2015年1月10日土曜日

25年ぶりのビルマ③


 都会に住んでいる普通の日本人は、仏教とどう関わっているだろうか。

 たいていは、日常生活ではなく、非日常の事態、人が死んだときに仏教は登場してくる。 あるいは死に関係する行事である法事。 墓参り。 それ以外では観光旅行で有名な寺院を見物するくらいか。 ポケットに小銭がなければ賽銭も投げない。 大晦日にどこからともなく聞こえてくる除夜の鐘は風情があるけれど、信仰には結びつかない。

 身近に親しく話をできる僧侶などいない。 彼らが一般人と共通の話題を持っているなどと想像することもできない。 外国人に自分の宗教を尋ねられれば、「Buddhist」と答えるだろうが、実のところは自分が何者か確信はない。

 ミャンマーのパゴダにいると、こんなことを考えたくなってしまうのだ。

 ここでは、人々は祈るだけではない。 昼寝をし、談笑し、弁当を広げて食事の場にもする。 明るい開かれた空間。 静かで落ち着いた寛ぎの時間が過ぎる。 

 パゴダは寺院ではない。 イスラム教のモスク=礼拝所に近いかもしれない。寺院とは僧侶たちが修行し生活する場所で、一般の人たちにはパゴダが公けの信仰の場だ。

 ミャンマー仏教の中心とも言えるヤンゴンのシュウェダゴン・パゴダにいると、この国の政治的転換点の場として、ここが必ず登場してくる理由がわかるような気がしてくる。

 独立の英雄アウン・サンたちの運動の出発点となり、その娘スー・チーが反軍政ののろしを上げたのもここだ。 2007年10月、軍政を批判する民衆蜂起で主要な役割を担った僧侶のころもの色から”サフラン革命”と外国メディアが名付けた運動が巻き起こったときの拠点にもなった。 ビルマ(ミャンマー)では、常に多数の僧侶が、学生らとともに、権力に対する勇気ある政治行動に参加してきた。

 ミャンマーでは、仏教は死の行事を司るだけのものではなく、人々が「生きること」を支え、日々の生活を暖かく包みこむように直接関わっている。 だから、彼らはパゴダで柔らかい表情になる。 だから、僧侶たちは民衆とともに暴政に立ち上がる。

 25年ぶりに訪れたヤンゴンの街並みは、急激な現代化で様変わりしていた。 まるで初めての国に来たような戸惑いと驚きを覚えた。 だが、シュウェダゴン・パゴダの境内に座って、ミャンマーの人々をながめていて、この国の人々の本質は、高々20年かそこらの都市外観の変容には、決して影響を受けることはなかったと思えてきた。

 (続く)
     

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