産出するベンガジ南部に居住する大部族ズワイヤ族の長は、カダフィが民主化を実行しないなら、石油輸出を停止させると表明した。

 トリポリの南一帯に居住するリビア最大の部族ワルファラの長も、「もはやカダフィを兄弟とは呼ばない」と反政府の姿勢を鮮明にした。

 こうした状況は、リビアはカダフィの強権によって支配されていたものの、統一国家の基盤は十分固まっておらず、社会は依然として伝統的な部族が中心で、国民の国家帰属意識も育ちきれていなかったことを示唆する。 

 他のアラブ諸国も多かれ少なかれ同じ問題を抱えている。 つまり、独裁者なしで国家統一を維持できなかった。 その最も典型的な例はイラクだ。 サダム・フセイン政権が倒壊すると部族の群雄割拠となり、武装した部族は米軍支配に抵抗した。 エジプトでは大都市カイロで部族社会は目に見えないが、地方に行けば伝統社会が色濃く残っている。

 ヨルダン、イエメン、サウジアラビア...。 アラブ国家はどこでも部族抜きで語ることはできない。 フェイスブックやツイッターといった最先端コミュニケーション手段が民衆蜂起の要因として注目を浴びている。 だが、その背後には、部族の長老たちのずっしりと重い存在があるに違いない。

 強権による国家統一とそこから得るもののない大多数の人々。 同じ手法の支配が続けられていたアラブ諸国には、同じように不満が鬱積していた。  フェイスブックが「王様は裸だ」とみんなに言わせた。 そして、若者たちの行動に、長老たちも頷いてみせたのだ。 

  今アラブで起きていることを、アラブの脈絡で解き明かすには、まだ時間がかかる。

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