2014年7月8日火曜日

七夕は今年も雨だった


 東京で生まれ育って、サンタクロースがトナカイに曳かれた橇に乗り、雪をけたててやって来るというホワイト・クリスマスを経験したことは一度もない。 12月の東京では、からっ風は吹いても雪が降るのは稀だからだ。 同様に、織姫と彦星が天の川でめぐり会う七夕の夜は、いつも梅雨の雨雲に覆われていて、天空の星のドラマも見たことがない。

 東京の子どもたちは、ホワイト・クリスマスと星空の七夕という二つの見果てぬ夢を追い求めているうちに老け込み、夢がどんどん遠ざかる。

 今年の七夕も雨の一日だった。沖縄の宮古島には瞬間最大風速75mという巨大台風が近付き、ほんの10日前のんびりと過ごしていた慶良間諸島も暴風雨圏内に入った。 梅雨前線も刺激されて、東京の空は織姫と彦星が流す’催涙雨’で暗くなった(七夕に降る雨を催涙雨と呼ぶとか)。

 そうだ、気晴らしに、冷凍室に入れてある鰻の蒲焼を食おう。 鰻の値段がバカ高くなってから、もう何年も蒲焼を口にしていなかった。 1週間ほど前、大森の「肉のハナマサ」で1尾900円という近ごろでは超安値の蒲焼をみつけたので買っておいたのだ。 もちろん中国製。

 小さなフライパンに冷凍蒲焼を置いて日本酒をぶっかけ、蓋をして汁気が無くなる直前まで火にかける。 丼ぶりに盛った玄米と麦で炊いたご飯に載せ、たれと山椒をかける。

 旨かった。 もうすぐ土用の丑。

 2014年の真夏もやってくる。

2014年7月1日火曜日

終わらない第1次世界大戦


 1914年の第1次世界大戦勃発から100年。 日本が主戦場のヨーロッパから遠く離れていたこともあって、普通の日本人には歴史としての記憶は薄く、さして感情の湧かない100周年だ。 学者たちが歴史へのうん蓄を傾ける新聞の特集記事を見ても、読んでみるほどの食指は動かない。

 だが、東京に住んでいると乗る機会があまりないクルマに給油しようと、久しぶりにスタンドに行き、1リットル160円以上に高騰しているガソリン価格を見て思った。 われわれは、もしかしたら第1次大戦(第2次大戦じゃない)の戦後処理が100年たっても終わっていない世界に住んでいるのではないかと。

 石油価格を激しく変動させる中東情勢を動かす問題の根源を辿ると、たいていは第1次大戦によって生じた混沌に行き着く。

 かつてヨーロッパ世界を怯えさせた強大なオスマン帝国が衰退し、崩壊の決定的きっかけになったのは第1次大戦への参戦、そして敗北だった。 帝国が支配していた中東地域は、ヨーロッパの帝国主義勢力、英国とフランスに食いちぎられ持っていかれた。

 彼らは縄張り争いの駆け引きと思惑だけで国境線を引いた。さらに、英国は自分の領土でもない土地をユダヤ人にやると約束し、パレスチナ人の土地を奪った。 クルド人には口先だけで独立国家樹立を約束して反故にした。

 以来、パレスチナ問題、というよりイスラエル問題と呼ぶべき事態はえんえんと継続している。
 
 1990年イラクの独裁者サダム・フセインによるクウェート侵攻は、第1次大戦の戦後体制をひっくり返そうとするものでもあった。 欧州列強によって引かれたクウェートとの人工的国境線を描き直そうとしたからだ。 サダムは、そればかりでなく、パレスチナ人への強力な支援を謳いあげ、アラブ人大衆の支援も勝ち得た。

 サダムが冷酷無比の残虐な独裁者だということは、アラブ人だって十分すぎるほど理解していた。 だが、こういう強烈な指導者がいなければ、隣接するイランという大国の脅威への対抗手段がなくなるし、そもそも多民族・多宗教のイラクという国家が分裂してしまうという怖れも共有していた。

 米国はサダムを葬り去り、新たなイラク国家を作ったが、今になって崩壊の恐れが表面化してきた。 隠れていた魔物が首をもたげたのだ。 第1次大戦後の混沌という魔物だ。

 イラク危機の中で、大英帝国に騙されたクルド人たちは、果たせなかった独立国家樹立の夢の実現へ動き始めた。 クルド人はイラクだけでなく、隣接するトルコ、イラン、シリアにも多くが居住している。 独立への動きがイラク内だけに留まらなければ、不穏な状況が地域全体に広がる。 それは中東の大混乱であり、グローバル化した世界の混沌だ。

 「第1次世界大戦」は、ノスタルジックに回想したり、”歴史の教訓”などという「過去」ではなく、現代への脅威、なまなましい現実に思えてきた。 
  

2014年6月16日月曜日

ゴキブリの方が可愛い


 
 
 かつて、おとなの男の世界だった居酒屋が、ファミレス状態になったのは、いつのころからか。 

 ションベン臭いガキ、所帯じみた母親でギャーギャー騒がしい場所では、コワモテの土方も、世をすねた詩人も、かつて革命を夢見た定年間際のオヤジも様にならない。

 思い起こせば、”オヤジギャル” などという言葉がはやりだした1990年代初めに、若い女たちが赤提灯の飲み屋に出没するようになった。 あのころ、男たちが物珍しがって、彼女たちをちやほやしたのが間違いの元だった。

 
 やがて酒場に糞まみれの紙オムツを放り出していく外来種が蔓延し、その駆逐は、もはや不可能な段階に入っている。

2014年6月12日木曜日

ようこそ日本へ


 あるホテルのロビーで、テロリスト情報の提供を一般に呼びかける警察のポスターを目にした。

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 こんな外国人が宿泊したら、連絡を!
*1人で宿泊する
*国籍が異なる複数の外国人が宿泊する
*頻繁に利用する
*室内でお祈りをする
*不審な荷物を部屋に持ち込む
*周囲の様子を気にしてソワソワしている
*部屋に宿泊者以外の者が頻繁に出入りする
*外部から頻繁に電話の取り次ぎがある
*外国人が退室した後、部屋の中が薬品臭い
*ゴミ箱に不審な物が捨ててある
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 2020年の東京オリンピックを控えて、日本政府は外国人観光客呼び込みに力を入れているが、この警察ポスターを見るかぎり、日本を訪れる外国人はテロリストとは無関係であっても、疑いを持たれないように、態度・素振りでいくつか気を付けなければいけない点があるようだ。

 まず、1人旅は避けるべきだ。 旅の途中で他国出身の友人や恋人ができてもホテルの相部屋はしない。 気に入ったホテルをみつけても、そこに何度も泊まってはいけない。 1日5回お祈りをする敬虔なイスラム教徒であっても信仰心を隠さねばならない。

 日本人は既成概念と体裁に固執する傾向がある、スーツケースを持っていなければ旅行者ではないと思われる可能性はある。 だから、段ボール箱に荷物を入れ紐で縛って肩に担ぐようなフィリピン人出稼ぎスタイルは疑惑の目で見られるかもしれない。

 しかし、猜疑心の強い警察であっても、彼らの頭の古さゆえに、疑いの的を外してくれるかもしれない。 今どき、テロリストであろうが、観光客であろうが、ビジネスマンであろうが、外部からホテルの部屋に頻繁に電話がかかることはないだろう。 パソコンや携帯が通信手段の主流になっている時代なのだ。

 とはいえ、警察は、外国人旅行者たちに、潜入テロリストかもしれないと、油断なく疑いの目を向けているとポスターは語っている。

 疑われる側は、ときに不愉快になるだろう。 そう、”オ・モ・テ・ナ・シ”とは、実は、そういうときの御機嫌取り戦術だったのだ。   

2014年5月28日水曜日

混乱のウクライナを食ってしまおう


 ウクライナの政治的混乱が大きなニュースになっている。 だが、ウクライナという国のイメージが浮かんでこない。 行ったことのない国であり、ウクライナ人に会ったこともないのだから、当然ではあろう。
 

 そういえば、「鳥人」と呼ばれたセルゲイ・ブブカという棒高跳びの選手はウクライナ人だった。 世界で初めて6メートルを超え、十数回も世界記録を塗り替えたスーパースターだった。 昭和の大横綱・大鵬幸喜の父親もウクライナ人だったっけ。 

 しかし、この国のイメージ作りは進まない。 それなら、まずは、ウクライナ料理を食べに行こう。 東京では世界中の料理を食べられる。 ところが、ウェブで見るかぎり、東京にウクライナ料理専門のレストランはなかった。 みつかるのはロシア料理レストランばかり。 いろいろ探索しているうちにわかったのは、ウクライナとロシアの料理は非常に近くて、まぎらわしいということだった。
 

 例えば「ボルシチ」。 これまでロシア料理とばかり思っていたが、起源はウクライナらしい。 日本人が知っている、おそらく唯一のウクライナ料理と言えば、「キエフ風カツレツ」だろう。「チキン・キエフ」ともいう。 だが、これがどうもロシア生まれの料理らしい。

 この二つの国の料理をながめているだけで、混乱の根源であるウクライナとロシアの複雑な関係が、ほんの少しわかってきたような気がしてきた。

 ボルシチとキエフ風カツレツを作りながら、複雑な歴史に思いをめぐらせてみようか。
 以下、Wikipedia からの引用。

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 ボルシチ(ウクライナ語: борщ , [ボールシュチュ])は、テーブルビートをもとにしたウクライナの伝統的な料理で、鮮やかな深紅色をした煮込みスープである。

 近世以後、ベラルーシ、ポーランド、モルドバ、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、ロシアなどの東欧諸国に普及した。現在、東欧文化圏のほかに、中央ヨーロッパ、ギリシャ、イランや、北米在住の東欧系ユダヤ人によっても作られており、多くの国で世界三大スープとして好まれている。

 (<注>日本で言われる世界三大スープは、諸説あるが、ブイヤベース(フランス)、トムヤムクン(タイ)、それにボルシチ。 だが、ボルシチはロシア料理とされている。ふかひれスープ(中国)が加わることもある)

 <ボルシチの作り方>
 ボルシチは、テーブルビートとタマネギ、ニンジン、キャベツ、牛肉などの材料を炒めてから、スープでじっくり煮込んで作る。但し、スープの中身は決まっているわけではない。それ以外の具としてソーセージ、ハム、ベーコン、肉だんご、鶏肉などの肉類や魚のから揚げ、ズッキーニ、リンゴ、インゲンマメなどを使ったりもする。ボルシチの素材は地域によって異なり、特にウクライナでは地方ごとに40種類以上のバリエーションがあるが、いずれもスメタナ(サワークリーム)を混ぜて食べることと、主材料にテーブルビートを使用している点は共通している。 ボルシチを特徴づける鮮やかな深紅色は、テーブルビートの色素によるものである。

 通常は温製で供されるが、夏季には冷製で供されることもある。具沢山になるように作るのが一般的であるが、具をすべて漉して汁だけを供する食べ方もある。ニンニクのソースをかけたパンプーシュカという揚げパンを添えることが多い。

 <典型的なウクライナ風ボルシチ>
 具 : 豚肉 400g、キャベツ 400g、テーブルビート 200g、じゃが芋 300g、ニンジン 1-2本、パセリの根 1本、タマネギ 1個、トマト 2個、サーロ 1個、ディル
 調味料類 : トマトピューレ 大さじ1-2杯、バター 大さじ2杯、酢(9%) 大さじ半分、小麦粉 小さじ1杯、砂糖 小さじ1杯、ニンニク、黒胡椒、ローリエ 2-3枚、塩、サワークリーム

  1.水2リットルを鍋で沸騰させ、豚肉でブイヨンを作る。
  2.テーブルビートを千切りにし、塩と酢を加えてフライパンに入れる。ブイヨンから集めた油、トマトピューレ、砂糖を焼き、鍋に入れ加えて炒め煮る。
  3.タマネギ、ニンジン、パセリの根を千切りにして炒める。
  4.仕上がったブイヨンに四角に切ったじゃが芋を入れて沸騰させる。千切りにしたキャベツを加えて10分から15分にかけて煮る。その後、炒めたテーブルビート、タマネギ、ニンジン、パセリ、輪切りのトマト、黒胡椒、ローリエ、バターで炒めた小麦粉を加える。
  5.5分ほど沸騰させる。その後、パセリの葉とサーロとともにおろしたニンニクを加える。沸騰させた後、火を消し、15分から20分にかけて休ませる。
  6.味が薄かったら、塩で調整する。
 7.ボルシチを皿に盛り付け、サワークリームと、細かくちぎったディルを加えて出来上がり。ニンニクのパンプーシュカを添える。

  <ボルシチ風スープ>
 中国、台湾、香港、日本などでは、ボルシチと同じ調味料を用いながら、テーブルビートを用いずに、代用としてトマトを用いた具だくさんでオレンジ色のスープを「ボルシチ」と称している例がみられる。中国は、ソ連との関係が深く、ロシア料理が西洋料理の代表であったが、テーブルビートの入手は困難であったため、正統な「紅菜湯」に対して、トマトで代用したものを「羅宋湯」と称して、洋食店で提供し普及した。「羅宋」は、上海語でルーソンと読むが、英語の「Russian」に漢字を当てたもので、「ロシアの」を意味する。香港では「茶餐廳」と呼ばれる喫茶レストランや学校の食堂でもよく出る洋食メニューである。

 日本でのボルシチの紹介は、新宿中村屋にロシアの作家、ウクライナ人のヴァスィリー・エロシェンコが伝え、1927年に販売されたものが本格的な始まりとされているが、このボルシチはテーブルビートを使用せず、トマトを煮込んだものである。

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 チキンキエフ (ウクライナ語: Котлета по-київськи、英語: Chicken Kiev) は、ハーブをねりこんだ低温のガーリックバターを骨なしの鶏胸肉で巻き、小麦粉、溶き卵、パン粉で衣をつけて焼くもしくは揚げたカツ料理。日本語では「キエフ風カツレツ」とも書かれる。

 <歴史>
 チキンキエフは伝統的なウクライナ料理にその起源を持ち、料理名はウクライナの首都キエフから採られたとされているが、正確な発祥の地は不明確である。

 ロシアの料理研究家ヴィリヤム・ポフリョプキンは、チキンキエフは1912年にサンクトペテルブルクの会員制レストラン「商人クラブ」で発明されたものであると主張した。創作された当時の「チキンキエフ」は「新ミハイロフスキー・カツレツ」という名前であり、ロシア革命の混乱によってレストランの消滅と共に料理自体も忘れ去られた。1947年、ソビエト料理のレストランで「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちに供せられ、この時初めてチキンキエフ(ロシア語: котлета по-київськи, キエフ風カツレツ)に改名されたと述べている[4]。しかし、ポフリョプキンは主張の裏付けを提示しておらず、「新ミハイロフスキー・カツレツ」がウクライナの外交官たちの食卓に出されるに至った経緯も説明していない。

 また、フランスの食品加工業者ニコラ・アペールをチキンキエフの考案者とする説、20世紀初頭のニューヨークのレストランで考案された説も存在する。

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 カツレツと言っても様々な種類がある。 キエフ風カツレツは、その中のひとつに位置づけられる。 ウクライナ語で、カツレツを「コトレータ」という。

 <コトレータ>
 コトレータ(ウクライナ語:котлетаコトレータ;ロシア語:котлетаカトリェータ;kotleta)とは、畜肉、鳥肉、魚肉などを用いたウクライナ・ロシア風のカツレツのこと。コトレータはフランス語でカツレツを意味する「コトレット(côtelette)」からの借用語であり、元々はフランス料理であった。なお、料理名としては複数形のコトレートィ(コトレーティ;котлеты;kotlety)が用いられる。

 <コトレータの種類>
 *牛挽肉のコトレータ / ゴヴャージエ・コトレートィ / Говяжие котлеты / Goviazhii Kotleta
 ハンバーグとよく似たタネにパン粉をまぶして揚げたもの。大変ポピュラーな家庭料理の一つで、朝昼晩いつでも供される。普通単にコトレータというとこれを指す場合が多い。

 *魚のコトレータ / ルィーブヌィエ・コトレートィ / Рыбные котлеты / Rybnaya Kotleta
 魚肉のタネにパン粉をまぶして揚げたもの。

 *ポジャルスキー風コトレータ / ポジャールスキエ・コトレートィ / Пожарские котлеты / Pozharskie Kotleta
 コトレータのタネにバターを加えるのが特徴である。ポジャルスキー(ポジャールスキイ)は19世紀の料理人で、モスクワとサンクトペテルブルクの間に位置するトヴェルツァ河畔のトルジョークという町で料理屋を営んでいた。茸の煮物を添えた野鳥のカツレツで名を知られるようになり、アレクサンドル・プーシキンが四行詩を詠んでその名を讃えるほどであった。ポジャルスキー自身はヤマウズラやライチョウの肉、または子牛と牛の合挽肉を用いたが、現在では鶏肉、子牛肉、鮭などが用いられる。

 *スコベレフ風子牛のコトレータ / テリャーチエ・オドビヴヌィーエ・コトレーティ・スコベレフスキェ / Телячие отбивные котлеты Скобелевские / Telyachie Otbivnye Kotlety Skobelevskie
 叩いて軟らかくした子牛のカツレツ肉に小麦粉をまぶしてバターで焼き、玉葱ソースと櫛形に切って揚げたじゃがいもを添える。19世紀ロシアの著名な軍人ミハイル・スコベレフ将軍(Mikhail Skobelev)にちなみ名付けられた。

 *キエフ風カツレツ / コトレータ・ポ・キエフスキ / Котлета по-Киевски / Kotleta po Kievski
 バターを芯にして薄く叩いた鶏の胸肉を巻き、パン粉をつけて揚げた料理。伝統的なカトレータ・パ・キエフスキは、手羽元の骨を胸肉につけたままにしておく。鶏の挽肉を使うこともある。真ん中にボリュームを持たせ、両脇を尖がったさつまいものような形にすることが多い。温かいうちに切ると、バターが染み出すため、ソースのようにして食べる。定番の付け合わせは細切りのじゃがいものフライとバターをのせたグリーンピース 。発祥については諸説があるが、ロシアでも人気がある。

 *野菜のコトレータ
 キャベツのコトレータ / カプースヌィエ・コトレートィ / Капустные котлеты / Kapustnye kotleta櫛形に切って茹でたキャベツを小判型にととのえ、溶き卵にくぐらせてからパン粉をつけてバターで焼くか、パン粉をつけてからバターとスメタナ(サワークリーム)をかけてオーブンで焼いた料理。1930年代の肉不足の時代に、肉のカトレーティの代用品として考案された。現在では肉のローストに付け合わせたり、スメタナを添えて野菜の料理として供する。

 *茸のコトレータ / グリブヌィーエ・コトレートィ / Грибные котлеты / Gribnye kotleta
 挽肉を茸で代用したもの。

 *じゃがいものコトレータ / カルトーフェリヌィエ・コトレートィ / Картофельные котлеты / Kartofel'nye kotleta
 茹でたじゃがいもをつぶして小麦粉と卵を混ぜ、小判型に成形してからパン粉をつけて揚げたコロッケ風の料理。

 *米のコトレータ / ルィソーヴィエ・コトレートィ / Рисовые котлеты / Risovye kotleta
 ご飯に小麦粉と卵を混ぜ、小判型に成形してからパン粉をつけて揚げたライスコロッケ風の料理。

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2014年5月26日月曜日

タイは革命前夜


 タイ人は幸せな人々だ。 何が起きようとあせることはない。 彼らは、「どうにかなる」と時間がたつのを待っていれば、すべてが解決すると信じている。
 
 バンコクの交通渋滞。 高架鉄道が設置されてから多少は緩和されたが、やはりひどい。 外国人は渋滞に巻き込まれてイライラするが、タイ人は動じない。 スノッブな金持ち女たちは、優雅な表情を作って、BMWやメルセデスの運転席で携帯電話の会話を続けている。 彼女たちにとって、渋滞とは、高級車に乗った幸せな自分の姿を、歩道を歩く金持ちになれない普通の人々にみせつける願ってもないひとときなのだ。

 どんなにひどい渋滞でも永遠に続くことはない。 やがて動かなかった車列も動きだす。 そしてタイ人は言う。 「ほら、何も問題はない」。

 タイは、この20年あまり、めざましい経済発展を遂げた。 その原動力になったのは、日本をはじめとする海外からの企業進出や投資だ。 だがタイ人は言う。 「ほら、ちゃんと経済発展をしたじゃないか」。

 タイの長引く政治混乱の解決方法は誰も知らない。 対立する二つの勢力のいずれも、渋滞にはまって抜け道をみつけられない状態だった。 そして、5月22日、タイ伝統の軍事クーデターが起きた。 過去の例を見れば、軍が出てきて成功したこともあれば、しなかったこともある。 ダメなら、次は国民の尊敬を一身に集める国王プミポンの登場となる。

 国王の一言で事態は収拾する。 やがて、超法規的クーデター体制が終わり、国会と政府が復活する。 タイ人は、これを「タイ式民主主義」と呼ぶ。

 みんながそれでいいと言うなら、「民主主義」かもしれない。 だが、タイの「どうにかなる民主主義」も、そろそろ終わるに違いない。

 86歳という高齢のプミポンにかつての精彩はない。 王位継承権を持つ長男の王子ワチラロンコンには人望がなく、王室にひれ伏してきたタイ人も王制の存続に不安を抱く。 最後は国王に全面的に頼るという政治伝統が終焉を迎えようとしているのだ。

 そして政治社会構造の変化を見逃すことはできない。 経済的・社会的な既得権益者たちと軍による支配構造の上に国王を据えたシステムが、時代の変化に対応しきれなくなっている。 これまで政治的弱者だった北部・北東部の貧困層が発言するようになり、従来の支配構造の再構築を目指しつつある。 現在の政治混乱の根源である。 革命前夜と言えるかもしれない。

 つまり、何もしないで待っていても、何も起きない新しいタイが生まれようとしているのだ。 われわれは今、歴史の目撃者になっている。

2014年4月15日火曜日

ネットショップで棺桶を


 アメリカに住む女友だちから妙なメールが来た。 「神社の境内で絵馬が掲げられていて小さな屋根が上にあるのは、日本語でなんと言うのでしょうか。私の友達が日本に関して、おかしな本を書いていて聞かれましたが、はたと困ってしまいました」

 確かに、神社やお寺で、絵馬がぶら下がっているを見る。 だが、その屋根付きボードのようなものの名前など考えたこともないし、そもそも名前なんてあるのか。

 と思いつつ、Google で、とりあえず「絵馬」を検索してみた。 すると、すぐに、「絵馬掛け」という名前だとわかった。 だが、驚いたことに、こんなものをインターネットで買うことができるのだ。 普通の買い物をするのと同じように。
 
 <【寺院用仏具】II型 アルミニウム製 絵馬掛/なーむくまちゃん工房/カスタマーレビューを書きませんか?/価格:¥ 367,500>

 <【送料無料!】ステンレス製・屋根付き 絵馬掛け 900タイプ/商品番号gen07007/価格 200,100円 (税込 216,108 円) 送料込/お買い物の前に2,000ポイントゲット!>

  といった具合だ。

 神社とかお寺は神聖なところで、ネットショッピングなどという俗っぽいこととは無関係というのは、思い込み、予断、偏見だった。 世界の隅々まで張り巡らされているインターネットには、神聖であろうと下賤であろうと引っかかるのだ。

 それでは、ネットショッピングでは、なんでも買えるのだろうか。 まさかと思って、「棺桶」を検索してみた。 そして、また驚いた。 Amazon の広告が、たちまち目の前に現れた。

 <棺桶 Amazon - Amazon.co.jp/アマゾン配送商品は通常送料無料 お急ぎ便 利用で当日、翌日にお届け。/1 点の新品/中古品を見る ¥ 18,900 より>

 えっ、中古品まであるのか! 「新品/中古品を見る」の表記は、おそらく、このページの通常の様式を使っているというだけで、まさか、棺桶の中古品の登場を想定してはいないだろう。 1回使って燃やしてしまうものなんだから。

 だが、棺桶の商品レビューも掲載されていた。

 <この値段帯の棺の中では最もコスパに優れているのではないでしょうか。何より寝心地の良さが素晴らしく、そのままどこかへ行ってしまいたくなります。先日、僕を起こしに来た母親のキックにより破壊されてしまったので、母親と生活している方は注意が必要です>
 <中の寝心地はまあまあですね。 しかし、この驚きの白さいいですね、死んだ私から言うととても服に合っててオシャレです!>

 ノーチェックで掲載された悪ふざけのコメントだろうが、実際に趣味で買う人もいるのかもしれない。

 「棺屋さん」(棺桶ネットショップ)というのもあった。

 ・ワンタッチ組立式棺-布張ホワイト
 M:1810×530×450 17,000円[税込] 残僅
 L:1910×530×450 18,000円[税込]残僅

 ・ワンタッチ組立式棺-桐平棺(完売しました)
 M:1810×530×420 16,000円[税込]
 L:1890×530×420 17,000円[税込]

 ・布張棺-ブルー スライド窓(オススメ)
 L:1900×550×460 11,000円[税込]

 ・子供用桐平棺(完売しました)
 サイズ3尺12,000円[税込]
 サイズ4尺14,000円[税込]

・商品到着後の返品・交換について
 お客様のご都合による(初期商品不良・誤配送以外)返品は7日間以内に返品希望の意志をご連絡をいただければ、返品をお受け致します。(但し未使用・未開封品のみ受付けます。)商品代金以外の送料・代引き手数料・返送料、および、代金振り込み手数料はお客様のご負担となります。

・直葬(家族葬)セット アウトレット
棺と布団・骨壺・ヌキナシ箱・位牌・仏衣・骨上げ箸・風呂敷のセット商品です 棺のアウトレット(少々傷あり)商品:お問い合わせください。
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 ネットで棺桶を注文して返品する。 少々傷のあるお買い得の棺桶を買う。 これが現実とは思えないが、本当のところはわからない。