2013年8月13日火曜日
暑い夏のアラカルト
ペルシャ暦の元旦ノールーズ=3月21日、イランの沙漠はうっすらと緑色に染まる。 この土地の冬は突然終わり、夏が突然やって来る。 ノールーズ前後の2週間ほどは寒くもなく暑くもなく、1年で最高の季節、 そして灼熱の夏が始まる。
首都テヘラン。 気温40℃。 暑くても乾燥した夏の生活は、それほど悪くはない。 ペルシャ湾で獲れた鯖を開いて室内に置いておけば、わずか半日で旨い干物になる。 禁酒国で密造した白ワインとの相性が実にいい。
南部アフワーズで気温50℃を経験したことがある。 照りつける日ざしだけでは50℃は実感できない。 乾燥しているので、日陰にいると爽やかさすら感じる。 だが、エアコンの壊れたバスの車内は走るサウナ風呂だった。 堪らなくなって窓を開けるや否や、高熱の衝撃が顔を襲った。 ヘアドライヤーを顔に直接吹きつけられたようなものだった。 あわてて窓を閉め、サウナを選択する。
インドの首都ニューデリーの7,8月は、日本の夏に似ている。 雨季のせいで湿度があり気温は32℃くらい。 日本人に違和感はない。 だが、この国には2種類の夏がある。 もうひとつの夏は4,5月、暑くて乾いている。 気温は45℃に達し、インド人に言わせるとクルマのボンネットでタマゴを焼ける。
この暑さを体感してみたくなって、デリーでエアコンのない安ホテルに泊まったことがある。 従業員たちは、涼しい屋上や裏庭にベッドを持ち出して寝ていた。 その光景を見て、チェックインしたものの眠る自信を失った。 暑さへの恐怖すら覚えながら、意を決してベッドに寝転ぶ。 熱い! 耐えられないほどではないが、マットの表面は熱かった。 だが、熱さに慣れてくると決して不快ではない。 空気が乾燥しているので、汗は瞬く間に蒸発して肌はさらさらしている。 結局、朝までぐっすり眠ることができた。
(インドでは、どんなに暑い日でも「hot」とは言わず、「warm」と言う。 「hot」は料理の「辛い」にしか使わない)
ペルシャ湾岸、アラブ首長国連邦のアブダビの8月。 気温は40℃に達し、晴れていても湿度は100%近くになる。 夏の熱気が海水を蒸発させるためだ。 平坦な沙漠に海が面するという単純な地形のせいで、ビーチの風は向きと強さが一定している。 おかげで快適なウインドサーフィンを楽しむことができる。 昼下がり、ビーチ沿いの道路はサーファーたちを除けば閑散としている。
ここはサウナというよりスチームバス。 スチームバスのジョギングなど、世界のどこでもできるというわけではない。 というわけで、人通りのない街を走ってみた。 やはり想像した通り。 シャワーを浴びているように汗をかいた。 だが、思ったよりは、はるかに快適に感じるジョギングだった。 からだにやさしい湿度のせいだったかもしれない。 なにより、走ったあとのビールがとてつもなく旨い。
(アブダビ在住日本人たちは、暑い夏の間、家にこもって動かないので太ってしまう。 無論ビールのせいもある)
2013年8月、日本の首都東京。 異常と言われる暑さが続く。 どう楽しもうか。 熱中症などクソくらえ。 だが、面白そうなことがなかなか思いつかない。
都会の男たちは”クールビズ”という名の夏用半そでシャツを着て、せっかちに働いている。 テレビは、暑苦しくて汗臭い高校野球が騒々しくて鬱陶しい。 東京の夏が不快なのは、余裕のない雰囲気が充満しているせいかもしれない。 だとすれば、不快なのは今年だけではなく毎年のこと、異常気象のせいではなく東京の存在そのもののせいか。 東京よりはるかに暑いテヘランやデリー、アブダビでゆとりを感じることができたわけが少し見えてきた気がしてきた。
(今年同様に暑い夏だった2010年、クルマのボンネットで目玉焼き作りに挑戦したが、タマゴがまったく固まらず失敗した)
2013年8月8日木曜日
1000頭ラクダで平和運動だ!
二十数年ぶりに、横浜・桜木町駅で降りた。 東横線はなくなってJRの駅だけ。 横浜港側の光景に昔の面影はない。 「みなとみらい」のせいだ。
だが、反対側、野毛のあたりは、それほど変わっていなかった。 うろうろしていると、記憶にある小さくて汚らしいタン麺屋があった。 引き込まれるように、なつかしい「三幸苑」の暖簾を分けて入る。 名物のたんめん(770円)は、野毛の街のように昔のままだった。 こってりとした濃厚なスープ。
それにしても、この店は、資本主義発展の根本原則である拡大再生産という概念が欠落している。 何も変わっていない、何も発展していない。 「みなとみらい」の対極にある。 そして、それはとてもいいことだと思った。
野毛坂を上って、入場無料の野毛山動物園に入る。 対費用効果は無限大。 ここには年老いたラクダがいて、イベントを企画していた。
<野毛山動物園では、世界最高齢のフタコブラクダ「ツガル(メス・推定37 歳)」を飼育しています。人間に例えると100 歳を超える当園の名物おばあちゃん「ツガル」の長寿を願い、9 月16日(月・祝)の敬老の日に、千羽鶴ならぬ千頭ラクダを「ツガル」にプレゼントする「1000頭ラクダプロジェクト」を8 月1 日(木)から実施します。これは、来園者の皆様に折り紙で折っていただいたラクダを集めて、千頭ラクダを作りあげるという企画です。ぜひ「ツガル」への思いを込めて、たくさんのラクダを折ってください!!>
折り紙とラクダの折り方を説明するパンフレットを無料で配っている。 さすが無料が売りの動物園。 子ども相手には面白いイベントかもしれないなあ・・・。
が、帰途、野毛坂を下っているとき思いついた。 「1000頭ラクダプロジェクト」を横取りしたら、もっと面白くなるぞ。
千羽鶴は長寿ばかりでなく平和のシンボルでもある。 多くのラクダが飼われ、生活の一部になっている西アジア・中東は、紛争、戦争、殺戮の絶えない地域だ。 「1000頭ラクダ」を、平和を祈願するために、紛争国の在日大使館に送るのはどうだ。 「ツガル」のための折り紙もイベントのあとは譲ってもらって、大使館に送れるかもしれない。
きっと、これは、日本発の新しい平和運動になる。 マスコミにも協力を頼もう。 とりあえず、このブログを読んだら、ラクダを折って以下の住所に送ろう。 「三幸苑」のたんめんでパワーをつけたら、こんな凄いプロジェクトが誕生したのだ。
<<ラクダの折り方は「折り紙 ラクダ」でネット検索すると、いくつもみつかる。折り方はひとつではないようだ>>
<アフガニスタン・イスラム共和国大使館>
Embassy of Islamic Republic of Afghanistan in Japan
〒106-0041 東京都港区麻布台2-2-1
電話:03-5574-7611
<パキスタン・イスラム共和国大使館>
Embassy of the Islamic Republic of Pakistan in Japan
〒106-0047 東京都港区南麻布4-6-17
電話:03-5421-7741、03-5421-7742
<イスラエル国大使館>
Embassy of Israel in Japan
〒102-0084 東京都千代田区二番町3
電話:03-3264-0911
<イラク共和国大使館>
Embassy of the Republic of Iraq in Japan
〒150-0047 東京都渋谷区神山町14-6 ラビアンパレス松濤
電話:03-5790-5311
<イラン・イスラム共和国大使館>
Embassy of the Islamic Republic of Iran in Japan
〒106-0047 東京都港区南麻布3丁目13-9
電話:03-3446-8011、03-3446-8015
<シリア・アラブ共和国大使館>
Embassy of the Syrian Arab Republic in Japan
〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目19-45 ホーマット・ジェイド
電話:03-3586-8977、03-3586-8978
2013年8月2日金曜日
お盆のシーズンだから
がしじょうぶつどう みょうしょうちょうじっぽう
きょうみしょもん せいふじょうしょうがく
りよくじんしょうねん じょうえしゅぼんぎょう
しぐむじょうどう いしょてんにんし
じんりきえんだいこう ふじょうむさいど
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本語だか、なんだか見当もつかない意味不明のお経を、僧侶の声に合わせて唱和、というより口をモゴモゴさせているだけの参列者たち。
なーまーんだーぶー なーまーんだーぶー
なーまーんだーぶー なーまーんだーぶー
なーまーんだーぶー
このお経は浄土真宗のウエブからダウンロードしたが、日本の仏教各宗派の法事では、ごく普通の光景、 誰もお経の意味など意に介さない。 仏教がどのような教えの宗教なのか知りもしない。
それにもかかわらず、日本人のほとんどは、自分を仏教徒だという。 日本中のいたるところ寺院がある。 観光ツアーに参加した外国人観光客は、あちこち連れていかれても、寺ばかりなのでうんざりし疲れた顔でホテルに帰る。
だが、普通の日本人が仏教に接する機会は、人の死に関わる法事、お盆、お彼岸、それに大晦日の夜に響く除夜の鐘くらい。 日々の生活に深く関わってくるキリスト教、イスラム教と比べると、日本の仏教は宗教と言えるのか疑問にすら思えてくる。
キリスト教の聖書、イスラム教のコーランは、それぞれの宗教の根本であると同時に、読み物としても、歴史や文化人類学、民俗学の資料としても興味深く、面白い。 だが、仏教には、われわれ”信徒"が親しんでいる教典がない。
なぜか今年は前半だけでも、知り合いがずいぶん亡くなった。 それに、もうすぐお盆。 そのせいか、すっかり通い慣れてしまった寺と坊主と仏教を知らない仏教徒への興味がじわりと湧いてきた。
興味のきっかけは、もうひとつあった。 多摩川下流域に点在する玉川八十八ヶ所の寺を散歩がてら三十まで回ってみた。 どこも同じような寺なので興味を失ってやめてしまったが、気になったのは、どの寺も同じように、財力が十分あるようにみえたことだ。 多くの寺には警備会社ALSOKのスティッカーが張ってあった。 カネをかけても守るべき財産があるということだろう。 信者の信仰心は薄いが、寺は金持ちになる。 不思議なメカニズム。
お経など唱えても仏教の真髄など理解できるわけがない。 仏教を極めようなどとは決して思わないが、今夏のお盆期間中は、仏教の古典を読んでみよう。
原始仏教の経典「スッタニパータ」の労作日本語訳「ブッダのことば」(中村元訳・岩波文庫)を、とりあえず開いてみよう。 そこでは、ブッダがやさしい言葉で直接語りかけている。
こんなことをほざいていると、危険な原理主義思想の持ち主と胡散臭く見られるかもしれないが。
2013年7月19日金曜日
退屈すぎる日本の考古学
ブライアン・フェイガンという米国の有名な考古学者がいる。 非常に多作の著述家で、日本でも翻訳が出版されている。 地球規模の気候変動を基軸に、200万年にわたる壮大な人類史を描く。
根底にあるストーリーは、当たり前のことだが、常に定まっている。 人類史はひとつなのだから当然と言えば当然だ。 「The Long Summer How Climate Changed Civilization」の日本語訳「古代文明と気候大変動 人類の運命を変えた二万年史」(河出書房新社)の訳者・東郷えりかがあとがきで、彼のストーリーをうまく要約しているので、そのまま引用してしまおう。
「地球の気候が寒暖、乾湿を繰り返して大きく変化してきたあいだも、人類はどこかで生き抜いてきた。 その間ほぼずっと、気候が悪化すれば、住みやすい場所を求めて移動し、よい時代が戻って人口が増えれば、新たな場所を探し求めて移っていくという暮らしがつづいた。
しかし、完新世になって気候が急速に温暖化しはじめると、環境の変化への対策として、人間はそれまでの狩猟生活から採集生活へ切り替え、やがて一つの土地に定住して農耕を始めた。 その後、灌漑設備や都市を築くようになり、気候が少しばかり悪化しても、乗り切れるようになった。
こうして文明が始まったのだが、生物の宿命のように、あるとき増えつづけた人口がその土地の環境収容力を超える日がやってくる。 そこで気候が大きく変動すると、もはや対応しきれず、多くの人は死に絶え、生き残った者は各地へ離散していった。」
これだけ読むと、当たり前すぎて、目新しさはない。 だが、フェイガンは著作の中で、数百万年、ときには数十億年という時間、全表面積5億994万9千km²の地球という空間を自由に飛びまわり、まるでジャーナリストのような人間観察ルポをする。
われわれは、人類発祥の地アフリカから徐々に北上したホモ・サピエンスがネアンデルタール人を駆逐している姿を見る。 厚い毛皮で身を覆ったモンゴロイドの狩人たちが、シベリアからベーリング地峡を渡って、アメリカ大陸に初めて足を踏み入れた瞬間を目撃する。
フェイガンの考古学は、化石の観察に留まらない。 生きている人間のダイナミックなドラマなのだ。 だから読者は長編小説を読むように、彼の描く世界へ惹きこまれていく。
対照的に、日本の考古学書は退屈だ。 石ころや土くれ収集の域を越えていない。 ”旧石器時代”、”縄文時代”、”弥生時代”...。 この時代区分がいけないのかもしれない。 道具の発掘や分布の調査が考古学の最大の目的になってしまった。 本当の目的は、石器や土器ではなく、それを使っていた人間を知ることでなければならない。
日本の考古学者たちは、ナウマン象を倒して喜々とする旧石器時代人、派手な火炎土器を完成して自慢する縄文時代人、泥臭い縄文女にちょっかいを出すイケメン弥生男たちと会話しようとしたことがあるのだろうか。
試みに、フェイガンの翻訳を出版している河出書房新社が出している「列島の考古学シリーズ」から、「旧石器時代」(堤隆著)、「縄文時代」(能登健著)の2冊を読んでみた。 残念ながら退屈きわまりない。 考古学者である両著者とも、従来の日本考古学から脱皮しようとする意図はあるらしい。 だが、如何せん、器が小さい。 どうしてもストーリーの主流は石ころや土くれに行ってしまい、人間が見えてこない。
地べたを這いずり回るのもいいけれど、そもそも彼らは、普通の人間のように恋愛をしたことがあるのだろうか? 酒を飲んで酔っ払ったことがあるのだろうか? こういう学者と居酒屋に行っても話題がなくて面白くないだろう。
2000年11月に旧石器捏造事件という日本考古学界の権威を根底からなぎ倒すスキャンダルが発覚した。 1980年代から、東北地方を中心に、後期旧石器時代以前の前期旧石器・中期旧石器時代が日本にも存在したという証拠が、藤村新一という人物によって、次々に”発見”された。従来の常識を覆し、日本の旧石器時代は約70万年前まで遡った。
しかし、藤村が宮城県上高森の発掘現場で石器を埋めるところを毎日新聞取材班が撮影し、旧石器発掘捏造を報じた。その後、日本考古学協会の調査で藤村が関与した33か所の遺跡のすべてが疑わしいものとされ、今では、前・中期旧石器時代の存在を裏付ける遺跡は日本には存在しないとされている。
こんな馬鹿げた捏造事件が起きてしまうのは、日本考古学が石ころ、土くれ発掘にしか関心がなかったからだ。 視野が狭く、空を見上げないし、高みに登って遠くを見ようともしない。
「古代文明と気候大変動 人類の運命を変えた二万年史」でフェイガンが出した結論は、「現代」への警鐘だった。
「われわれが人間社会のなかのスーパータンカーになったのだとすれば、これは妙に不注意な船だ。 乗組員のうち、機関室に目を配っている者は一握りしかいない。 操船指令室にいる人は誰一人、海図も天気図ももっていず、それが必要だということすら賛成しない。 それどころか、彼らのなかで最も権力のある者は、嵐など存在しないという説に与している。 指揮権を握る者のうち、立ちこめる雲が自分たちの運命となにかしら関係があると考えたり、乗客10人につき1人分しか救命ボートがないことを案じたりする人はわずかしかいない。 そして、舵手の耳に、方向転換を考えたほうがいいとあえて耳打ちする人は誰もいない。」
人間を対象にする考古学は現代をも考察することができるのだ。 そんな考古学者は日本にはいない。 つまり、日本に真の考古学者はいないということか。
2013年7月9日火曜日
7800円でみつけた新時代
街のディスカウント・ショップで、イタリア製の超高級エクストラ・ヴァージン・オリーヴ・オイルが半額になっているのをみつけ、大喜びで買ったついでのことだった。 同じ店の別の売り場にぶらぶらと入りこんだら、7インチのタブレットPCが目にとまった。 こちらは、見るからに超低級という感じの中国製。 値段はたったの7800円。 オリーヴ・オイルで気分が良かったし、使ったことのないタブレットのオモチャだと思えばいいやと、つい買ってしまった。
うちに帰って箱を開けてみると、電車の中で使っているのをみかけるタブレットと比べ、いかにも安っぽく、プラスティックの薄っぺらなケースという感じ。 それでも電源を入れるとインターネットにつながった。 だが、キーボードの文字が小さ過ぎて、言葉の入力にはえらく手間と時間がかかる。 これでは使い物にならん。 だが、ダウンロードできるアプリの一覧を見ていて、別のキーボードを入手できることがわかった。 そこで、とりあえず使い勝手の良さそうなのを選んでダウンロードしたら、まあまあ使えるようになった。 反応が遅く、多少ノロマではあるが、7800円で文句は言えないというレベルには達した。
こうしてタブレットPCの初体験が始まった。 それまでデスクトップとノートブック型しか使ったことがなかったので、ソファに寝転がって雑誌でも読むように片手でPCを持って、画面をながめている感覚が新鮮だった。
だが、キーボード操作は従来型PCの正確さとスピードにとてもかなわない。 だから情報の発信には向かない。 こいつは情報の受信専用で、そこに特化すれば結構楽しめると解釈した。
最初に目をつけたのは、無料の電子書籍だった。 無料のものは、基本的には著作権が消滅した古典ばかりだ。 退屈だと思ったが、タダの魅力というのは凄い。 日本文学の古典とされる小説をたちまちのうちに何冊も読破してしまった。 夏目漱石「坊ちゃん」、「吾輩は猫である」、芥川龍之介「藪の中」、「羅生門」、森鴎外「高瀬舟」、太宰治「人間失格」、小林多喜二「蟹工船」・・・。
読んで見ると、タダだからというのではなく、いずれの作品もその力強さに惹きつけられた。 古さをまったく感じさせない。 骨太のストーリー、スピード感のある展開、切れ味の良さ。 「蟹工船」のリアルな描写には圧倒させられる。 あれだけの表現力を持った作家が現代にいるのだろうか。 日本の小説は、あの時代から、ちっとも進化していないのではないか。 昔読んだときには、こんな風に感じなかったのに。
今、自分の本棚を探せば、電子書籍で読んだうちの数冊はみつかるだろう。 開けばページは黴臭く黄ばんでいることだろう。 タブレットでは、まるで消毒されたように無味無臭になっている。 死人が生き返ったような気味悪い感覚でもあるが、古典がこんな風に再生しているのは、将来の文学史に記される出来事かもしれない。
ソファに寝転がったまま同じ画面で、古典小説を読んでいるだけではない。 新聞やテレビの電子版を見て、友人からの電子メールを受け取る。 税金の支払いも買い物もする。
タブレットPC画面に現われた「今」の光景を、20年前に巻き戻して翻訳して見よう。
寝転がっていた男は起き上がって、読んでいた本を閉じ、テレビを付けて新聞を広げる。 それから郵便受けまで行って郵便物を取り出し封を開けて手紙を読む。 しばらくして着替え、近くの銀行へ税金を払いにでかける。 ついでにカネを下ろしてスーパーに立ち寄って買い物をする。
同じことをしても心象風景は著しく異なるだろう。 7800円で新時代へようこそ。
2013年7月2日火曜日
同一性障害の政治的症候群
性同一性障害の知人が身近にいないので、彼らの日常の心理を直接知る機会はない。 自分自身で感じる性と世の中や戸籍が認めている自分の性が合わず、つねにアイデンティティに違和感がある人生。 着たくもなかった着ぐるみを脱ごうとしても、そこから抜け出せないもどかしさ。 簡単に口先で、同情するなどと言えない苦悩があると思う。
2013年6月24日朝、目を覚まして新聞を広げ、テレビのスイッチを入れたときの違和感は、性同一性障害者の感覚に似ていたのかもしれない。 そこは自分が住んでいる世界だが、そうではない。 日常生活の臭いも物音も見慣れた光景も同じ。 だが、この倒錯した感覚は何か。 前日は体調が悪くて、1日中ベッドに寝転び、「5万年前に人類に何が起きたか?」などという実生活から遠く離れたテーマの本を読んで、そのまま寝入ってしまった。 だが、それで頭がおかしくなったわけではない。
肉体と精神の奇妙なズレ。 その原因はすぐにわかった。 新聞とテレビが大々的に伝えているニュースのせいだった。
「自民全員当選 第1党」
「自民に勢い鮮明」
「自民満願『59』」
「自公 笑顔満開」
「全勝 歓声バンザイ」
(いずれも読売新聞から)
前日23日に行われた東京都議会選挙の結果だ。 国政与党の自民党と公明党が圧勝していた。
マスコミの事前予想通りではあるが、われわれ東京市民の皮膚感覚とは断じて違う。 自民党が圧倒的な第1党になったが、東京市民は絶対に自民党を大勝させようなどと思っていなかった。 この感覚のズレが同一性障害の症状として顕在化したのだ。 自民党が勝っていないのに、ニュースは「勝った」と繰り返し叫ぶ。 まるで「勝った」と思っていない人々の脳みそに、「勝った」を摺り込もうとするかのように。
だが、結果はそうではない。 党派別得票率を見れば、あまりに明白だ。
国政与党の得票率は、自民党36.03%、公明党14.10%、合計50.13%。 議席で過半数を大きく上回ったばかりでなく、得票率だけでも過半数に達した。 しかし、これを以って「自公勝利」とは言えない。 そんなことは、「勝った」と主張する自民党、公明党、新聞、テレビだって知っているはずだ。
この選挙の投票率は43.5%。 半分以上の56.5%は投票していない。 自公の得票率は、50.13%の43.5%、つまり、実際の支持率は21.8%でしかない。 自民党だけなら15.67%にすぎない。
そう、これが東京の実像だ。 既成政党を信頼できず、政治に興味と関心を失い棄権した56.5%が、巨大な第1党なのだ。
まさに、われわれの生活感覚。 こんな選挙で第1党になったからと言って「勝った、勝った」と大騒ぎしていたので、こちらの頭もおかしくなったのかと不安になってしまった。
次は、7月21日の参議院選挙かあ。
2013年6月11日火曜日
トルコで何が起きているのだ?
トルコで今起きている騒ぎの実態がよくわからない。
報道によれば、イスタンブール中心部、外国人観光客も多いタクシム広場横の公園の再開発に反対する小さなデモがきっかけで、警察による乱暴な取り締まりへの抗議が瞬く間に、エルドアン政権を批判する全国規模の反政府デモへと拡大した。 批判の内容は、警察の強圧的取り締り、首相エルドアンの強権・独裁体質、世俗主義に反するイスラム化の推進といったところに集約される。
だが、こうした批判は本当のものなのか。 それがわからない。 エルドアン政権下で政治的自由に対する規制があったとしても、現在の穏健イスラム政党・公正発展党が2002年に政権を取る前と比べると、民主化ははるかに進んでいるように見えるからだ。
トルコ伝統の国粋主義によって、その存在すら認められていなかった少数民族クルド人の人権は現政権下で大幅に改善した。 「世俗主義が国是」を理由に様々な規制を受けていた信仰(イスラム教)の自由もかなり回復した(これは政権の性格上当然か)。 また、トルコ軍は、建国の父ケマル・アタチュルクの思想を実践する世俗主義の守護者を自任し、それを理由にクーデターなどで政治にたびたび介入してきたが、エルドアン政権は軍の政治的影響力を削減することにも成功した。 民主化の推進は、欧米各国がエルドアン政権を歓迎してきた理由でもある。
イスラム化への不安。 穏健ではあるがイスラムを基本とする公正発展党が徐々にではあるが、イスラム伝統の習慣を回復させているのは明らかだ。 今回の騒ぎで批判の的になった夜間の酒類販売禁止も、そのひとつ。 イスラム女性のへジャブ着用容認もそうだ。 アタチュルク以来、宗教弾圧の教育を受けていたトルコ人、とくに西欧化した都会のトルコ人が、政権の示すイスラム色に嫌悪感を示すことは想像に難くない。 とはいえ、当面は、イスタンブールの呑んべえやセクシーガールたちの生活に影響があるわけではない。
それでは、公正発展党が将来、イスラム化を加速し、サウジアラビアやイランのように、イスラムが絶対支配する国家社会を建設することはありうるのだろうか。 おそらくできない。 日本よりも政権交代が起きやすい選挙制度のトルコで、多数の支持を受けない改革は不可能だ。 政権批判のひとつ、「過激なイスラム化」に説得力があるとは思えない。
そして、最後に、警察の取り締まり。 トルコ警察は昔から、逮捕者を殴ったり蹴ったりすることが当たり前だった。 拷問とまでは言わなくとも、逮捕するとまず警察官が”懲らしめてやる”のが慣例になっている。 以前、デモに参加して拘束されたトルコ人の知り合いが言ったことがある。「今回は運が良かった。 殴られただけで釈放された」。 運が悪いとどうなるか。 警棒や鞭でたたかれるのだという。 ゲイの人権活動家によれば、ゲイは道路を歩いているだけで、警察官に殴られたり逮捕されるそうだ。 この警察の伝統はイスラム政権になっても変わっていないのかもしれない。 なにを今さら、なのだ。
この10年で経済も順調に発展していた。 インターネットやマスコミが作った実態のない騒ぎではないとすれば、どこかに、本当の火種があるのかもしれない。 久しぶりに、トルコに遊びに行くしかないかな。
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