2011年3月9日水曜日

カンニング革命は成らず


 アラブの若者たちが、独裁者打倒のために命懸けで携帯を使っているというのに、日本の若者は入学試験で姑息な携帯カンニングとは…。
 と、嘆くだけなら、日本のマスコミと同じだ。 この事件が発覚した直後、ある新聞のコラムは「これは明白な偽計業務妨害罪だ」と書いていた。 これは凄い。 こんな罪名を世間一般のたいていの人は知らない。 この時点で、報道によれば、警察ですら捜査に踏み切れるか確信を持てないでいた。 だが、コラムは記者風情の分際で、罪名を断定していた。 このことは、つまり、そこまで踏み込むことによって、現在の日本の入試制度を破壊する行為を断じて許さないと主張しているのだ。
 この新聞の主張を現在のアラビア語に翻訳すると、「現体制に逆らう者は絶対に許さない」。 つまり、カダフィと同じなのだ。
 とは言え、カンニングをした19歳の予備校生にはがっかりさせられた。 肝っ玉が小さくて、頭が悪くて、世界を見回すことのできない典型的な日本のアホだった。 そもそも、目新しくはあるが、Yahoo知恵袋などに投稿して回答を得ようとすれば身元がばれるのは、わかりきっている。
 事件が最初に報道されたとき期待したのは、新しい時代の反逆児の姿だった。 
 現在の入試システムで人間の真の能力や個性を読み取ることはできない。 一見、公正で客観的な制度だが、ここで良い成績を取る者は、受験準備に惜しみなくカネを使える豊かな家庭で育ち、受験勉強などは貴重な若さの無駄遣いなどと考えず、親と学校と世間に逆らわない従順なこどもだけだ。
 だから、カンニング実行者には、入試システムの巨大な虚構に風穴を開けようとする確信犯の登場を期待した。 チュニジアで始まった「ジャスミン革命」が形を変え、日本の行き詰まり社会に挑戦状を突きつけたのだというロマンだ。
 だが、それは虚しい夢だった。
 それにしても、知識を自分の頭と書棚だけに蓄積する時代は終わった。 知識はインターネットの中では無尽蔵で、それを誰でも利用できる。 こういう時代に、頭に詰め込んだ知識だけを検査する制度は、グロテスクなアナクロニズムではないか。 少なくとも、あのアホなカンニング少年は意識せずに、この現実を指し示すことだけはできた。

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