2015年1月8日木曜日

25年ぶりのビルマ②


 朝日新聞の有名な女記者で松井やよりという人がいた。 確か、もう亡くなっている。 日本人の男たちの東南アジアでの買春を凄まじい執念で非難する記事を書いていた。 その一途さは尊敬に値した。

 1980年代に、この人がビルマに行ったときの記事を記憶している。 <どぎついネオンが夜の街を彩るバンコクから、静かで落ち着いたラングーンに入るとほっとする。 ここにはバンコクで盛んな買春などない> こんな内容だった。

 当時のラングーンは首都でありながら、近隣のタイ、マレーシア、インドネシアなどの都会と比べれば、田舎町も同然だった。 クルマの通りは少なく、暗く、まともなレストランはほとんどなかった。 経済発展が立ち遅れ、みすぼらしく、哀れなほど貧しかったラングーンには、交通渋滞で空気が汚れバンコクで失われた澄んだ空気だけはあった。

 だが、この女記者が「買春はない」と断定したのは驚きだった。 ネオンがなければ買春がないと決め付ける単純発想。 この地球上で娼婦のいない国などあるのだろうか。 たまたま、この記事が出た直後にラングーンに行ったので、ラングーンの買春事情を徹底的に取材し、生身の人間理解に欠けていると思われる女記者に対するあてつけがましい記事を書いた。 多少、おとな気なくはあったが。

(朝日新聞には鼻持ちならない性格の悪い記者が多いと記者仲間では言われている。 だが、それでも朝日はいい新聞だ。 右翼が最近、朝日解体論を口にしているが、朝日を潰してはいけない。言論のバランスが取れなくなってしまう)

 25年ぶりのラングーン、いやヤンゴン。 かつての静寂さはどこにもなかった。 見事に、普通の東南アジアの都市に変貌していた。 喧騒と猥雑、交通渋滞、建設が進む高層ビル。 夜の街はすっかり明るくなり、覗いてみたくなるバーやレストランがあちこちにある。

 1962年の軍事クーデターで、ビルマ経済を牛耳っていた華僑と印僑を追い出し、ビルマ人主体の経済体制、ビルマ式社会主義が始まった。 それは、外的勢力の影響を極力排除した鎖国体制でもあった。 しかし、明らかな失敗であった。 歴史的に戦争で一度も負けたことがなく、常に見下していた隣国タイに経済力で大差をつけられた。 当然、国民の不満は募った。 80年代末、アウン・サン・スー・チーが登場したのは、こういう時代だった。 軍政は国民の大多数が求める民主化を力で押さえたが、国家の未来には何も見えなかった。 そして、軍政がやっと学んだのが鎖国からの脱却、民主化と経済開放の必要性だった。 こうして、長く幽閉していたスー・チーを解放し、外資への門戸を開いた。

 今ヤンゴンで目にする光景は、その果実だ。 それがいいことか悪いことか、まだわからない。
 
 伝統的な生活も変わった。 25年前、市内のガンドージ湖をジョギングで1周したことがある。 その姿を知り合いのビルマ人に目撃され、顰蹙を買った。 理由はショートパンツ姿が、はしたないというものだった。 そんなバカな、と思って、中心部の茶店に1時間ほど座って、通行人を観察してみた。 すると、確かに男であっても短パン姿は皆無だった。 まれにズボンを見るが、ほぼ100%がロンジーという伝統の腰巻を着用していた。
 
 それが今はどうだ。 男の短パンばかりでなく、女の短パン、ミニスカートもごく普通のファッションになっていた。 茶髪でスマホ片手の若者たちの姿は、バンコクや東京、いや世界のどこの国ともなんら変わりはない。

 グローバリゼーションを理解するには、国境を越える経済などという小難しいテーマよりも、街のファッションを観察する方がわかりやすい。 朝のインヤ湖畔でウォーキングをしているときに、今風の若者が話しかけてきたので、「民主化はいいね」と鎌をかけてみた。 彼ははっきりと答えた。 「スー・チーの政治活動が認められたって、軍支配体制が続いているかぎりは、本当の民主化とは言えない」。 軍の政治支配を保障する現憲法が存在するかぎり、”民主化”などクソくらえということだ。

 そう、彼の「民主化」理解は、彼のファッション・センスと同様レベルの国際基準に達していた。

 (続く)  

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