ぱっと咲き、散っていくサクラ。 そこに人生のはかなさと死に際の潔さを見る。 サクラは日本人の精神を象徴するという。
”咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ 国のため”
太平洋戦争末期、大日本帝国が始めた勝つわけのない戦争の仇花、特攻隊出撃で多くの若者が死んだ。 「同期の桜」が大いに流行したのは、そのころだ。 花見には美しいサクラだが、当時は若者たちの無駄死を鼓舞する役割も担ったと言える。
最近では、外国との友好や平和の象徴として、日本人が世界のあちこちでサクラの植樹をしている。 2009年には、上海万博予定地で、「日中友好・緑と花の植樹事業」と称してサクラの苗木が植樹された。 2010年には、日本とトルコの交友120年として、トルコのイスタンブール、アンカラなどの都市に3000本のサクラが植樹された。
太平洋戦争で多くの若者を「散り際の美学」で死に追いやったサクラが、なぜ、いつから友好や平和の象徴になったのか知らない。
1912年、東京・荒川堤のサクラ並木からとった苗木が米国に贈られ、首都ワシントンDCのポトマック川岸に植樹され今も咲き誇っている。 だが、サクラは平和の構築には貢献しなかった。 植樹から29年後の1941年12月8日、日本は真珠湾を電撃攻撃し、日米は戦争に突入した。
寒風吹く真冬に、唐突にサクラを話題にしたのは、ボランティア活動に熱心な女友達I さんが、日本からはるか離れたボスニア・ヘルツェゴビナでのサクラ植樹を進めているのを知ったからだ。
1990年代のボスニア紛争では、戦火と民族浄化で20万人が死に、200万人が難民になり、第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の悲劇となった。
日本人によるサクラ植樹はボスニアの平和のためだという。 彼女たちの活動ぶりを直接きいていると、まじめで純粋な気持ちがひしひしと伝わってくる。 そもそも、そんな遠くの国の出来事を自分のものとして感じ取り、行動を起こす感受性、知性、想像力、実行力が凄い。
とは言え、どうしても、ピンとこないのだ。 ボスニアの平和を願うのはいい、だが、どうしてサクラの植樹なのか。
ボスニアでは、紛争で深まった民族間の亀裂がまだ埋まっていない。 サクラのお花見をして憎しみを忘れなさいとでもいうのだろうか。 あるいは「散り際の美学」で過去をすっぱり捨て去りなさいというのだろうか。 それは、あまりにナイーブであろう。 かつての軍国日本は周辺アジア諸国の人々に日本精神の受け入れを強要した。 まさか、心優しい彼女たちの心を、そんなことが一瞬たりともよぎったことはないだろうが。
日本外務省は、日本国の存在を誇示するための記念碑風のものを各国に作りたがる癖がある。 サクラ植樹がそんな姑息な”外交”の手段に使われているとも思いたくない。
ボランティアとは何をすべきか、I さん、今度いっしょに考えませんか。
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