2014年7月1日火曜日
終わらない第1次世界大戦
1914年の第1次世界大戦勃発から100年。 日本が主戦場のヨーロッパから遠く離れていたこともあって、普通の日本人には歴史としての記憶は薄く、さして感情の湧かない100周年だ。 学者たちが歴史へのうん蓄を傾ける新聞の特集記事を見ても、読んでみるほどの食指は動かない。
だが、東京に住んでいると乗る機会があまりないクルマに給油しようと、久しぶりにスタンドに行き、1リットル160円以上に高騰しているガソリン価格を見て思った。 われわれは、もしかしたら第1次大戦(第2次大戦じゃない)の戦後処理が100年たっても終わっていない世界に住んでいるのではないかと。
石油価格を激しく変動させる中東情勢を動かす問題の根源を辿ると、たいていは第1次大戦によって生じた混沌に行き着く。
かつてヨーロッパ世界を怯えさせた強大なオスマン帝国が衰退し、崩壊の決定的きっかけになったのは第1次大戦への参戦、そして敗北だった。 帝国が支配していた中東地域は、ヨーロッパの帝国主義勢力、英国とフランスに食いちぎられ持っていかれた。
彼らは縄張り争いの駆け引きと思惑だけで国境線を引いた。さらに、英国は自分の領土でもない土地をユダヤ人にやると約束し、パレスチナ人の土地を奪った。 クルド人には口先だけで独立国家樹立を約束して反故にした。
以来、パレスチナ問題、というよりイスラエル問題と呼ぶべき事態はえんえんと継続している。
1990年イラクの独裁者サダム・フセインによるクウェート侵攻は、第1次大戦の戦後体制をひっくり返そうとするものでもあった。 欧州列強によって引かれたクウェートとの人工的国境線を描き直そうとしたからだ。 サダムは、そればかりでなく、パレスチナ人への強力な支援を謳いあげ、アラブ人大衆の支援も勝ち得た。
サダムが冷酷無比の残虐な独裁者だということは、アラブ人だって十分すぎるほど理解していた。 だが、こういう強烈な指導者がいなければ、隣接するイランという大国の脅威への対抗手段がなくなるし、そもそも多民族・多宗教のイラクという国家が分裂してしまうという怖れも共有していた。
米国はサダムを葬り去り、新たなイラク国家を作ったが、今になって崩壊の恐れが表面化してきた。 隠れていた魔物が首をもたげたのだ。 第1次大戦後の混沌という魔物だ。
イラク危機の中で、大英帝国に騙されたクルド人たちは、果たせなかった独立国家樹立の夢の実現へ動き始めた。 クルド人はイラクだけでなく、隣接するトルコ、イラン、シリアにも多くが居住している。 独立への動きがイラク内だけに留まらなければ、不穏な状況が地域全体に広がる。 それは中東の大混乱であり、グローバル化した世界の混沌だ。
「第1次世界大戦」は、ノスタルジックに回想したり、”歴史の教訓”などという「過去」ではなく、現代への脅威、なまなましい現実に思えてきた。
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